第19話

食事の準備、片付けなどは仲居が行う。

食後の猫たちは色売りが始まる時間までの間もまた、自由に過ごしていた。

客に見せる顔を整える猫。演技の練習をする猫。身体を休ませる猫。特に何も考えずに過ごす猫…それぞれだ。

普段ならば心の準備をする群青だったが…食堂での石黄が気にかかり、ぼんやりと口を開いた。

「石黄は何故、あのような…猫、なのだ」

『猫』と呼ぶことに息が詰まった…柳がくすりと笑う。

答えたのは紅梅だ。

「性格だろう。何代も猫の血を受け継いだ貴族の家系…血統書付きの御坊ちゃま。甘やかされて育ったのだろうな」

「罵詈雑言も虚言も、何だって許されていたのでしょう。このわたしよりも性格が歪んでいるとは、貴族で育つのもろくなものではない」

嫌味を吐いて頬杖をつく柳に群青は目を伏せる…自虐を含んではいるものの、笑える言葉ではない。

それは紅梅も同様で…小さく溜息をつき、談話室を見渡す。

「無論、そんなことばかりではないだろうが…あんな奴だからな。同じ班の猫からも嫌われている。あいつと友に成りたがる猫が居るとしたら、そいつは臆病者か卑怯者だ…哀れな奴だよ」

「…群青様。まさか、石黄様のことがお気に入りですか?」

暗い顔で俯く群青へ柳は問いかける。

「…いや」

「でしたら何故心配なさる。貴方はあの猫に散々罵倒されておりますでしょう…あれを調教と受け取っておられるのでしたら、考えを改めるべきかと」

「…石黄は。あの猫…猫は」

猫。

何度か吃りながら、群青は小さく呟く。

「……あれは、虚言など言っていない」

「…虚言」

紅梅は単語を鸚鵡返しして…す、と群青に身体を寄せ、長い白髪の隙間から、俯いた顔を覗き込む。

「虚言というのは…先刻の」

「優秀な成績の猫は、御主人様に願いを叶えていただける…という、あの戯言ですか」

割り込んだ柳が問い掛ければ。

群青は頷いた。

「…俺も、同じことを…」

紅梅は背筋を伸ばす。

「…何故。私はそんな話など聞いたことがない」

「わたしもです。夢でも共有いたしましたか?」

「群青、貴方も…檳榔子様ご自身から聞いたのか。夢幻ではなく?」

「……」

疑いの言葉を幾つも向けられたせいではない…群青は自身が口走った言葉を後悔した。

しかし、石黄に向けられた疑惑や軽蔑を少しでも払拭したいと思ってしまった。それができるのは、同じ言葉をかけられた自分だけだと思った。

だから群青は、追い込むように問いかける紅梅と柳に、小さく首を横に振った。

夢などではない、と。

「…俺も石黄も、嘘は吐いていない」

「……それは」

「それは一体どのような選別で、群青様?」

は、と群青が顔を上げれば。

ぎらりと見開いた柳の緑の瞳と目が合った。

怒り。

或いは嫉妬。

それとも悪意か。

紅梅もその異様に気がつく。

「…柳。選別など」

「あるわけありませんよね。御主人様がそんな不平等なことを行うわけがない…ですがどうして、わたしたちには聞かされぬお話が、貴方や石黄様には伝えられているのです」

わざと。声高々に。演説するように。この談話室の猫たちに言い聞かせるように。煽り立てるように。

「あの性悪な石黄様と…新入りの貴方に、何の共通点がありましょう。ええ。一体何故?」

「柳、やめないか」

「すまん」

…焦る紅梅の制止の声に重なる群青の謝罪。

柳は目元を引き攣らせる。

「…何故謝るのです」

「…俺は、紛い物」

「紛い物が純粋な猫より評価を受けたと?」

「柳!」

「俺のことはどうとでも言え、柳。だが」

群青はふらりと立ち上がる。

項垂れた顔。垂れた前髪の隙間から、群青色の暗い瞳が覗く。

「…檳榔子様のことだけは」

「誰が御主人様を否定すると」

柳はぎらぎらとその目を睨みつけ、心底邪悪に笑って見せる…群青は目を閉じた。

「…すまん」

無意味な謝罪を呟き、群青は談話室を去った。

追いかけようとした紅梅を柳が止める…紅梅は不快な顔で振り返る。

「…柳。一体、お前は何を」

「紅梅様こそ…腹が立ちませんか」

「は」

「何故あの人間もどきと、血統だけが売りの成金猫などが…最上の貴方を差し置き、御主人様から特別なお言葉を頂けるのか、と」

柳のその顔を見た紅梅は、一瞬目を見開き…やがて目元を歪ませ、口角を下げ、嫌悪を露わにする。

「お前…」


×


廊下にて、群青は石黄と出会す…石黄の不快げな表情から、群青はすぐに、全て聞かれていたと察した。

その通り、石黄は群青を見るなり深く溜息をつき、わざと大きく足音を立てて歩み寄り、群青の前に立ち…壁際まで追い込む。

俯いた顔。

石黄の背は低い。

柳とあまり変わりない。

小さな男だ。

「…あの牝といい、君といい、紛い物は節介が過ぎるんだ」

「石黄、お前は…」

「僕だけだと思ったのに」

「……」

「年増…群青だったか。いや、年増で良い」

顔を上げた石黄と目が合う。

ぎらりと睨む黄色の瞳。

しかし、思っていたよりも穏やかな眼差しだった。

「…猫は猫を庇ったりしない。それはあの下等な…人間がやることだ。お前は人間じゃない。猫なんだ。いい加減自覚しろ。年増」

「…石黄」

「二度と僕を庇うなよ。この高貴な僕に、惨めなざまを晒させるな」

それだけだ…と、石黄は群青に背を向けた。

群青は手を伸ばす。

石黄の手に触れ。

「お前も…お前も苦しんだのか、石黄」

「触るな、紛い物‼︎」

ぱん!

軽い音が廊下に響く。

石黄は青ざめた顔で後ずさると、逃げるように走り去った。

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