お父さんは漫画家だった

澤田慎梧

お父さんは漫画家だった

 小さな斎場に、僧侶の読経と弔問客の忍び泣きの音だけが響いていた。

 祭壇に置かれた遺影の中では、中年男が不器用な微笑みを見せている。


 ――そう。今行われているのは、私の葬儀だった。

 一体なんの因果か、幽霊となった私は、自分の葬儀を斎場の隅から密かに眺めているのだ。


「本日は、故人の為にお集まりいただき、誠にありがとうございます――」


 焼香などが終わると、喪主である妻から弔問客へ向けての挨拶が始まった。

 昨晩は沢山泣いてくれたのか、妻の目は酷く赤い。

 思えば、妻には苦労ばかりかけてしまった気がする。生きているうちに、もう少し労りの言葉を送るべきだったと、今更ながら後悔する。


 生前の私は、プロの漫画家だった。

 売れっ子ではなかったが、幸いにして仕事が途切れたことはない。家族を食わせるのに困らない、まずまずの稼ぎを得ていたと思う。

 けれども、私は家庭には決して仕事を持ち込まない主義で――そして生活の殆どを自宅外の仕事場で過ごしていたので、決して良い夫、良い父ではなかったはずだ。


 娘には、私の作品を読ませることはおろか、筆名を教えることすらしなかった。基本的に、身内で私の仕事の内容を知っているのは妻だけだ。

 もちろん、それにはむにまれぬ理由があったのだが……そのせいで、娘と私との間に「壁」ができてしまったことは確かだろう。

 思春期を過ぎた頃から、娘は私と目を合わせることも殆ど無くなってしまった。全く酷すぎる父親だった。


 しかも、私の最期は宴会中に飲みすぎて転倒し、頭を強打してそのまま逝ってしまったという、間抜け極まりないものだ。

 今、妻を支えるように傍らに立っている娘の表情は、感情の消え失せたそれだった。きっと私の死に様に、呆れ果てていることだろう。


 しかし――。


「――ここで、長女のみさおからも、皆様へのご挨拶と……故人へのメッセージを送らせていただきたいと思います」


 ここで、妻が意外な言葉を口にした。

 弔問客への挨拶はともかく、娘が私へのメッセージを……?


 娘が妻に代わりマイクの前に立つ。まだ大学を出たばかりだが、その立ち姿は実に堂々としている。

 そのまま、そつなく弔問客への挨拶をこなし、そして――。


「お父さん。……こうやって呼ぶのは何年ぶりでしょうか? そもそも、ここ数年はまともに会話すらしてなくて、今はそのことを深く後悔しています」


 娘の声音に、既に無いはずの心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。

 ――泣いていた。娘の操は、声を震わせ涙していた。「悲しんでなどもらえないんじゃないか?」などと思っていた自分を、殴りたい気持ちでいっぱいになった。


「――後悔と言えば、もう一つ。生前、お父さんに伝えようと思って、どうしても伝えられなかったことがあります」


 娘のメッセージは続く。

 ああ、私もお前に伝えたいことが沢山あったんだ。私からお前に伝えることはできないけど、お前からのメッセージはこうやってしっかり聞いているぞ。さあ、話してくれ!


「お父さん。貴方は私にお仕事のことを一切教えてくれませんでしたね。絶対に家庭へ仕事を持ち込まなかった。でも、実を言えば。お父さんのペンネームも、作品も、全て」


 ――なんだって?

 娘の言葉に、既に無いし動いてるはずもない心臓が止まるような驚きを覚える。

 操が私のペンネームも作品も全て知っていた? え、ちょっと、ちょっと待って、待ってくれ。それはちょっと――いや、かなりヤバいのでは――。


「お父さん――いいえ、絶林寺千摺左衛門ぜつりんじ せんずりざえもん先生。

 『爆乳忍法帖』シリーズ、楽しかったです。超おゲレツだったけど。

 『ドキッ!? 水着だらけのドスケベエルフ村』シリーズは、結局未完で終わっちゃいましたね。超展開の連続で毎回お腹が痛くなるほど笑いましたけど、なんでエルフで水着だったのか、謎が残ってしまいました。

 『リバリバ・オトコノコ!』では、男のという新ジャンルに挑戦しつつ、受け攻めが目まぐるしく変化する斬新な構成にチャレンジしていましたね。お父さんの守備範囲の広さに、改めて驚かされました。

 他にも『団地妻転生~異世界童貞百人斬り』とか『銀河巨根伝説』とか……いずれも個性際立つ作品ばかりです。

 ――正直、お父さんの性癖は全くこれっぽっちも理解できなかったけど、どれも面白かった! 『私のお父さんは凄い漫画家なんだ!』って思ったよ。

 ごめんね、お父さん。生きている内に、言ってあげられなくて……」


 ……愛しい娘よ、出来ればそれは、生きている内だけでなく、死んだ後にも言わないでおいてほしかった。


 いつしか、斎場の中の忍び泣きは忍び笑いへと変わっていた。

 妻は、娘がまさかこんな話をするとは思っていなかったらしく、顔を真っ青にして口をあんぐりと開けている。


 そんな、天然すぎる娘が巻き起こした大惨事を前に、私は「今すぐ死にたい」と心の底から思ったのだった。


 もう死んでるけど。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お父さんは漫画家だった 澤田慎梧 @sumigoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ