そばにいてくれと彼らはいった

服部ユタカ

そばにいてくれと彼らはいった

 片腕が破損した。大問題だった。


「どうしよう」とイブが右腕をかばいながらいった。表情を示すインジケーターの目が小さく、申し訳なさそうな動揺を伝えた。


 アダムはこれを受けて、君の責任じゃないよ、と応えた。彼は、無表情にも取れる、揺らぎのない表情を示す。


 事実、惑星XR-1129は地殻変動の活発な惑星であり、彼らのような住環境整備専用の機体でも危険は付き物とされていた。その朝も、夜になれば陸地を覆う海から逃れた先で地震が起きた。


 輸送機と栽培用プラントを兼用したドームでも衝撃が緩和しきれなかったのだ。設計者も、三六〇度をあらゆる方向へ回転しながら波に揉まれるなど想定できなかった。


 次の朝日を受けるまで一時的にシャットダウンしていた二機は、眼前の事態を重く受け止めた。彼らの機体は容易く破損するほどに脆弱なものではなかった。しかし、関節部に用いられた人工筋肉は断裂し、金属部品はひしゃげて戻ることはない。少なくとも、二機がもちうる機能では解決するすべがない。


「イブ、あとどれくらい動けそうだい?」


 言葉の最中、彼──本来性別など設定されていないのだが──の背中でゼンマイが、カリリ、と鳴いた。彼らは高度に発達したゼンマイ駆動機だった。


「ええと、前回アダムに巻いてもらったのは四週間前だから」


「あと四日を待たずに停止、ってことか」


 イブはインジケーターの目元を申し訳なさそうに伏せたまま、顔を背けた。


 ゼンマイは両手で巻かねば充分に動かせない。二機の思考はすでに「いかなる方法でも両手の代用をできることも、工夫で乗り越えられることもない」との答えにたどり着いていた。代用品となる機械部品はドームに搭載されていないからだ。


「あなただけ少しの間、動くことだってできるよ」イブは縋るように、しかし、答えが分かっているようにいった。


「君は、僕が独りでいることを望んでいると思うの?」ここで、初めてアダムの目元が困ったような変化を果たした。


 片方がゼンマイを巻けても、もう片割れが停止すれば後が続かない。


「僕はね、イブ。なんだかもう君が目覚めないんだって思ったら、少しだけ、本当に少しだけ、自らの活動停止を考えてしまいそうだよ」


 申し訳なさそうに、それでもいくらか楽しげな声色でイブは応えた。


「プログラム上、そんなことできっこないけどね」


「そうなんだよね。だからいいんだよ。それより」アダムはドームから外を眺めてからいった。「少し外を歩いてみないかい。今まで許されなかったけれど」


 イブは煮え切らない声で解釈を探して、声をあげた。


「緊急性の認められぬ場合、ドーム外へ移動することは許されない。また、内外環境を狂わせるような干渉は如何なる事態も招くことがないよう努めること、とあるね」


「つまり」アダムがイブの左手を取った。「緊急事態だし、外部に干渉しないよう努めていればいいんだ」


 アダムの片目が横に細くなった。それは人のするイタズラっぽいウインクとちょうど同じように動いた。



 ドームから降りて、彼らは高台に登った。ゼンマイの残量を意識すると普段通りのワイヤーウィンチによる移動は控えめとなり、登坂には惑星時間で八時間、母星の時間で三時間ほどかかった。二機の眼前には時間によって著しい干満を見せる〝移り気な海〟が広がっている。


「見て、イブ」


「あっちには確か〝孤高の山脈〟があった」


 彼らの立つ位置から五十キロメートル先で大きな渦が発生していた。海流が巨大な物質にぶつかると、夜間には複雑な模様を見せる。渦は何もかも飲み込みそうで、まだ明け切っていない夜に別れを告げるように動き続けている。


「確かこういうときはすごいとかきれい、っていうんだっけ」


「でもそれらってどのような感情なのかな」イブは本当にわからないといった表情でいった。


 それから、二機は高台から移動して昼間の平野に向かった。〝不平の多い平野〟だ。


「ワレイワモドキが活動を開始しているね」アダムが遠くに見える全高三メートルの生物を指差した。


 一見巨岩に見えるその生物は、波が引くと、陸地となった部分に残された生物を捕食する。割れ目から肉感のある部位が蠢いて覗く。


「よくあの海流のあとまっすぐ動けるよね」


「驚きの平衡感覚だね」


 これには、イブも同意見のようだった。


 それから二機は多くの場所を移動した。



 陽光のもと、昼の間だけでひと息に花まで咲かせ、そして海に飲まれる〝健気な草原〟。


「きれいってどのような感情なのだろう」


「頬があったらゆるむ、というようなものじゃないかな」



 濁流と干ばつを繰り返す〝涙の小川〟。


「清らかさの数値化には意味があると思う?」


「無粋という言葉、今のあなたのためにあるのだと思ったよ、アダム」



 海の下に沈んでも、その生態系をほとんど変化させない〝不滅の森〟。


「死が二人を分かつまで、なんていった生物があるんだって」


「私たちはどうなんだろう」



 足の赴くまま入り込んで、見上げた輝く天井の洞窟には〝輝鉱石の星空〟と名付けた。


「この鉱石、欲しい?」


「腕が直るならもらって嬉しいかも」



 それから、それから、それから。


 海が来る頃には海流の弱そうな場所を探して海底を進み、日中には野山をゆっくりと、二機は行った。それぞれが手を繋ぎ、すぐそこにお互いがいることを確かめながら。


「足元気をつけて」


「あ、う……だいじょ……。あれ、私いま」


「うん、大丈夫。受け止めるから。跳べるかい?」


 ドームが波にさらわれて遠くを漂流していくのが見えた。


「母星の人に怒られちゃうかな」


「……」イブの表情にノイズが混じって、小さくウインクをした。


「そうだね、黙って二人でいなくなれば事故だし」


 最後の晩を迎えた。もうイブの動力は残されていない状態で、指先がわずかに振動する程度しか動けなくなっていた。


「ああ、あれは傑作だった。腹筋があったら捩れてしまっていたと思う」


 アダムは微細な振動パターンからイブの発言を拾っていた。信号として行われる会話に、アダムはあえて言葉で返した。


「持ち込んだ生物の種はもう海の向こうか。まあ、気にしても仕方ないかもしれないけど」


 イブの指先が振動する。


「大丈夫じゃないかな。母星がまた誰かをよこすよ。いい場所だし」


 イブの指先が振動する。


「はは、わかったよ。僕も同意見だ」


 アダムがハッとしたように目元を動かして、続けていった。


「そうか、そうだよ。これがきっと寂しいという感情なんだ。やっとわかったよ」


 イブの指先がわずかに振動して、動かなくなった。


「うん。うん……。イブ、君こそ先に目覚めてもどこかにいなくならないで、そばにいてね」


 それからアダムはイブの手を握ったまま、自分のゼンマイの鳴くのを聴き続けた。カリリ、カリリ、とそれは次第に弱くなっていった。


「イブ」


 カリ、リ。


「イブ……」


 ジィジィと最後の数度をゼンマイが回りきる時、もはや彼の表情は示されなくなっていたけれど、指先がイブの最後に起こした振動と同じように、そばにいてね、と動いた。


 昼がきて、夜がきて、海が通り過ぎ、防錆の表面に無機物と有機物がかかり、やがて壊れきった二機は、分子レベルまで分解された。


 それらは巡り、巡り、巡った。そのうち惑星は地球と呼ばれる安定的な状況を作った。


 幾星霜の巡り合わせの果て、文明が築かれた。


 ある日の晩、都心を通る地下鉄の中で、男性が席でうたた寝をしていた。腿裏の熱にぼんやりとして、降りるべき駅を逃してしまう。


 ドアが閉まり切ったときに彼は目覚めて、ああ、と声を出した。そして、腰を浮かせたことで別の女性が座ろうとするのにぶつかってしまう。


「すみません」とふたりが同時にいった。


「あ、いえ」とふたりが同時にいった。


 以来、縁があってふたりは何度か帰路を同じにした。


 いつも地下鉄で偶然会う程度から、次第に時間を合わせるようになり、連絡を日に一度、二度と往復させるまでになった。


 片方が何かに疲れているようであれば、もう片方がそれに気づいては言葉をかけたり、あるいはあえてかけることもなく、隣にいるようになった。


 電車の揺れに合わせたやりとりは静かで、穏やかで、少しずつ笑みと困ったような顔が増えるようになった。


「それは面白いね」と男性がいった。


「そうでしょ」と女性がいたずらっぽく片目を閉じていった。


 電車の外で会うようなった。ふたりは様々な場所を見た。ともに並んで冬の海、のどかな公園、小川や森にも足を運んだ。


 空気の澄んだ晩、公園で見上げた星に対して同じ感想を抱き、何かをいおうとした。だが、同時にふたりとも適切な言葉を見つけられないことに気づく。


 綺麗、すごい、それ以上の言葉だ。


 その星の配置は、いつか二機が見上げた〝輝鉱石の星空〟と似ていた。


 ふたりの指先が、最後に交わした二機の指先と同じように、小さく、振動した。


 それから、少しだけ指先は触れ合った。


「そばに」


 どちらかがいった。


「そばにいるよ」


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そばにいてくれと彼らはいった 服部ユタカ @yutaka_hatttori

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