晴れて騎士になったので、魔王討伐に参加しようと思います。

 ――『魔王』。



 その名は人々に恐怖と共に呼ばれ、生き物に死へと誘うとされる。

 形は一つ目、半透明の浮遊体。

 『魔王』はその身体を、まるでマントのように大きく広げることで世界を覆い、陽の光で満たされた地を漆黒に染め、身体から異形の群れを吐き出し生き物を襲う。


 魔王が生み出す異形たちは、体を壊しても心臓を突き刺しても再び動き出し、彼らの動きを止めるには、身体の何処かにある核を砕かねばならない。

 首なしの騎士に、人の生き血を啜る化け物――死者の軍隊は自らの意思を持たず、ただひたすら生あるものの命を奪い続ける。


 魔王の存在は古く、古い文献ではクリスタロス王国の建国の頃――つまりは千年以上前から存在している。

 前回魔王が現れ、剣聖に倒されたのが八〇年前。

 そして魔王は三カ月前、再びこの世界に現れた。

 その魔王を倒すため、異世界から招かれたのが『光の聖女』アカリ・ナナセだ。


 この世界には必ず一人、どの国にも一つの魔法属性に対し適性を持つ、強い魔力を持つ人間が生まれるが、『光の聖女』は魔力が多く光属性に適性を持つだけでなく、この世界に一人しか持ちえない特別な力を持つとされる。


 力の名は『加護』。

 清らかな祈りは神の心をも動かし、魔王と戦う者に光の加護を与えると言われている。

 もともとこの世界における光魔法は、回復や力の循環、防御といったものに用いられているが、他の属性と比べ決定的に異なるのは、闇属性に対し唯一侵蝕を防ぐ力を持つ点である。


 風や土、水や火など――戦うというだけであれば、光属性以外でも魔王と戦うことは可能だ。

 しかし魔王を倒すためには、その反対となる光属性の魔法で自らを守りながら戦わねば、接近戦の場合体が腐るという事例が過去に多々報告されている。

 魔王討伐――クリスタロス王国騎士団で、現在そう呼ばれている訓練は、日に日に少しずつ巨大化する魔王の現状を把握することと、まだ力を使いこなせないアカリに、『加護』を使いこなさせるための訓練でもある。



 陽の光に弱い魔王が、最も動きの鈍くなる正午。

 ローズも含めた騎士団の一行は、魔王討伐のため道を歩いていた。

 魔王に感づかれないよう、一定の距離までは馬や馬車で移動するが、それ以降は徒歩での行軍となる。

 討伐隊は『光の聖女』を守るために隊列が組まれ、ローズは彼女を後ろから守る形で配備されていた。


「こんにちは! ローズ様!」

 ローズと共に後方を守るのは、ローズにこの討伐のことをうっかり教えてしまったアルフレッド・ライゼンだった。

 彼は公爵令嬢であるローズに対して、一切の物おじはぜず、太陽の様な笑顔をローズに向けて挨拶した。


「こんにちは。ライゼン」

 ローズが返事をすると、彼はふふと笑う。

 ローズはアルフレッドの方に挨拶をした際、とある少年を見て少し驚いた。

 アルフレッドの隣には年若そうな長身の騎士が居り、何故か目を瞑ったまま歩いていたのだ。

 鼻筋の通った長い睫毛の美少年は、こくんこくんと頭を揺らしていた。

 立ちながら眠る――器用すぎる彼に、ローズは少し動揺した。


「こいつのことは気にしないでください。いつものことなので。……ああ、安心してください。戦闘が必要になれば勝手に起きるので」

 いろいろと野性味が凄い。本能にしたがっていきているんだろうかとローズは思ったが、口に出さず彼女は言葉を飲みこんだ。

「そう。……なら、安心だね」

「はい」


 気遣われることが多いローズが、珍しく他人に気を遣った瞬間。

 これでは話が繋がらない。ローズは黙って、前方へと顔を向けた。

 ローズの位置から斜め前、数列前にユーリの銀髪が見えた。昨日は髪を下ろしていた彼だが、今日は赤い紐で髪を結っていた。


 その隣には、『光の聖女』アカリ・ナナセがいた。

 アカリ、ユーリと並びその隣には、子どもの様な体格の団員がローズには見えた。

 彼の軍服は、他の団員とは少し違っていた。袖は通常の軍服よりやや大きく広がり、裾は膝の長さほどまで伸びている。

 ……誰だろう? ローズがそう思っていると。


「聖女様が気になりますか?」

「え?」

 アルフレッドがローズに訊ねた。


「ローズ様、ずっと前を向いているようだったから」

「……まあ。少し、気になって」

「そうですか。では、僕が知っている情報を、特別にローズ様に教えちゃいますね!」

 アルフレッドは、ぐっと胸の前で両手を握る。


「光属性の魔法においては、流石『光の聖女』というだけあって、特出した才能をお持ちみたいです。あとその力のお蔭か、動物に好かれる体質みたいですね。ただ、美形が好きなんじゃないかな? って思うことはよくあって……。今回の討伐でも、護衛の選出は自分で行われたみたいです。綺麗どころ可愛いどころばっちり集めましたって感じで壮観ですよ」


「……よく知っているんだね」

 ローズは苦笑いした。

 美形が好き……自分の周りに好みの顔ばかり意図的に集めるなんて話を聞くと、どう反応していいかわからない。

 因みに今ローズを囲んでいるのは、筋骨隆々な歴戦の戦士――いや、騎士ばかりである。


「盗み聞きならお任せください!」

 褒められたアルフレッドは元気よく言った。

 それはどうなのか。ローズはまた反応に困ってしまった。


「でもかといって、あまり男性に自分から話しかける人ではないみたいなんですよね。静かに一人で過ごすのが好きみたいです」

「リヒト様には、ベタベタ触っていらっしゃったようでしたが……」

 ぽつりローズは呟く。

 やはり二人は特別な関係、ということなんだろうか。そう考えると、ローズはちょっともやっとした。



 その頃ユーリはというと、アカリの隣を歩きながらも不満げな顔をしていた。


「自分もローズ様をお守りしたかった……!!!」

「ユーリ。ローズ様は貴方に守られなくても大丈夫です」


 今自分は不幸です。そんな声音で愚痴をこぼすユーリに対し、隣を歩いていた小柄な少年は冷静に述べる。


「……それはわかってる」


 そもそも負けたばかりだ。両手で顔を覆っていたユーリだったが、現実に引き戻されてついつい真顔になる。そんなユーリを見て、彼は呆れた声で名前を呼んだ。


「……ユーリ」

 『地剣』――ベアトリーチェ・ロッド。二六歳。

 クリスタロス王国騎士団副団長。

 年齢のわりにずいぶん小さく幼い顔だちだが、ユーリよりも年上だ。


 ユーリの『天剣』の名は、その頃から『地剣』と呼ばれていた彼を倒したことに由来する。

 森の木陰を思わせる茶色の髪と、新緑の瞳。

 誰にでも丁寧な言葉で話し、見た目の割に落ち着いた雰囲気。

 ユーリ入団時は戦った仲であるが、今の彼はユーリとともに騎士団の双璧を担う、ユーリの良き相棒だ。


「ローズ様に何かあったら、ミリアに殺される」

「ああ、確かその名前は貴方の従妹の……って。ユーリ、子どもみたいな言い訳しないでください。それにしてもその怖がりようは――過去に何かあったのですか?」


「昔、街で人気のケーキを内緒で買ってきてローズ様に差し入れようとしたんだが、転んでしまって顔に……その、ケーキをぶつけてしまったことがあって」

「…………」

 どじっこか。ベアトリーチェは内心ツッコミを入れた。


「ローズ様は、笑顔で俺を許して下さったが、後でミリアにぼこぼこにされた」

 ぼこぼこ。

 見目の良い青年にしてはこどものような表現に、ベアトリーチェは少し複雑な気持ちになった。

 ユーリの精神年齢は、おそらく実年齢よりやや低い。


「剣なら勝てるだろうが、素手では敵わない。俺は女子どもに剣を向けるのは嫌いだし、アルグノーベン家は元々、身体強化魔法の家系だから……」

「なるほど。それで昨日は、『ゴリラ戦闘系メイド』と」


 過去の記憶を思い出したのか、手をわなわなと震わせるユーリを見て、くすくすと彼は笑った。


「しっ!」

 そんなベアトリーチェに対し、ユーリは右手の人差し指をさっと自分の唇に当てて言った。

「ローズ様がいらしている。ミリアが近くに居ないとも限らない」

「……流石に騎士団の任務です。つけては来ないでしょう」


 ベアトリーチェは溜め息を吐いた。

 常識のある人間ならついては来ないし、大体ユーリの幼馴染が、ユーリが居るのについて来ているとしたら、それはユーリが幼馴染ミリアに信じられていないことと同義だ。


「――いや」

 その事実に気付いていないユーリは、顔を顰めて話を続けた。


「ミリアなら有り得ない話じゃない。今、こうやって俺がローズ様ではなく聖女様を守っているのも、後から何と言われるか……」

「ユーリ」


 ベアトリーチェは、騎士団長という立場にありながら、ミリアに怯える彼を見て大きな溜め息を吐いた。

「貴方、心配もほどほどにしないと、胃に穴が空きますよ」


 年上の部下に窘められ、ユーリは閉口した。



「団長と副団長は、何を話していらっしゃるのでしょう……?」


 ユーリと反対側のアカリの隣には、ローズを以前捕縛した、柔らかそうな茶髪に茶目の若い騎士が歩いていた。

 アカリそっちのけで談笑する二人を見て、幼い彼は自分はどうすべきなのかと困惑していた。


「あの」

「――はっ。はい!」


 話しかけられて、声を裏返す。

 アカリはそんな少年の動揺に気遣うわけでもなく、質問を続けた。


「……あの。後ろにいる長髪の方は、一体どなたですか?」

「あの方は――……」

 少年は後方を振り返った。

 数列後ろには、髪を高く結ったローズが歩いていた。


「公爵令嬢ローズ・クロサイト様です。昨日、騎士団に入団されました」


 少年はにこりと笑って答えた。

 少年は、アカリが自分に笑顔を向けてくれる期待していたわけではなかったが――自分の答えを聞いて走り出したアカリに、思わず叫んだ。


「……聖女様!?」

 二つ隣りを歩いていた部下の声に気付いたユーリは、自分の後ろを歩いていた騎士の右肩にとんと一度手を載せ反動を利用して跳躍すると、ローズの前に着地した。


「何をなさるおつもりですか!」

「……!」

 アカリがローズの元に辿り着く前に、ユーリはローズを庇うようアカリの前に立ち塞がり剣を構えた。


「ユーリ……?」

 アカリはユーリを見上げ、唇を引き結んだ。事態が読みこめないローズは目を瞬かせた。

 これでは、守るべき相手が逆だ。


「……庇う相手を間違えていますよ。私を守ってどうするのです?」

 すぐに彼の誤りを指摘する。

 ローズの言葉で自分の失態に気付いたユーリは、剣を収めて謝罪した。


「……も、申し訳ございません」

「――ユーリ」

 駆け足で駆け付けたベアトリーチェが、背後から冷ややかな声で彼の名を呼んだ。

 ユーリはおそるおそる彼の方を振り返った。


「貴方は、聖女様の護衛でしょう」

 先程の言動のせいもあってか、ベアトリーチェの声は明らかに怒っていた。


「はい……」

「みなの手本となるべき貴方が、何をやっているのですか?」

 両手を組み、冷めた目で自分を見つめる相棒に、ユーリは何の弁解も出来なかった。


「――騎士に、なられたのですね」

「はい」


 ユーリがベアトリーチェに捕まり、漸く向き合ったアカリとローズは、お互いのことを真っ直ぐに見つめていた。

 片や婚約破棄の原因、片や婚約破棄された公爵令嬢。

 そんな二人の対面を騎士たちは止めることも出来ず、緊張した面持ちで見守っていた。


「……それが、貴方が仰っていた、この国の為の行動ですか?」

「はい。私は、この国の為に戦います」


 アカリの問いに、ローズは淡々と答えた。

 高く結われたローズの黒髪は、彼女が少し顔を伏せたのに合わせて優雅に揺れる。


「これから宜しくお願い致します。アカリ様」

 ローズは友好の意を示すために、アカリに右手を差し出した。

 公爵令嬢としてではなく、彼女を守る騎士として――これから国を守るために共に努力したい。

 それはローズにとって意思表明だったが、アカリはローズが差し出した手を叩き、甲高い声で叫んだ。


「わ、私に触らないでください! 私は、この世界を守る『光の聖女』です。貴方に言われなくても、私がこの国を守ります!」


 怯えと、怒気。

 アカリの声は、いくつかの感情が入り混じる。


「……そう、ですか」

 ローズは、叩かれて少し赤くなった手を下げた。

「突然触れようとして、申し訳ございませんでした」

「…………」


 誰がどう見てもアカリに非がある。

 けれどローズは、深く頭を下げて謝罪した。

 アカリはきゅっと唇を引き結ぶと、くるりと方向転換して、何も言わず元いた場所へと戻っていく。

 ベアトリーチェはアカリが戻るのを見て、ユーリへの叱責を止め彼を連れてアカリを追った。

 アルフレッドはそれを、どこか冷めた目で見ていた。


「なんだか、いや~な感じ、ですね」

「…………」

「聖女様っていうより、悪女様って感じ」

「…………」

「ローズ様?」

 ローズは、アルフレッドの言葉に無反応だった。

 不思議に思ったアルフレッドは、差し出した手を見て固まるローズを、しゃがんで下から覗きこんだ。

「拒否されたの、そんなに悲しかったんですか?」



「ほら。ユーリ、行きますよ」

 ベアトリーチェに引きずられるようにして隊列に戻るユーリは、遠くなるローズの姿を見て悲しくなった。

 どうして自分の思い人に対し暴言を吐くような少女を、自分が守らなくてはいけないのだろうか。

 その思いはユーリの表情にも表れてしまっており、ベアトリーチェは戻る最中も、ユーリに苦言を呈さねばならなかった。


「ローズ様が気になるのは分かりますが、今のあの方は騎士の一人に過ぎません。自分の立場を自覚してください」

「……」

 ユーリだって、それは分かっている。けれどさっきのようなことがあると、余計にローズのことが気になって仕方がなかった。

 ローズが悲しい顔をしなくていいように守りたいのに、力の及ばない自分が不甲斐ない。


「大丈夫です。あちらには私の弟も居りますし、ローズ様が怪我をするようなことは有り得ません」

 そんなユーリだったが、溜息の後にベアトリーチェが口にした言葉を聞いて、安堵したように息を吐いた。


「――ああ」

 ユーリにとって、ベアトリーチェの信があるということは、一定の安心ラインはクリアする。


「ビーチェがそう言うなら、大丈夫だろう」

 ベアトリーチェは、やっといつもの『騎士団長』の顔に戻ったユーリに、ほっと息を吐いた。だからこそ彼にしては珍しく、ベアトーチェはアカリの呟きを聞き逃した。


「どうして? ……『悪役令嬢』が、騎士にだなんて」

 『光の聖女』はそう言うと、苦虫を噛んだような顔をして、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……『悪役令嬢』?」

 アカリの隣を歩いていたユーリは、アカリの呟きに一人首を傾げた。



 ほどなくして、一行は魔王討伐訓練の観測地点に到着した。

 それはローズにとって、初めての『魔王』との出会いだった。


 ――なんて深い漆黒。大きさ。……どうして見ているだけで、心の奥底から冷えていくような感覚があるの……?


 ローズは彼方の空を見上げた。

 ローズにとって『魔王』は、これまで未知の存在だった。


 国を、世界をも脅かす強大な闇の力。

 その集合体である物体は、はるか上空を揺蕩い、まるで神のごとき大きさで、空を覆い尽くしていた。

 中心には赤い球体が浮かんでおり、黒い体に赤く浮かぶそれが、なんともアンバランスで気味が悪い。


「……あれが『魔王』ですか。気味が悪いですね」

 アルフレッドは眉を顰め、静かに感想を述べた。

 いつもおちゃらけているように見える彼だが、真面目な表情をすると凛々しく感じられるからローズは不思議だった。

 その瞬間、彼の隣を歩いていた少年が船こいでいた首の動きを止め、ゆっくりと瞼を上げた。

 魔王を見つめる彼の瞳は、夜に光を映したガラス玉のようにきらりと光る。


「――危ない。……来る!」


「え?」

 少年が、呟いたまさにその時。

 停止したはずの魔王の核がぎょろりと動き、ローズたちめがけて黒い手のようなものを伸ばした。


「なっ!!」

 魔王が遠く離れた人間に限定し、攻撃を放つ。

 それはこれまでの討伐作戦で、一度も起きなかった事態だった。騎士団の誰もが驚き、ざわめき、動揺して声を上げた。

 こんなことは有り得ない。

 ベアトリーチェは、慌てる部下たちに向かって冷静に命令した。


「動揺するな! 訓練通り、列を乱さず、下がれ!」 


 いつもは大人しく、静かに佇む副団長ベアトリーチェの厳しい口調に、騎士たちは動きを止め、後方へ列を保ったまま下がり始める。

 しかし魔王の体が分裂した黒い球体は、ローズとアカリへと向けられた。

 ベアトリーチェは目を見開いた。自分の速さでは守れない。


「ユー」

 『地剣』は『天剣』の名を呼ぼうとした。

 天剣と呼ばれるユーリであれば、アカリを抱えて逃げることも可能だろうと。

 ――けれど。


「ローズ様!」

 ユーリはアカリではなく、ローズの名前を叫んだ。

 自分が指揮をとり、ユーリが『光の聖女』を守る。算段が崩れ、ベアトリーチェの瞳に動揺の色が走る。

 立ち竦むアカリは、動けずに孤立していた。

 進行中ずっと眠っていた少年は、無表情のままアルフレッドを片手で担ぎ上げると、そのまま後方へと下がった。


「――アカリ様!」

 ユーリが自分を庇ってこちらへやってくることなんて、ローズの頭の中には無かった。

 ローズは自身に向けられた魔王の攻撃を避け、一気に加速してアカリの前に立った。

 『天剣』よりも冷静な判断とスピード。

 ローズの行動は、アカリを守るためには正しかったが、同時にその行動は、ローズの命を危険に晒してしまう。


「嫌!」

 アカリは、自分の前に現れたローズの手に、強くしがみついた。

 ローズは体を強張らせた。

 これではアカリを連れて、魔王の攻撃を避けることは出来ない。かといって怯えるアカリが、『加護』を使えるはずがなかった。

 戦うしかない。

 ローズは唇を強く噛み、指輪に嵌められた石に触れ、自分とアカリを守るための魔法を発動させた。

 しかし『光の聖女』の『加護』ではないローズの光魔法は、一瞬は防げこそすれ亀裂が入ってしまう。


「……くっ!」

 ベアトリーチェは、左手に嵌めた腕輪に触れ、剣を握り直し地面に突き立てた。

「大地に祈り給う。土の壁よ、彼の者を守り給え!」


 溢れる彼の魔力は地を伝い、アカリとローズ、二人の前に土の壁を作る。

 しかしそれは、魔王の力を受け腐臭とともにどろりと溶け、ついに魔王の攻撃はローズとアカリへと届こうとしていた。

 ――……もう、駄目だ。

 誰もがそう思った、その時だった。


「え……?」

 ローズの指輪が強烈な光を放ち、二人の前に巨大な赤い魔法陣を浮かび上がらせた。

 魔法は、その属性によって色が決まっている。

 魔法を発動させるとき、魔力は色として可視化される。

 魔王の力を防ぐには、光魔法――つまり白い光が、陣を帯びねばならぬはずなのに。

 二人を守るその強力な魔法陣は、燃える様な赤い色を放ちながら、二人の前に浮かんでいた。

 それはローズも、ユーリも、ベアトリーチェも知らない魔法。


 いや――それは。

 『加護』のみが魔王に対抗できるという考えを、根本から覆す力そのものだった。

 赤い魔法陣は魔王の力を撥ねのけると、形態を変え更に陣を増やし、光の砲撃を魔王に放つ。


 どおおおん!


 激しい音がして、魔王が広げていた体の一部は消滅した。

 魔王は衝撃を受けクラゲのように体を動かしてから、少し縮んで停止した。

 同時に赤い魔法陣は消え、ベアトリーチェは我に返り声を上げた。


「作戦は中止。魔王が再び動き出す前に、撤退します!」


 アカリは、ローズにしがみ付いていた手を離し、へなへなと崩れ落ちた。

 魔王が攻撃してくる――それは彼女にとって、初めての出来事だった。

 ローズはというと、訝し気に目を細め、自身の指輪を見つめていた。


 ――身に覚えのない魔法。あれは一体何だったというの……?

 そんなことを彼女が考えていると、指輪に嵌っていた石に罅が入り、音を立てて割れた。

 石が壊れるなんて普通はありえない。

 急いで駆けつけて来たユーリは、その様を見て目を瞬かせた。


 ――石が魔力に耐えられなかったということだろうか?

 ローズは顔にこそ感情を出していなかったが、幼い頃からローズを知るユーリは、ローズの動揺に気付いていた。


「ローズ様……」

 彼女の名を呼ぶ。返答はない。


「高価なものだったんですか?」

「価値はどれほどかかわかりませんが……」

 ローズは静かな声で答えた。

 他の騎士たちが引き返しているというのに、まだ動こうとしないユーリ達のもとに、ベアトリーチェやアルフレッドが駆け寄ってくる。


「……これは以前、リヒト様にいただいたものです」

 一方的に婚約破棄された元婚約者から貰った指輪を未だに身に着けていて、恋敵を守るために破壊。


「ろ、ローズ、様……」

 場が凍った。

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