☆14

 四人の臣下を従え、大女王が姿を見せた。アリスは片膝をつき、うやうやしく頭を垂れる。

「顔を上げなさい」

 玉座にかけるトランプ大女王は、巨体だった。相撲取り二人分の体。身にまとう真紅のドレスは、屋外テントに使えそうなサイズだ。

 何よりも大女王の顔に、アリスはおどろいた。ブタとカバとブロブフィッシュをかけ合わせたような顔だった。

「ブタ……!」慌てて口を塞ぐ。

「なんですって?」

「……舞台に立ったみたいに緊張しています。大女王様」

 トランプ大女王は過剰なまでに大きく開いた鼻孔からフン! と鼻息を吐き、

「そうですか。ご安心なさい。我がフシギノクニは誰でも住民として受け入れる用意があります」

 ほっとしたところに、「ただし」と大女王は付け加える。

「ただし?」

「フシギノクニの住民となるために、二つの条件があります。まず第一の条件、わたくしに絶対の忠誠を誓うこと」

 アリスは姿勢を正す。

「わたくしはフシギノクニの独裁者です。わたくしを除くフシギノクニの全員が、わたくしの支配下に置かれます。誰一人わたくしに盾突くことはできません。わたくしを敬いなさい。わたくしを崇めなさい。わたくしを愛しなさい。わたくしを信じなさい。わたくしを畏れなさい。わたくしのために身を捧げなさい。わたくしに異を唱えてはなりません。わたくしと反対の考えをもつことは許されません。己の身分をわきまえ、大人しく従順に生きること。

 アリスよ、あなたは示せますか? わたくしに対する忠誠を」

「はい、大女王様。アリスは――わたしは大女王様を心から敬い、大女王様の言いつけを必ず守ります。決して大女王様に逆らうことは致しません」

「よろしい。では次に第二の条件。フシギノクニのために労働にいそしむこと。フシギノクニの住民はすべからく、フシギノクニの発展に寄与しなければなりません。各々が各々の能力を生かし、フシギノクニの奉仕者となるのです。

 アリスよ、あなたは何ができますか?」

「はい、大女王様。わたしは絵が描けます」

「ほお。では、今描いてみせなさい」

 不意をつかれ、アリスはあんぐりと口を開いた。

「今……ですか?」

 現実世界で描いた数枚の絵をセレクトし、持参したのだが、どうやらその出番は失われたようだ。

「ええ、今この場で。まさか描けないとでも?」

「描けます。描きます」

「では、わたくしを描いてご覧なさい」

「大女王様を……ですか」

 困った。問題は二点。肖像画を描いた経験がない、というのが一点。もう一つは、どこまで正確に写生すればいいのか、という点だ。

 ブタとカバとブロブフィッシュをかけ合わせたような顔。これを忠実に表現したら、気分を害するのではないか。最悪、激怒されるかもしれない。

 と言って極端に美化すると、見え透いていて、かえって神経を逆なでしそうだ。

 リアル過ぎず、美化し過ぎず、ちょうどいい按配に描かなければならない。

「どうしたの? 描けないの?」

 アリスは腹をくくった。リュックを開け、愛用のスケッチブックと色鉛筆を取り出す。スケッチブックを開き、トランプ大女王に臨む。

「今から描きますので、動かないでください、大女王様」

 トランプ大女王は少しムッとした声色で、始めなさい、と言った。

 呼吸を整え、36色の色鉛筆を見渡す。色鉛筆に手を滑らせ、意を決したように、チェリーピンクをつかんだ。

 先ほど通ったエントランスホール。床がピンクと白のブロックチェックで、現実世界のアリスの部屋と同じだった。

 それに街で見たカラフルな家並みも、かわいらしく楽しい雰囲気が、アリスの部屋を思い起こさせる。

 相通ずるものがある。それなら話が早い。いつも通りに描けばいいのだ。

 深く考えず、自分のスタイルで、普段の色づかいで、描けばいい。

 言葉ではなく、感覚。アリスの好きなように描けば、きっと伝わるはずだ。

 もう大女王の顔はまったく見ていない。並べられた色鉛筆と作品のあいだを、視線はしきりに往復する。

 大女王は鼻息を荒々しく吹き出し、小刻みに指を動かす。

 シアン、キャロットオレンジ、リーフグリーン、バイオレット……。手当たり次第に色を塗り重ねていく。

 もっと。もっと。作品は多様な色彩で埋めつくされる。

 もはや上手く描けているのか、いないのか、アリス自身にもよく判らない。

 それでも夢中になって、色を次々加えていく。

 二十分経過。アリスは筆を置いた。肩で息をしながら。

「できた?」

 スケッチブックから作品を切り取り、頭を下げて大女王に献上する。

 トランプ大女王は黙って作品を見つめる。アリスを一瞥し、絵に戻る。じっくりと眺め回す。なかなか口を開かない。アリスをじらすかのように。

 アリスは両手を組んで、判定を待つ。

 ようやく作品から目を離した大女王は、傍らに立つハートのJに声をかけた。

「この絵を額に入れて、エントランスホールに飾っておいて。それと五万キャロル持ってきてちょうだい。雇用契約書と転入届も」

 それからアリスに向き直り、

「あなたの作品を五万キャロルで買い取りましょう。よろしいかしら?」

 ふたたびアリスは口を大きく開いた。

「ありがとうございます!」

 するとトランプ大女王は態度をやわらげ、

「アリスよ、あなたを宮廷画家として雇います。わたくしのリクエストに応じて作品を仕上げなさい。作品はこちらに持参すること。その都度、作品に見合った金額を割り出し、即金で買い取ります。あなたに部屋も用意しましょう。住居兼アトリエとして使用しなさい」

「わたしの……家?」

「今日からあなたは正式にフシギノクニの住民となるのです。アリス、フシギノクニへ、ようこそ」

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