第二十四話 ファリナとシェスカ

 ――ヴェルドール聖王国 騎士団領 ラウリール侯邸



 マイトと共に魔竜を討伐した一人であるファリナ=ラウリールは、母国に帰還すると聖王によって叙勲を受けた。


 ファリナが褒賞として望んだものは地位や名誉ではなかった。枢機卿たちは国家の最高戦力であるファリナを手元に置きたがったが、彼女はその要望を受け入れなかった。


 生まれながらに職業が『聖騎士アークナイト』であったファリナは、出自の通りならば王立学院に通うところを、自ら志願して騎士学校に入った。


 魔竜討伐に志願し、騎士学校を離れるまで使っていた寮に戻ることはなかった。ファリナは侯爵に相当する権限を臨時的に与えられ、騎士団領の一部領地を与えられた。


 屋敷の二階にある自室のバルコニーで、ファリナは座り込んだままで剣を抱えていた。ファリナに同行して聖王国にやってきたシェスカは、持ってきた食事をテーブルに置くと、室内のベッドに腰掛けて一息つく。


「……少しは食べないと痩せてしまうわよ、ファリナ」


 ファリナは答えない。ホワイトゴールドの髪で目元が隠れ、痩せた頬に影を落としている。


「……どうして私は、生きてるの?」

「マイト君が、あなたが生きることを望んだから。だから彼は、あなたを守ったのよ」

「そんなこと……マイトはいつも、自分のことより、人のことばかり……っ」

「……私だって、責任を感じているわ。魔竜を倒すときに『死の呪い』を防ぐ、そんな魔法をどうして覚えられていなかったのかって……レベル99なんて言っても、一番大事な時に無力だった」

「……マイトが私を庇ってくれたとき……私は……」


 喉から絞り出すように、かすれた声でファリナは言う。微笑んでいたシェスカも、目を伏せずにはいられなくなる。


「私は……安堵してしまった。死ぬことなんて怖くなかったのに」

「それは、絶対に言っては駄目。マイト君を失ったことがどれだけ辛くても……あなたが生きることを否定したら、彼の行為が報われない」


 シェスカが語りかけると、ファリナはわずかに反応を見せる。


 顔を上げたファリナは、泣いてはいない。シェスカはファリナの涙を見たことがなかった。


 その瞳は目の前の風景を映していない。シェスカを見る瞳に光はなく、ここではない場所を見ている。


「……マイト君が、魔竜の呪いを受けて死んでしまったのかはわからない。彼は消えてしまったけれど、どこかに転移させられた可能性もある。そうは思わない?」


 雲を掴むような、頼りない希望だと分かっていた。それでもシェスカは、ファリナを失うわけにはいかなかった。


(マイト君がいなくなった今、ファリナを繋ぎ止められるのは私しかいない……エンジュちゃんも、帰るべき場所に戻ってしまったもの。お姉さんが、頑張らなきゃね)


「マイト君を探しましょう。これも一つの可能性だけど、彼の故郷に行けば何か分かるかもしれない」

「……マイトが、死んでいないっていうの? 私の腕の中で、マイトは……」

「消えてしまった。それは、死んでしまったのとは違うかもしれない……私が、詭弁を言っていると思う?」


 シェスカにとっては賭けだった。ファリナに信頼されなければ、彼女はこのまま食事を取らず、生きることを放棄する――これほど衰弱していれば、その危惧がある。


 しかし、ファリナの目にわずかな光が戻る。彼女の片方の瞳から涙がこぼれ、頬を伝って落ちた。


「……それに、ここにいてもまた干渉されるだけでしょう。私達を怒らせたら怖いとか、そういうことは考えないのかしらね」


 冗談めかせてシェスカは言う。それまでどんな言葉にも表情を変えなかったファリナが、ごくわずかに微笑む。


「私のことを隣国の王子に嫁がせるとか、枢機卿たちはそんなことばかり言う。私たちのしてきた旅を知らないからそんなことが言える」

「ファリナのお父様は、娘の自由にさせたいっていう人で良かったわ。そうじゃなかったら、きっと説得のために苦労していたもの」

「……ほとんど家出みたいにして、騎士学校に入った。魔竜討伐に志願したことの報告も、後で手紙を送っただけ。父には、心配ばかりさせてる」

「それなら、もう一度だけ心配をかけても罰は当たらない……かしらね。神官の私が言うんだから、心配ないわ」


 ファリナは小さく頷く。彼女は立ち上がるが、バルコニーから部屋の中に入ると、ふらりとバランスを崩す――シェスカはこともなくそれを受け止める。


「三日も食べないと、聖騎士さまでもこんなになっちゃうのよ。全く、心配させて」

「……まだ受け付けないけど、少しだけ食べる。そうじゃないと、あの人に笑われるから」

「マイト君は笑ったりしないわよ。いつも、お兄さんみたいにあなたを優しく見守っていたから」

「お兄さん……そんなこと、考えたことなかった。マイトは、マイトだから」


 ファリナに付き添い、シェスカは彼女を居間に連れて行く。テーブルの上には、シェスカが予め運んできた食事が並んでいた。


 シェスカに促されて席に座ると、ファリナは顔を伏せたままで何かを呟く。


「…………」

「ん? ファリナ、何か言った?」

「……何でもない」


 そう言ってファリナは、パンを手に取って千切り、口に運ぶ。


 ――前衛は、身体を動かすからお腹がすく。


 ――俺もファリナを見習って、何でも美味しく食べないとな。


 マイトとパーティを組んだばかりの頃の、食事の風景がシェスカの脳裏をよぎる。


 空いている席に、ファリナとシェスカは無意識に視線を送る。ファリナだけでなく、シェスカ自身の意志でもあった――マイトの死を、まだ受け入れないということは。

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