二つ名をもらいました。

 騎士団長が直々に入団希望者の試験を行う――異例過ぎるその話は、すぐに騎士団内で広まった。


 正午。

 騎士団の決闘場と呼ばれる場所に二人が現れた時、王国騎士の殆どがその場に集まっていた。

 完全に野次馬だ。

 騎士団長であるユーリは、部下の教育をもっと厳しくせねばと内心溜息を吐いた。


 入団条件は、ユーリに勝利する事。

 その勝敗が気になるのは当然かもしれないが、『剣聖』の孫である公爵令嬢相手に、部下がこれからどんな失言をするかと思うと、ユーリは軽く頭痛がした。


「誰だ。あのちっこいの!」

「ちびっこ頑張れ~~。団長、子ども相手に本気出すなよ~~」

「子どもには優しく! 児童虐待はんたーい!」


 ローズはこの国の女性の平均身長からすれば長身だが、騎士たちからすれば細い体もあって『ちびっこ』同然だ。


 フードを目深に被ったローズの顔は彼らには見えず、彼女の剣もまた、ローブの下に隠れている。

 『聖剣』を見れば、彼らも『挑戦者』が何者か判断できただろうが、悲しいかな――ローズの正体が明らかになっていない今、ユーリの心労は増えるばかりだった。

 ユーリは仕方なく、右耳に付けていたピアスの石に触れてローズへと手を向けた。

 すると風が起こり、ローズのフードをふわりと下ろした。


 ユーリの魔法によって明らかにされた挑戦者の顔は、騎士団の男たちが動揺するには十分だった。

 艶やかな漆黒の長い髪に赤い瞳。

 それはこの世界における強い魔力を持つ者の証であり、魔力の強いものほど王家に近い血を引いている。

 つまりその風貌は、彼女が王族に近い――高い身分の人間であることを物語っていたのだが、新米の無知な騎士や地方出身者は、常識を知らず目を輝かせていた。


「美少年……いや、美少女?」

「騎士団の入団試験に女の子?」

「これであの方が勝ったら、あの女の子、入団してくれるんでしょうか?」

「そういえば、さっき騎士団に潜入して掃除してた子どもがいたって話だったよな!?」

「……なんで掃除?」

「女の子だから、ここの汚さが耐えられなかったんじゃない?」

「あ~~なるほど」


 年若い騎士、合点がいった、という表情。

 老年の騎士たちは、あまりに無礼な後輩たちに蒼褪めて物も言えない。

 だが若い騎士の中にも、一応常識を持つ者は居たらしい。


 ただ常識は知っていても良識は無かった。

 決闘場で読書をしていた眼鏡をかけた小さな騎士は、信じられない、という表情でローズを見つめていた。


「いや待て。あの黒髪と。瞳の色はまさか……」

「お前、何か知っているのか?」

 眼鏡の騎士が口を開こうとした、その時。

 ローズを縄で縛り上げたあの新米騎士が、ぜえぜえと息を切らせて決闘場に駆け込んできた。


「みっ、みんな、落ち着いて聞いて下さい! あの方に対する誹謗中傷は危険です」

「なんでだよ?」

「あの方って……お前がそう言わなきゃいけないほどの相手なのか?」

「そうです。あの方は『剣聖』のお孫様――公爵令嬢、ローズ・クロサイト様ですっ!!!」

 まだ息の荒い彼が声を張り上げると、新米騎士たちは一斉に顔を見合わせ、お互いを指差した。



 漸く外野が静かになったのを確認し、ユーリはローズの方を向き直った。


「それじゃあ、試験を始めましょうか?」

 ユーリがそう言うと、ローブを脱いだローズは、祖父の形見である聖剣をユーリに差し出した。


「貴方が勝てば、この剣は貴方に差し上げます。一つお願いがあります。祖父の遺品とはいえ聖剣で戦うのは卑怯ですから、私がこれから使う剣は、貴方の剣と同程度のものを使いたく思います」

「……相変わらず、愚直なほど真っ直ぐで自分に厳しいお方ですね。この剣なら、私に勝てるかもしれないというのに」


 ローズの言葉に、ユーリは呆れた。

 彼女が知る自分の剣は、もう十年程も前のものだ。

 『剣聖』であるローズの祖父に、ユーリが公爵家で剣を習っていた時期は確かにある。

 だが、人は成長する生き物だ。

 かつてのローズがいつも自分たちの訓練を見ていたとしても、今のユーリをローズが倒せるかと言うと別の話だ。


 十年の時は長い。男女差だってある。体だって、ユーリの方がローズよりも大きい。

 幼い時ならいざ知らず、ユーリはローズに負けることが想像出来なかった。

 ユーリの今の剣は、『剣聖』の剣を自分なりにアレンジしたもの。

 妹弟子であるローズに負けるつもりは、ユーリは毛頭なかった。


「……特別な剣で勝てても、私の価値の証明にならない。私は自らの力を示し、道を切り開く」


 けれど彼女の言葉を聞いて、ユーリは心を改めた。

 勝てる勝てないとか、そういう問題ではないのだ。

 彼女が求めているのは――『自分の力で、未来を変えること』。


「面白い」

 ユーリはふっと薄く笑った。


「私と同じものを、彼女へ」

 ユーリはそう言うと、判定の為に立っていた騎士に、新しい剣を持ってくるように指示した。

 そして自分が持っていた剣を、彼女に渡す。


「この剣は?」

 剣を受け取ったローズは、重さを確かめるように剣を高く上げ振り下ろした。何度かそれを繰り返してから、今度は横に一閃する。


「騎士団で実際に使われているものです」

「なるほど」

 ローズは頷いた。

「聖剣には及びませんが、素晴らしい剣のようです」

「貴方にそう言ってもらえるなら、鍛冶師の努力も浮かばれましょう」


 談笑をしている間に、騎士が剣を抱えて決闘場へと戻って来た。

 ユーリは剣を受け取ると、真剣な顔をしてローズを見つめた。


「ローズ・クロサイト様。私が貴方を倒し、魔王を討伐した暁には」

「はい」

 ローズは、恐らく彼が言わんとすることは理解していた。

 何故ならそれは、『剣聖』と呼ばれた祖父が、公爵令嬢だった祖母を望んだ時に王と結んだ契約と、全く同じだったからだ。


「――私の妻になっていただきたい」


「……いいでしょう。貴方にそれが出来るのであれば」

 ローズはそう言うと、剣を構えた。

「その言葉、お忘れないよう!」


 言葉と同時。

 二つの影が、動いた。


 決闘場に、剣がぶつかり合う音が響き渡る。

 戦闘において、ローズは防戦一方で、ユーリに自分から技を向けることは無い。

 見守る観衆たちは、その様子を見て息を飲んだ。

 ユーリが『天剣』の名で呼ばれるようになったのは、彼の魔法にも由来している。


 彼の魔法属性は、風。

 戦闘中、彼は耳に付けたピアスで風属性の魔法を発動させ、自らのスピードを加速させて戦う。

 その剣は、鎌鼬のように目にも止まらぬ速さで気付かぬうちに相手の体に傷をつけ、死へと誘う戦闘に特化した剣の筈だ。


 だというのにそのユーリの攻撃を、公爵令嬢であるローズが全てを見切っているのだ。

 本来であればこれだけでも、才能を評価して騎士団に入団を許されるほど、ローズの能力は確かなものだった。

 しかもローズは疲弊する様子すら見せず、表情一つ変えることがなかった。

 ユーリは僅かながら危機感を覚えた。

 まだ力の全てを出していないとはいえ、ローズがここまで戦えるなんて彼は思ってもみなかった。


 たらり。ユーリの首筋に汗が伝う。

 それに気付き、ローズは少しだけ笑って彼に言った。


「――けれど私に求婚なんて、ユーリも奇特な嗜好の持ち主ですね」

 剣戟の間に混じる声。

 ユーリは攻撃を続けながら、彼女に訊ねた。


「どうして、そう思われるのです」

「私はリヒト様に振られた女ですよ? きっと男性は私のような女ではなく、彼女のような女性を愛するのでしょうね」


 ローズの目に、ほんの少しだけ悲しみの色が混じる。

 ユーリはそんな彼女を見て、胸が苦しくなった。

 ――自分なら。自分なら、彼女を悲しませたりしないのに、と。


「どうして、貴方が悲しまなければならない。貴方は、ずっと、正しかった。ずっと、気高く、美しく、この国の宝だった」


 『国の宝』。

 ローズは他国では、『水晶の国の金剛石』と呼ばれている。 

 それは彼女の容姿を讃えるものでなく、彼女の才能や人柄を称賛したものだ。


「……私は、そんな人間ではありません。婚約者一人の心すら、自分にとどめておくことが出来なかった。私にはきっと、人を思い遣る気持ちというものが、ずっと欠けていたのです」

「貴方は、昔から、何もわかってらっしゃらない。周りの人間が、貴方をどう評価しているかを」


 ローズの悲しげな声をきいて、ユーリは決心した。

 これからは自分が彼女を守る、と。

 幼い頃、身分違いの自分を温かく受け入れてくれた大切な人たちの宝を、世界で一番大切な少女を――初恋の相手を傷付けるあらゆるものから、自分が守り抜くのだと。


「私は貴方に知ってほしい。貴方が貴方でいいことを、間違っていないことを、証明する。……だから」


 ユーリはローズから距離を置き宣言すると、耳の魔法石に触れた。

 すると彼の剣から強い風が起こり、決闘場の砂を巻き上げた。

 観衆たちは顔を覆い砂を避けたが、ローズは微動だにせず真っ直ぐにユーリを見つめていた。


 ローズは元々魔法に強い適性を認められた人間だ。

 自分の体に砂から身を守る結界を張ることくらい、瞬きをするのと変わらない。

 ユーリだってそんなことは理解している。

 だからこの風は、ローズの行動を制限するものではなく、勝負を決める一撃の為に使う最終手段にしか過ぎない。


「貴方は、前線に立って戦うべき人じゃない」


 ユーリはそう言うと、強く地面を蹴った。

 勝負は一瞬で決まる。これまでも、これからも。

 『天剣』は無敗の剣。どんなに強い相手でも、この剣の前には膝をついた。

 ――彼の師である、『剣聖』を除いては。


「『あの方』だって、望まれない筈です!」

「……それは一体、誰のことを言っているのです?」


 ユーリはずっと思っていた。

 自分がこの魔法を以てして、『剣聖』以外に負けることは有り得ないと。

 だというのに。


「貴方が言うあの方が、私の祖父であるならば――喜んでくれるはず。何故なら、私は」


 剣を躱され、ユーリは大きく目を見開いた。 

 有り得ない。こんなこと。これでは、まるで――……。


「お爺様の剣の全てを受け継いだ、唯一の人間なのですから」


 ――『剣聖』だ。


「な……っ!」


 たった一度の攻撃。

 さっきまで防戦のみだったローズの剣が、ユーリの剣を弾き飛ばす。ユーリの剣は弧を描き、宙を舞い、地面に深く突き刺さった。

 何が起こったか理解出来ない。ユーリは地面に尻餅を付き、赤い瞳を輝かせる少女を見上げていた。


「この戦闘の勝利条件は、貴方を殺すことではありませんね?」


 彼女はそう言うと、静かにユーリの喉元に剣を向けた。

 これでは動くことなんて、まして剣をとることなんてできやしない。

 ユーリはごくりと生唾を飲んだ。

 技も、動きも、そして最後の、この剣も。彼女がいうように、『剣聖』の生き写し――いや、それ以上だった。


「――参りました」


 ユーリの言葉とともに、決闘場は男の野太い雄叫びで満たされた。

 戦闘が始まる前は、公爵令嬢と侮っていた年配の騎士も、あまりに凄絶な戦いぶりに、彼女が公爵令嬢であることも忘れて褒めたたえる。


「す、すごいです!! て、『天剣』を破るなんて!」

「公爵令嬢が騎士団長を倒す……!? 有り得ない。こんなこと!」

「『天剣』を上回る存在が、魔王が復活した今、この世界に現れようとは……!」


 中には涙ぐむ者も居る。

 戦いを終えた二人はどこか晴れやかな顔をして、お互いを見つめていた。


「……まさかグラン様が言っていた『天才』が貴方だったとは」

「『天才』とは?」

「自分の全てを託していいと思った相手に出会ったと、以前仰られていたんです。その子ならば、魔王を倒すことも出来るだろうと……」

「……お爺様がそんなことを……」


 ローズは騎士の一人に剣を返し、聖剣を受け取ってから、そっとその模様を撫でた。


「私はやはり、騎士となる運命だったのですね。今回の婚約破棄も、私に与えられた宿命さだめだったのかもしれません」


 それはどうだろう、とユーリは思った。

 けれどローズの少し天然な所も、ユーリには好ましく思えて何故か笑みがこぼれた。


「貴方には――敵わないな」

「? 何のことです?」


 ローズは、何故ユーリが笑っているかわからずに首を傾げた。男装はしていても、国の宝とまで謳われた美貌は、霞むことなく輝き続ける。

 いや。今は寧ろ、男装だからこそ――赤く燃える強い意思を感じさせる瞳と夜のような黒の髪が、彼女をいっそう美しく見せていた。


「ユーリ。手を」

 ローズはそう言うと、尻餅をついたまま自分を見上げていたユーリに手を差し伸べた。

「ありがとうございます。ローズ様」

 ユーリはローズの手をとり立ち上がる。その様子は、まるでお伽噺に出て来そうな程優雅で、二人を見つめていた観衆の騎士団員たちは、(特に一部のものは)顔に似合わず頬を染めた。


 手を引かれるユーリもまた、高鳴る心臓を押さえきれず、彼女に伝わらないよう息を止めた。

 騎士団の団長として、目の前で思い人が振られた時、動くことも出来ず自分を制した。今回、自分の気持ちを抑えきれず求婚してしまったが――やはりローズ・クロサイトという人間は、人を惹きつける魅力に溢れている。

 救国の英雄である『剣聖』の血を引く美しき後継者に、ユーリは胸が胸が締め付けられるのを感じた。


「これから宜しくお願いするよ。ユーリ団長」


 だがユーリは、その思い人の言葉遣いが変わったことに気付き、震える声で彼女の名を呼んだ。


「……あの、ーズ様?」

 恐る恐る尋ねる。


「その言葉遣いは一体……?」

「晴れて私も騎士になったのだから、言葉も凛々しくすべきだと思って」

 ローズは、晴れやかな顔で言った。


「おやめください!」

 ユーリは両手両膝をつき叫んだ。


「私の聖女が……! 初恋が……!」

 今度は両手で顔を覆い、体をのけぞらせて空を仰ぐ。

 まるで悲劇の主人公のように。


「? どうした、ユーリ。何か悪い食べ物でも食べたのか?」

「ローズ様……貴方は本当に、昔から……どうしてそう鈍いのですか……」

「動作は機敏な方のつもりだけど……」


 そういうことを言っているんじゃない。

 ユーリは拳で机を叩きたい気持ちでいっぱいになった。

 ――伝わらないこの想い。

 ローズは、ユーリの気持ちは一ミリも理解していなかったが、身分ある立場の人間として、あることに気付いて「あ」と声を上げた。


「ああでも、騎士団にいる間、その長である貴方にこの言葉遣いは良くない影響があるかもしれませんね」

「???」


 ローズの思考回路がわからず、ユーリは両手を宙に浮かせて動きを止めた。


「貴方相手には、これまで通り丁寧な言葉で話すことに致します」

 にっこり満面の笑み。

 ユーリは彼女の言葉を理解するまでに時間を要したが、つまり自分には丁寧な言葉で話してくれると気付いて心から歓喜した。

 なっててよかった騎士団長……! 

 ユーリは手を合わせ、空におわす神を――いや、ローズを仰いだ。

 その行動は、どこかミリアと似ていた。


「ローズ様……!」

「? はい……なんでしょう?」


 昨日まで無敗だった元王国一の騎士、現騎士団長ユーリ・セルジェスカ。

 公爵令嬢に敗北の上、手のひらの上でもコロコロ。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ローズの騎士団入りが決まったのは、それから数刻してからのことだった。


 もしや思い余って自殺したのではないかと娘を捜索していた公爵は、無事娘が帰ってきて大変喜び安堵したが、同時に彼女が持ち帰った『クリスタロス王国騎士団入団許可証』を見た時は、理解出来ず挙動不審になった。


 ローズの騎士叙勲式は、彼女の能力が魔王討伐に役立つと判断されたため、急遽国王リカルドによって行われた。

 そしてその日の夕方、騎士団の宴会へと招かれたローズは、再び公爵家にそっと置手紙をして参加した。


「ローズ様の入団を祝して、かんぱーい!」

「そういえば、試験では勝ったとはいえ、よく公爵様方が許して下さいましたね」

「ああ、それは……」

 ローズはにこりと微笑んだ。

「騎士として国を守るために生きたいといったら許してくれたんだ」


 『それ絶対、婚約破棄されたせいで傷心故のご乱心と思われていますよ!?』と誰もが思ったが、決して口には出さなかった。

 せっかくの主役の気持ちを盛り下げるのは良くない。


「ローズ様、こちらをどうぞ」


 今日は、ローズのための祝いの席。

 本当は、ローズは騎士が食べるような食事は初めてだったが、何事も挑戦することにためらいのない彼女は、蛙の丸焼きにも興味を示し、ユーリに止められた。

 注意されつつ一口食べたら、思っていたよりずっと美味しくて、ローズはこういう食事も悪くないと呑気に思った。

 その後も次々に料理が運ばれてくる。


 「一口でもいいから食べてみてください! きっとおいしいですよ!」

 騎士団に所属する彼らと、公爵令嬢である彼女が同じ食卓を囲むなど有り得ない。

 だというのに、自分たちに対して態度を変えず、寧ろ歩み寄ってくれる彼女に、騎士たちは心から親愛の念を抱いた。


「ありがとう。何だか恥ずかしいね」

「ローズ様!」

「僕、ローズ様のファンになりました!」

「強くてお綺麗で! 流石公爵系の家系――そして剣聖のお孫様ですっ!」


 中には、目を潤ませて彼女と握手する人間も居る。

 ローズはそれが少し寂しく思えた。

 だから、少しでも仲良くなりたくて。


「ああ、少し止まって」

「え? あ、あの……」

「上に糸くずがついていたから。はい。とれた」

 ローズが、ごみを頭に付けていた若い騎士に触れ微笑むと、

「ローズ様……騎士団の男は女性に免疫がないんです。あまりこのようなことは……」

 ユーリがコホンと咳をして、ローズの行動を注意した。


「ああ。ごめん、ユーリ。でも、これからともに戦う仲間なんです。私は彼らと仲良くなりたい」

「……ローズ様……」

「駄目でしょうか……?」

 ローズは身長差もあって、上目遣いでユーリを見上げた。


「ろ、ローズ様……!」

 ユーリの顔が、湯気が出そうな程真っ赤に染まる。


「団長殿は、惚れた弱みに付け込まれておりますなあ」

「五月蝿い」

 はっはっはと笑われ、ユーリは左手で顔を隠しつつ、静かに年配の騎士を睨み付けた。



「そういえば、ローズ様はもう二つ名は決まったのですか?」

 ユーリが顔の熱を冷ます為少し席を離れている間、若い騎士の一人がローズに訊ねた。


「二つ名?」

「はい。ご存じありませんでしたか? 通常、特例での騎士団入りの際は、必ず二つ名が与えられるんです。特例の場合の相手は、騎士団の中でも二つ名のある方が務めますので、その騎士に勝った、ということで……。確か団長の騎士団入りの際は、当時『地剣』と呼ばれていた方が務められたので、子どもながらにその相手を倒した、まさに天に与えられた天賦の剣、という意味も込めて、『天剣』の名が与えられたと聞いています」


「…………」

「ご存知無かったですか?」

「それは初めて聞いた」

 ローズは騎士団入団の際、団長であるユーリ以外には『(ローズの中での)騎士言葉おとこことば』で話すことにしたローズは、年若い騎士にそう返した。


「ローズ様はなぜ剣を?」

「祖父に教わったから」

「というと……『剣聖』様、でしょうか」

「そう。ユーリたちが祖父に剣を教わっていた時は、私はまだ幼かったから見ているだけだったけれど、彼が騎士団入りした頃から亡くなるまで、ずっと教えていただいたんだ」

「そう……だったんですね。では、『剣聖』のお孫様……『剣神』なんてどうでしょうか?」


「『剣神』??」

「はい。僕の住んでいた地域では、お祭りの時に男装した女性が、神への捧げものとして剣で舞うんです。だから、ローズ様にぴったりかな、と思いまして」

「……ありがとう」


 ローズは、少しだけ頬を染めた。

 『剣神』――なんだか、強くてかっこいい名前だ。ローズがそんなことを考えていると。

「『剣神』……ですか」

 顔のほてりが冷めたらしいユーリが戻ってきて話に混ざった。


「確かに、それはいいかもしれませんね」

「ユーリ」

「ローズ様の美しさを讃えるに相応しい名前です」

「ユーリ……」


 二人は見つめ合う。少しいい雰囲気だ。常識の無い若い騎士は、団長の為にあることをローズに聞くことにした。


「あ、あの!」

「はい?」

 ローズは、少しだけ首を傾けた。

「ローズ様は、お好きな方などいらっしゃるのですか?」


 それは、昨日婚約破棄されたばかりのローズには禁句だった。


「お前、今はその話は……」

 あまりに無神経な質問に、一同凍り付く。

「居ません」

「はい?」

「居りません」


 ローズは、はっきりとした口調で繰り返す。


 『こ、これは、これはどっちだ――?』騎士団の騎士たちは、どう反応していいか困った。

 『本当に?』と聞くのは有り得ないが、『そうなんですね』と言うのも微妙だし、かといって『うちの団長いかがですか? あ、既に振られましたね!』と、無礼講宜しく笑い話にしていいか判断が付かない。


 沈黙が続く。

 その時、救世主は現れた。


「お嬢様!」

 大声でそう言い放ち、髪を振り乱したメイドが、突如として店の中に入ってきたのだ。


「お怪我などなさっておりませんか!?」

 メイド服を着た、茶髪の女性は、膝をつきローズの手をきゅっと握ったかと思うと、「ご無事でよかった……」と感極まった声で言った後、ぎろっと騎士団長であるユーリを睨み付けた。


「ユーリ・セルジェスカ!」

 表情の変化に使った時間、およそ一秒。

 彼女はダンダンダンと大きな足音を立てながらユーリに近付くと、ぐいっと胸ぐらを掴んだ。


「団長!?」

 そこは、いくら負けたとはいえ自分たちの長だ。

 騎士たちは反射的に剣に手を伸ばしたが、二人が同じ瞳の色をしていることに気付き動きを止める。


「どうして貴方がお嬢様に剣を向けるなど馬鹿な真似をしているのですか!? お嬢様に万が一のことがあったら、どうするつもりだったのです!?」 

「……その時は、責任を」

 ユーリは子どもが後ろめたい時にするように、メイドから顔を背けて消え入るような声で言った。


「だまりなさい。寝言は魔王でも倒してから言ってください」

 寝言は寝て言え。

 小馬鹿にするように笑われ、実際今日同じことを言ったばかりのユーリは唇を噛んだ。

 髪色こそ違うが、よく似た思考、そしてユーリの言葉遣い。

 『彼女は一体誰なのだ?』と騎士たちが疑問に思っていると、好物である甘酒を飲み干したローズが静かに息を吐いた後に答えを口にした。


「ミリアとユーリは従兄妹なんだ」

「従妹……?」

「団長に従妹……?」

「女の子だよな? でも団長の方が綺麗だ……」


 騎士たちは口々にそれぞれの感想を口にする。その中に混じったユーリ賛美の言葉は変えようのない事実だったが、ミリアには地雷だった。


「貴方はいったい、部下にどんな教育をしているのですか? 目の前に居る女性に対しての言葉ではありませんよね?」

「危ない! ミ、ミリア落ち着け!?」


 代々公爵家の執事を務める家系の生まれで、戦えるメイドであるミリアはどこからともなく取り出した短剣でユーリの喉元を狙う。

 下手に動いたら命取りだ。

 彼女の実力を知るユーリは手を上げて降参した。


 公爵家のご令嬢の専属メイド。

 彼女は元々、彼女の生活をサポートするというよりは、ローズの身の安全を守るために存在している。

 だから、幼い時から守り続けた相手に剣を向けたユーリに、ミリアが剣を向けるのはある意味正しい行いだった。

 でも今回の場合――戦いを挑んだのはローズだ。責められはしても、殺されるいわれはない。


 ローズは立ち上がると、そっとミリアの手に自分の手を重ねた。

「駄目だよ。ミリア、ユーリを責めてはいけない。悪いのは、私なのだから」

 いつもより、低い声で囁く。

 ミリアの手から力が抜けて、短剣が滑り落ちる。頬を赤らめた二人は、同じ色の瞳でローズを見つめていた。


「お嬢様……」

「ローズ様……」

「反応が一緒ですね!」


 小型犬のような、今年入団したばかりの新米騎士、アルフレッド・ライゼンは、栗色のクリクリした大きな瞳を輝かせて、悪気なく呟いた。

 空気読めない系新人の口は、周りの先輩騎士によって即座に塞がれた。

 『これ以上、余計なことを言うな』――屈強な男たちに囲まれたアルフレッドは、こくこくと頷いた。


 しかし、空気を読めない人間と言うのは、一度注意されたくらいで変わるものではない。

 漸く解放されたアルフレッドは、可愛い顔をして本日何度目かの爆弾を落とした。


「ローズ様は、明日の魔王討伐には参加されるのですか?」

「ライゼン! それは秘密にしろと騎士団長が!」

「え? そうでしたっけ」


 アルフレッドは可愛らしく小首を傾げる。

 男の割に可愛い顔をしている彼だが、ロマンスに憧れる女性ならまだしも、男しかいない騎士団では通用しない。


「……魔王討伐?」

 ローズは、アルフレッドの失態を聞き逃さなかった。食事をする手を止めたローズに、ミリアが怪訝な顔をして注意する。


「お嬢様、それは流石に危険すぎま……」

 けれど男装時のローズの色香は、ミリアに言葉を飲みこませた。

 ローズはそっとミリアの唇に人差し指を押し当てた。

 そして、「お願い」とでもいうように少し悲しそうな顔をして首を傾げる。

 ミリアは、顔を真っ赤にして動けなくなかった。


 ローズは硬直したミリアから指を離すと、にっこりと微笑んだ。

「ユーリ。私にも、詳しく話を聞かせてくれますよね?」

 明らかに怒っている。空気をしっかり読む系騎士、ユーリはひしひしとローズからの圧力を感じていた。

 

「…………はい。ローズ様……」


 微笑むローズに逆らうことが出来ず、ユーリは明日の任務について語ることにした。

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