「夢」

岡 辰郎

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『アナタ・ノ・ユメ・ハ・ナンデスカ?』

 いきなりだった。

 頭の中にそんなフレーズが閃く。まるで、他人の言葉のように。

 しかも、カタカナで、だ。

〈夢……?〉

 頭の中に閃いた質問を頭の中で訝りながら、同時に頭の中で答えを出していた。

〈私の夢……それは、自由になることだ〉

 再び〈他人の言葉〉――

『ジユウ……トハ・ナニカ?』

 今度は簡単には答えが出てこない。

〈自由とは……一体、何なんだろう……〉

 真正面から問われれば、答えることは難しい。

 なぜ難しい……?

 それはつまり、自分の心の奥底を覗き込まなければならないからだ。

 私は今、何を不自由だと感じているのか?

 その状態をどう変えたいのか? 

 何が障害になっているのか?

 どうすれば障害が取り除けるのか?

 そもそも、どこかに私の自由を奪う存在があるのか?

 私にとって、何が自由と呼べる状態なのか……?

 私はなぜ、自由になることが夢だと答えてしまったのか……?


 ――――――――――――――――――――――――――――

 

 僕はそこで万年筆を置いた。

 肝を潰していた。

 ひどいスランプに陥ってから4ヵ月間、全くキーボードに向かう気力が起こらなかったのに、いきなり筆が走りだしたからだ。

 自分が何を書いたのかを意識する以前に、文章が書けたという単純な事実に動転した。

 ここ10年はパソコンのワープロソフトばかり使っていたので、仕事机には原稿用紙さえ置いていない。現に僕が使った紙は、近所の商店街が出した手作りチラシの白い裏面だった。

 たまたま二階の書斎に持って上がった朝刊に挟まっていたものだ。

 その紙に、僕が書いたらしい物語の発端が、黒いインクでくっきりと記されている。

『書いたらしい』という言い方は、自分でも奇妙だと思う。

 実際に僕は、自分が万年筆を握って文字を刻んでいく感触を味わい、目でも確かめていた。

 なのに、その文章を自分が考え、書いたという実感がまるで沸かない。

 ミッキー・マウスの〈魔法の箒〉よろしく、万年筆が勝手に動き出したとしか思えない。

 僕は、スティーブン・キングの原作を映画化した『ミザリー』を思い起こした。

 熱烈な読者に拉致された主人公の作家が、彼女1人のためだけにタイプライターを打つように強要されるのだ。そして作家は、その場で物語を練りながら、全く手直しの必要のない長編原稿を一気に打ち出していく。

 何度も推敲を重ねなくてはプロットさえ完全に固められない僕は、最初にそのシーンを見た時に『非現実的だ』と嘲笑った。しかし『キングほどの才能があれば、現実にそのような書き方が可能なのかもしれない』と考えたとたんに薄笑いは凍り付き、言いようのない虚しさが胸に突き刺さった。

 才能とは、どうにも破ることができない檻なのだ。

 僕も修業時代は、その檻を少しでも広げようと毎日数10枚の原稿用紙を消費していた。つぎつぎに訪れる公募の締め切りに間に合わせるために、徹夜を続けて500枚以上の清書をしたこともある。

 万年筆を握った指には分厚いタコができ、痺れて感覚がなくなり、緊張の持続に耐え切れなくなって気を失った事さえあった。

 世に出るために必死だったのだ。

 しかし、そんな時代ですら、天恵のように自分の指が自然に物語を紡ぎ出したという経験はない。

 なのにスランプのどん底で焦る今、僕は、あの頃の清書と同じようなスピードで紙面を埋めていった。単に文字を書き写す清書と同様の速さで、全く新しい物語を考え、書いたのだ。

 考えた……?

 自分で書いたことは間違いない。

 問題は〈自分の頭で考えた〉という記憶が欠けていることだ。

 僕はキングではない。自分の才能の限界は承知している。『ミザリー』のように書けるはずはない。

 僕は、机に置いた万年筆をじっと見つめた。

 黒くて細身のその万年筆は、どうやら女物らしい。ありふれた量産品にしか見えず、合成樹脂製の軸にはかすかな傷も無数についている。

 古びた汎用品だ。

 しかしインクの出はスムーズで、しなやかなペン先は僕の強すぎる筆圧を柔軟に受けとめた。

 そしてほんの試し書きをするだけのつもりが、僕はなぜか物語の発端を記していたのだった。

 やはり、問題はこの万年筆にあるのか?

 まさか、本当に〈魔法の万年筆〉だということもないだろうが……。

 僕は、今朝の妻とのやりとりを思い起していた。

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