第二十五話 ミラー家の夜・1

 ――歓楽都市フォーチュン 東の郊外 ミラー家客室


 ウルスラが少年ではなく少女――見た目通りの年齢ではないが――と分かった今、リスティたちにも説明しておかないといけない。そう思って、夜分に悪いとは思ったが彼女たちの部屋を訪ねた。


「えっ……そ、そうだったんですか?」


 一番驚いたのは、俺と同じようにウルスラを少年だと思っていたナナセだった。


「すみません、あの、私てっきり……」

「ボクは気にしてないから大丈夫だよ。ナナセ、他の二人はどうしたの?」

「あ、そっちの部屋で髪を乾かしてます。乾かさないで寝ちゃうと髪が傷んじゃいますからね」

「そういうわけで、ウルもみんなと一緒に寝てもらおうと思うんだが」

「私はいいですけど、ウルちゃんはいいんですか?」


 ナナセに聞かれて、ウルスラは俺を見やる――じっとりした目つきだが、幸いにも本気で非難する感じではない。


「まあ、その方がマイト……ううん、主様が落ち着くのならいいかな」

「っ……ウ、ウル。その呼び方は……」

「……えっ、ちょっとすみません、二人はさっき一緒にお風呂に入ってたんですよね?」

「うん、でも主様は紳士的だったよ」

「紳士的も何も、普通に風呂に入っただけだからな」


 ナナセは何か想像しかけたようだったが、俺が嘘を言っていないとなんとか信用してくれたようだった。


「そういうことなら、私たちがウルちゃんと入った方が良かったですね」

「ボクが平気でも、主様が照れるみたいだね。今のボクでそんなに気を使ってくれるんだから、先のことが心配になるけど」

「……ん? 『今の』ってどういう……」


 聞き流すわけにもいかず、確かめようとする――そのとき、隣室の扉が開いて、リスティだけが部屋に入ってきた。


「あっ……マ、マイト。こんばんは、何かあった?」

「あ、ああ。ウルスラのことなんだが、この部屋で一緒に寝てもらってもいいか?」

「ウルちゃん、女の子だったんです。マイトさんもお風呂で……いえ、さっき気づいたみたいで」

「そ、そう、お風呂……えっ、マイト、お風呂で何かあったの?」

「な、何もない。ただ、ウルが女だと分かっただけで……」

「そうだよね、主様。主様はボクの髪を洗ってくれたし、よね」


 こうなってしまうと、どう言っても信頼を落とすしかないのでは――と諦めかけたが、リスティは顔を赤らめつつも、俺の肩に手を置いて言った。


「だ、大丈夫よ。私はマイトが人の道に反することをしないって思ってるから」

「あ、ああ。良かった、信じてもらえたな。じゃあ俺はこれで……」

「マイト、知らせてくれてありがとう。ウルちゃん、ベッドが二つしかないから私と一緒でいい?」

「うん。ありがとう、リスティ」


 ウルスラは素直に返事をする――年齢相応の振る舞いをすると、反則的に愛嬌があると認めるほかはない。


「リスティ、プラチナさんはどうしたんですか? さっきから出てきませんけど」

「えっと、それは……」


 リスティがこちらを見てくる――俺がいると出てこれない、ということだろうか。


「ウルスラのことは頼んだぞ。俺は部屋に戻って寝るよ」

「ええ、おやすみなさい」

「おやすみなさい、マイトさん」


 三人の部屋から出て、自分の部屋に向かう――すると、廊下にマリノが立っていた。


「あの、お部屋の方は大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫だけど……ごめん、夜に騒がしくしすぎたか」

「いえ、お母さんは若い人は元気だからって言ってました。マイトさんは良かったんですか? その、皆さんと違うお部屋で……」

「まあそれはな。男女でパーティを組むなら、守るべきルールってものはある」

「そ、そうなんですね……」

「……ああそうだ、ええと、ウルスラのことなんだが。俺は男だと思ってたんだけど、女だったんだ。それは伝えておかないとな」

「あっ……そ、そうだったんですか。地霊様が女の子……いえ、地霊様じゃないんですよね。それだとウルスラさんって一体……」

「本人が、記憶がないって言ってるからな。じきに分かるかもしれないし、ウルスラが自分のことを知りたいと思うなら俺が調べてもいい。伝手ツテはあるからな」


 盗賊ギルドの長であるメイベルに、情報収集を頼んでみるという手はある。代わりに何か仕事を頼まれるかもしれないが、それくらいは安いものだろう。


「マイトさん……あの、私、本当はギルドにお仕事を頼んでも、解決できるって思っていなくて。代わりに踊ってくれる人が来てくれたら、それでいいって……本当に、すみませんでした……っ」

「いや、悪気がなかったのは分かってるよ。野菜を魔物にしてたのは、あのウルスラなわけで……それを受け入れてくれるっていうんだから、あいつを連れて帰ってきた俺たちとしても、マリノたちには感謝しなきゃならない」

「そんな……え、えっと、私達はこれでも蓄えはちゃんとあるので、一人くらい増えても全然大丈夫なんです。それどころか、家族が増えて嬉しいなって、お母さんとも言っていて……マイトさんたちにお支払いする報酬も、最初に依頼したことよりずっと多くのことをしてもらえたので、できるだけ増やしたいって話してたんです」

「そうしてくれると俺たちも嬉しいけど、あまり無理はしないようにな。マリノの父さんの怪我のこともあるし」


 ――本当に何気なく、思ったことを言っただけだったのだが。


 マリノの胸の前に、淡く光る錠前が浮かび上がる――それだけではない、廊下の向こうにある階段の方にも光が見えた。


 そして錠前は、光の粒になって霧散する。メイベルの時もそうだったが、パーティを組んだ相手でなくても、この現象は起こるということだ。


「……マイトさん、あの……良かったら、これから……」

「マリノ、マイトさんはもうお休みになるんだから、あまり引き止めてはだめよ」

「あっ……お、お母さん。そんな、様子を見に来たりしないでいいのに」


 階段を上がってこちらにやってきたのはアリーさんだった――彼女ももう就寝するところだったようで、寝間着姿だ。ガウンの下にネグリジェを着ているが、胸の部分の起伏がとてつもなく豊かで、思わず目の焦点をぼかしてしまう。


「申し訳ありません、お話が聞こえてきたので……ウルスラさんのことは分かりました、娘が小さい頃の服などもありますし、大丈夫だと思います」

「は、はい。よろしくお願いします、俺もたまには様子を見に来ますので」

「はい、お待ちしています」


 そう返事をしてくれたあとも、アリーさんはこちらを見つめている。


 錠前が開いたということは、この母娘との『絆上限』が解放されたということだが――いや、それを安易に二人と仲良くなったとか、そういう捉え方をしてはいけない。


(……それにしてもめちゃくちゃ見られてるな……あの錠前が開くのって、どういう感じなんだろう)


「……で、では、明日も朝食を準備いたしますね。その後は、フォーチュンまで馬車でお送りします」

「はい、よろしくお願いします」

「おやすみなさい、マイトさん」


 マリノが小さく手を振り、二人はリスティたちの部屋に入っていく――就寝前の挨拶だろう。


 俺も自室に入ってベッドに寝転がる。身体の疲労は無いが、魔力を使うことが多かったからか、眠りに落ちるのに苦労はなかった。


(そういえば、リスティの寝間着……たぶんアリーさんに借りたやつだけど、あれは……)


 最後に頭によぎったのはそんなとりとめもない考えだった。あのリスティの姿を前にして落ち着いていられたのも『賢者』になった賜物だろう――そう思っておくことにした。

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