第47話:ダクト行路

 細心の注意を払って屋敷から地面に降り立ち、エレベーターに至る短い石畳を進んだ。崖の先から頭をのぞかせると、今いる場所の左、下方二メートルほどの場所に金属製の格子を確認できる。足を延ばせば何とか届きそうだ。


 私は少し左に移動して、崖のふちに手をかけ、恐る恐る足を延ばしていく。右足の裏に、硬い物体が触れた。崖から飛び出た部分はおそらく三センチほどで、安定しているとはいいがたい。


 続けて、左手を崖の淵から離し、少し左下にある岩のくぼみに持って行った。そして右足をさらに下へと伸ばし、格子の中につま先を入れる。この動作を繰り返して、徐々に下へと降りていく。


 永遠にも思える数分を経て、格子の中をのぞけるくらい、下まで移動することができた。ダクトのサイズは不必要に思えるほど大きく、十分に中を進んでいけそうに見える。ただし、まだ最大の問題が残っていた。どうやって格子を外すのか、という問題が。


 石でたたくとか、細長い棒を隙間に差し込んで梃子てこの原理を使うとか、いくつか方法は思いつく。とはいえ、何も試行しないうちに最適な方法を導くのは難しい。ひとまず、右手以外を崖のくぼみに置いて体を支え、右手で格子を思いきり引っ張ってみた。


 すると、あっけないほど簡単に格子は外れた。金属の腐食が進んでいたのかもしれない。私は役割を失ってどこか滑稽こっけいな格子を持て余し、しばらく観察した後で、眼下の大地に向けて放り投げた。草と土が衝撃を吸収したのか、格子はおとなしく地面に横たわる。


 視線を戻すと、目の前に薄暗い闇が口を開けていた。二十メートルほど先に、かすかな明かりが見える。これからダクトの中を進むという事実に息苦しさを感じたので、何度か深呼吸を繰り返し、外気を肺に充満させた。


 意を決して、中へ進む。

 ダクトの中は密閉度が高く、自分の行動で生じた音がもれなく反響した。数メートルも進まないうちに、自分の呼吸が荒くなっていることに気が付く。きっと、正面に明かりが見えていなければ、早々に引き返していただろう。


 緊張と暑さで汗が滲んだころ、明りの上にたどり着いた。ダクトに設けられた網目状の穴を通じて、部屋の様子が一部観察できる。床に赤い絨毯の敷かれた部屋は、見える範囲に構造物を持っていない。


 しばらく耳を澄ませてみたものの、人の気配もなかった。手元の留め金を外し、網目状の部分を下へ開く。頭をのぞかせて、再度人影がないことを確認。床に飛び降りた。着地音はほとんどならない。


 部屋の中は殺風景で、正面――おそらく共有スペース側にあたる――と、左手に一つずつ扉があった。唯一の構造物は、部屋の中央付近に設けられた螺旋階段で、とってつけたような印象があるその階段が、もしかすると、マルガリータが逃げた経路かもしれない。正確には分からないけれど、ちょうど、数分前アデリンたちと遭遇した部屋の真下あたりに位置しているような気がする。


 確認のため、階段の方へ近づき上部を見上げてみた。螺旋の先は天井の穴へと続き、最上部は蓋をされている。何らかの仕掛けによって上部が開き、上へ登れる仕組みになっているのだろうか。スイッチのようなものがないかと、ちょっとあたりを見渡してみたけれど、それらしきものは見当たらない。


 ただ、確かな証拠はなくとも、自分の中では結論が出ていた。マルガリータはこの部屋に逃げてきた、と。


 彼女の姿を求め、ダクトの伸びた先に至る扉を開けると、通路のような場所に行き当たった。先ほどの部屋と打って変わり、あたりの色彩は、クリーム色がかった白色で統一されている。通路の右手――おそらく庭園側にあたる――には、数メートル間隔で扉が五つ並んでいた。いずれの扉にも、大きく数字が印字されている。


 病院。というのが、頭に浮かんだ第一印象だった。住人の診察が屋敷内で行われている、と耳にしたこともすぐに思い出し、ほぼ確信に至る。試しに右前方にある5と記載された扉を開けると、部屋の中央に革張りの診察台が配置されていた。奥の壁は、中央部分をディスプレイが横断している。

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