大山崎に歴史の蓄積の入り口が……(大山崎町歴史資料館)。

京都から淀川を下ると大阪府との府境に大山崎町というところがあります。


東海道新幹線に乗っていて、京都と大阪の間で小豆色の電車(私鉄)を追い抜いた経験がある方もいらっしゃるかもしれません。


この大山崎では、天王山という山が淀川岸に迫っているので陸地がとても狭く、東海道新幹線と阪急電車、JR在来線、国道171号線が並走しているんです。

特に、この区間では東海道新幹線と阪急電車の線路が同じ高架となっています。


また、サントリーの「山崎」というウィスキーが有名ですが、それもここの蒸留所でつくられています。趣ある建物の光景がCMにも使われてましたが、阪急やJRの車窓から見ることができます(学生の頃、その工場の中でバイトしたことありますよw)。


山崎の土地で、歴史的に最も有名なのは「大山崎の合戦」でしょう。

明智光秀が豊臣秀吉に敗れたアレです。小学校の日本史でも出てきそうな有名な合戦ですね。

今でも勝負のヤマを指して「天王山を迎える」というのは、ここの天王山の山のことです。


さて。


私は平安時代を舞台にしたファンタジー小説を書いているのですが、古代は古代でここに「山崎津」という川湊があったことで知られています。


「土佐日記」で、土佐から京都に帰る一行が立ち寄ったことで知られています。古来淀川の水運において重要な場所でした。


私の執筆中の平安ファンタジーでは、大阪で生まれ育ったお姫様が京の都に呼び寄せられることになっています。で。土佐日記に倣って、この山崎津で下船し陸路をとる場面から物語が始まるのです。


そこで。

2021年12月に、この「山崎津」を調べるため大山崎町の歴史資料館を訪問しました。


この大山崎町歴史資料館。

自治体(しかも「市」ではなく「町」)のもので、入場料が200円、そして独自の建物ではなく商工会議所の2階の一角……。

これだけの情報を知る限り、うーん、失礼ながら「ショボいんだろうなあ……」という気がw


2021年の12月といえば、コロナの第5波が収束して、オミクロン株がまだ海外ニュースだった時期です。

「ショボそうな資料館」に京都から阪急電車に乗って出かけるのはあまり気乗りしない一方で、いずれオミクロンが日本でも大流行して第6波になることも予想できたので、「今のうちに行っておかなければ……」と重い腰を上げてお出かけしました。


阪急大山崎駅は普通列車しか止まらない、改札が一つだけの小さな駅です。周囲も普通の住宅街……よりも……鉄道の高架や町工場みたいなのがあるので、ややごみごみした雰囲気ですかね……。

史跡という風情はほぼ皆無──。

し・か・し! それがかえってとても興味深い訪問となりました!


まずは、そのショボいんじゃないかとナメていた歴史資料館。これが、山崎津を知りたいという私のニッチな要求に対して、たいへん満足のいく展示だったのです!


奈良時代から平安時代ごろの当時の出土品と言う手堅い展示もありましたが……私が、とーっても嬉しかったのがジオラマ!


私の小説では、「山崎津」で上陸する主人公一行に事件が降りかかってきて、その騒動が小説の導入部となるのですが……。

いかんせん、「土佐日記」に山崎津の街の様子が詳しく書かれているわけではありません。また、「船溜まり」の遺構が発掘されたそうですが、ネット上では文字以上の情報も特にないのです。まあ、マイナーな名所ですからね……。


全体的に資料不足でイメージが掴みにくい……。そんな状態のまま、登場人物の背景として描写の必要に迫られるたびに、いちいち乏しい材料から想像を無理矢理膨らませていたのです。


それ自体も不安ですが、自分一人の頭の中で整合性のある想像が展開されているかも心配で……。書いていても「これでいいんだろうか?」ともやもやは膨らむばかり。


たとえば……。私の小説では、主人公たちは船溜まりに停泊中に盗賊に襲われるんですけど、「じゃあ、山崎津にいるであろう国の役人・衛士はどうしてたの?」とか「何隻くらいの船が接岸できるの?」とか「隣接する船から賊が乗り移ってくることにしたいんだけど、船溜まりで各船はどの向きで並んでたの?」とか……。


タイムスリップしてリアルな光景を目にしたいとさえ思ったほどです。


そんな私にとって、模型で「山崎津とはどんな場所か」を見せてくれるのは大助かりでした!


山崎津には官庁があり、人家も多く、北東に街道が整備されています。船溜まりも思っていた以上に広く、ジオラマの船の模型の配置からすると、進行方向の先頭を陸地に向けて接岸しているようです。


平安時代の船がどのようなものであったか史料がほとんどなく、船舶史研究の空白地帯だそうです。外洋を渡る遣唐使船のような大型船が復元されているの奈良の博物館で見たことがありますが、淀川を遡上する船がどのようなものかネットで調べても分かりません。


しかし、ここの資料館のジオラマでは、船室が備わっている比較的大型の船もありました! 私の小説でも船室を登場人物が出入りするので、船室には存在して貰わないと困るんですよw(ファンタジーなので必ずしも史実通りにすることはないのですが、できれば歴史に近づけたい……)。


このジオラマを目にしたことで、山崎津の光景について細部まではっきりした具体的なイメージを持つことができました。背景のイメージが色濃くくっきりしたものになったおかげで、自信を持って登場人物を動かせるようになりました。

ありがとう、ジオラマ!

ジオラマ、ありがとう!


大山崎町歴史資料館には私以外のお客はいなかったので、思う存分「ひゃっほう!」と歓喜にむせんで小躍りしておりましたw


なお。

先も述べたように、この山崎は「山崎の合戦(明智光秀VS豊臣秀吉)」の舞台です。もちろんそれ関係の展示もあります。


といいますか。

そもそも、この歴史資料館のサイトによりますと、常設展示は「古代コーナー、中世コーナー、山崎合戦と待庵・利休のコーナー、近世コーナーという構成」となっています。

私は「山崎津」のジオラマをくっきり記憶に焼き付けて自宅に戻りたかったので、あえて他の時代は見ませんでした。

けれども、それは私の目的がマニアックというかニッチなだけで、Googleの口コミでは「山崎の合戦」や「利休の茶室」を目当てに来られることが多いようです。


大山崎町歴史資料館の常設展示案内 http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kyoikuiinkai/rekishi/rekishishiryokan/11.html


*****


さて。古代の山崎津を調べに来て、そして予想以上の収穫が得られて大満足の私ですが。


京都市内の自宅から、わざわざ阪急電車に乗って大山崎に来た目的はもう一つ残っています。


それは「現地を見る」というものです。


私が書いているのは平安「ファンタジー」小説ですし、歴史考証はしたくても力及ばないところが多々あります。ですが、たった一つだけ読者様に胸を張りたいのは、「関西在住の私が実際に見たことのあるものを書いている」という点です。


京都御所の特別展も行きましたし(写真を二百枚くらい撮りましたw)、寝殿造を今に伝える仁和寺・大覚寺にもいきました。内裏跡はそもそも生活圏ですし、「平安京創成館」とか「源氏物語ミュージアム」などの資料館にも行っています(その他いろいろ取材?に出かけた見聞記をここでも書いていきます)。


私の小説では「大阪出身の少女がこの山崎津から京の都をはるかに望む」というシーンがあります。ここは頑張って川べりから京都方面を見つめなければ!


しかし、地図上ではすぐそばにある川べりに辿り着くまでがワイルドに大変だったのです……。


続く



2023年1月12日追記

この取材をもとに、平安ファンタジー活劇は「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」を書き終えました!

↓ぜひ、お読みくださいませ!

https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393



2023年12月3日追記

このエッセイの更新ができていなくてスミマセン。

この間に、鷲生は日記エッセイを始めました。

そちらで日記の形で歴史ファンタジーの資料や取材記をつづっております。

どこからでもお読みいただけるので、ぜひどうぞ!

「京都に住んで和風ファンタジー(時には中華風)の取材などする日記」

https://kakuyomu.jp/works/16817330661485429107


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