29段目 ラストステップ

 停泊したアルキュミアのコントロールルームで、ロウは一人ぼんやりと電子タバコを吹かしていた。

 宇宙港は行きかう人々の気配でせわしない。

 反面、船内には穏やかな空気が満ちている。


 珍しく余裕のある時間を過ごしていたところへ、アマルテアが飛び込んできた。


「――ねぇ、イェルノが来たよ!」


 生体脳以外は人工部品であるイェルノの気配は、アマルテアにとって嗅ぎ取りやすいらしい。

 まだアルキュミアの入り口にも到達してないというのに、既に把握したようだ。


 そう言えば、身体ボディの交換を終えて、ベリャーエフINC.から戻ってくるのは今日だったか、とわざとらしくロウはパネルの隅に映し出されているカレンダーをチラ見した。

 真偽を確かめるためアルキュミアに視線を移すと、ホログラムは頷いてから手元のデータをロウの前に送る。


『外部より開錠の要請が入っています。要請元の署名はイェルノ』

「開けてやれ」


 直後、最上部ハッチの開く音が船内に響いた。

 そして、少しもたつきながら、ハッチから飛び込んでくる音。


 身体ボディを替えても、イマイチ動きが鈍いのは相変わらずらしい。ロウは口に出さず頭の中だけで笑った。


 モニタは船内のカメラを映し出している。

 が、あえてそちらには目を向けないようにした。なんだ戻って来たか、と知らないフリで出迎えるつもりだ。

 アルキュミアのハッチが内側から開錠された時点でその目論見は破れているのだが、ロウはそのことに気付いていない。


 コントロールルームに近付いてくる足音。

 アマルテアの為に空調を良いものに取り換えたのと同じく、イェルノの為に船内の扉を静脈認証から脳波認証に切り替えたことに、本人は気付いただろうか。


 結構な出費だったが仕方ない。

 今後、ボディメンテナンスの度に登録し直すのは面倒だ――というのが、聞かれた場合に備えてロウが考えておいた言い訳だ。


 本当は、テルクシピアからでも自力脱出出来るよう、エンジンのチューンナップもしたかったのだが。

 見積もりを頼んだ時点でチューンではなくエンジン総交換になる上、バランスをとるため他の部分でも大量に交換が必要であることが判明したため、泣く泣く諦めた。

 アルキュミアは認証システムの交換を諦めれば予算範囲内です、と強く主張したが、ロウはその点においては譲らなかった。


 究極的には、アマルテアを教育し、テルクシピアのロボット達に惑星外射出装置マスドライバーの操作をさせられるようになればいいだけの話だ。

 無意識に人に頼ることが得意なロウは、そんな風に考えている。


 コントロールルームの扉が開く音が聞こえてきた。

 パイロットシートに近寄ってきた気配が、まっすぐにロウの正面に回り込む。


 今起きた、という風に見せかけて眼を開いたロウの前を、長い金の髪が舞った。


「――待たせたね、行こうか」


 楽しそうに細めた碧眼の輝きは相変わらずだ。

 ……が、全体のシルエットが今までと明らかに違っていたので、ロウは一瞬混乱した。


 細くくびれた腰から緩やかに膨らんだ尻と太腿の甘いライン。

 柔らかい二つの果実をはらむシャツの胸元の張り。どこか少年めいた未分化の身体ボディを捨てたイェルノは、性的な成熟を遂げたばかりの女性の――つまり二十歳をいくつか過ぎたくらいの淑女レディの姿をしていた。


「……は?」

「は? って……もう俺のこと忘れた? いくら一ヶ月ぶりの再会ったって、それはないんじゃない?」

「いや、え? だって、なんでそんな……」


 続く言葉が出てこないのは、単に見慣れない姿だからではない。

 つまり――割とロウの好みのど真ん中を貫いてるからだ。


 顔立ちはそう変わっていないが、全体に柔らかみを帯びた印象を受ける。

 ひどく好みの顔で微笑まれて――それなのに微笑む時の唇の動きや目元の緩め方が、どう考えても以前のイェルノと全く同じだったから、余計に混乱した。


「なんでって……ああ、この身体ボディ? 元の歳に近い医療用アンドロイドの素体を使ったら、こうなっちゃったってだけなんだけど」

「元の歳って……あんたもっと年上だとばかり……」

「俺はあなたの年齢知らないから正しくは分かんないけど。上って言ってもせいぜい五つかそこらじゃない? だって爆発に巻き込まれたとき、俺、汎銀河刑事警察機構パングポールに就職したてだったし」

「いや、待てよ! 年なんかよりその――あんた、元の性別は――!?」

「――へえ、知りたいの? 本気で言ってるなら大したものだけど」


 悪戯っぽく笑ったイェルノが、ロウの耳元にそっと息を吹きかける。


「ちなみにこの素体もセクサロイドベースなんだって……気になるなら、試してみる?」


 完全に言葉を失ったロウを見て用が済んだと思ったのか、うずうずしていたアマルテアが補助シートから飛び出してきた。


「イェルノ、おかえりなさい!」

「ただいま、アマルテア」


 抱き合う二人の向こうで、アルキュミアがパネルを起動させる。


『再会の挨拶が終わったところで、メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、一刻も早い本船アルキュミアの出航を推奨します。停泊料金が嵩んでおり、一分一秒も惜しい状況です』

「停泊料? どういうこと?」

『船体の修理と改造で結構な金額が出て行きました。元からマイマスタにはさして預金もありませんので』

「え、ちょっとロウ! なにそれ、困るよ。俺、この身体に合わせた装備とか一揃い買っておきたいんだけど」

「あ、わたしお洋服っていうの買ってみたい。このご本に書いてあるの。『あなたを生かすあなただけのラッピング』だって!」

『いえ、その前に前回の反省を生かして、本船アルキュミアへの武力装備拡充を要求します』


 三方向からそれぞれに外装関連おようふくをねだられる。

 ロウは立ち上がり、ばん、と音を立ててパネルを叩いた。


 もちろん、触れてはいけないボタンを避け、隅っこを軽く叩いている。

 その辺りに小物臭が漂っているような気がして、自分でも情けないのだが。


「――あんたらの要求は分かった。だが、どれもこれも、先立つものは金だ。そうだな?」

『肯定です』

「ま、そうだね」

「お洋服にはお金が必要!」

「そうだ。だから、オレの考えはこうだ。いいか、せっかく所有権を貰ったんだ。この際、惑星テルクシピアを開発して、一大レジャースポットにするぞ!」

『一大』

「レジャー?」

「……スポット!」


 アルキュミアの無表情と、イェルノの顰めた眉、アマルテアが輝かせている目をそれぞれ見回して、ロウは腕を組んだ。


「惑星テルクシピアを掠め取ったのはいいにしても、航行費用も払えずに早々に手放すなんてとんでもないからな。だが、あの星は妖精セイレーンって問題さえなんとかすればでけぇ資源になるんだ! こっちには妖精と会話が出来るヤツもいるんだしな!」

「わたしだね!」


 アマルテアが両手を上げてにこりと笑う。

 そちらに視線を当ててから、ロウは深く頷いた。


「よしよし、そうだ。オレ達は、妖精と友好関係を築き、あの星で人類が安全に過ごせるようにする。そうすりゃ、レジャースポットでも居住空間でも貿易中継点でも、あそこで金を稼げるようになる!」

「……うわぁ、壮大な計画」

「はは。むしろ、そうでもしねぇとオレ達は破産だぞ!」


 天を仰ぐイェルノとは違い、「レジャースポット」という楽し気な響きが気に入ったのか、アマルテアはすっかりやる気になって、スキップしながら増設された補助シートへ向かっている。

 アルキュミアは早々に会話から外れ、出航準備に移っていた。

 ロウの声を聞いてはいるようだが、思考回路のほとんどはテルクシピアへの航路計算に回している上に、アマルテアから振られる会話への対応をロウよりも優先していて、反応が鈍いことこの上ない。


 イェルノが身体ボディ交換をしていた一ヶ月の間、ロウもただ黙って待っていただけではない。

 マーマを迎えに行くに当たって発生する、諸々の問題を片付けていた。

 詳しくは説明したくないあれこれがあったのだ。

 アマルテアの正体を初見で見破り、またロウがそうと認めたのは後にも先にもベリャーエフINC.の開発本部長との会話だけだったが、異星人であることを隠したまま、アマルテアには随分と人類の知人が増えた。


 ロウ達以外の外部の人間との接触は、少なくともアマルテアにとってはよい刺激になったらしい。

 歩くだけで鱗粉を振りまいてしまう彼女はこの宇宙船を出ることはないが、宇宙船にやってきた『お客様』にその時に合った対応することをしっかりと覚えてくれている。


 場面によって言動を制御する――言うなれば、中身も大人に近付いている、ということだ。

 アルキュミアはそんなアマルテアをよく支えている。

 時折、出処の怪しい情報を吹き込むことがあったとしても。


 今もまた出港準備をすすめる片手間にレジャースポットについての解説が始まっているが、どうもそのレジャースポットは年齢制限が必要なんじゃないだろうかと首を傾げたくなる。

 そんな二人の姿を見ながら、イェルノがくすくすと笑った。


「……ま、どうしてもってなったらもう、テルクシピアに定住しちゃおうか。そうすればお金もいらないし、アマルテアだって平和に暮らせる。新しい惑星のアダムとイヴなんて、ちょっとロマンティックだし」


 アダムとイヴって何だ、と問い返そうとして見下したところで――息が止まった。

 上目遣いにちらりとこちらを覗く視線が、どうしようもなくロウの胸を掻き乱す。


 まなざしは以前から変わらない。違っているのは、性別がはっきりと分化したというだけで――それだけのことが大きな違いに感じられるのは多分、認めたくないがロウの方の変化なのだろう。

 恐ろしい変化、と言わざるを得ない。

 きっとどこまでも溺れられる――まるで、底なしの沼に嵌っていくように。


 ふと、惑星テルクシピアを脱出した時のことを思い出す。

 あの時自分は、どうにか梯子ラダーを掴んだと思っていたのだが――さて、こうなってしまってはそれもどこまで確かなことか。


 イェルノ、アマルテア、そしてアルキュミア。

 どこまでも続く宇宙空間では、上も下もありはしない。

 女達に囲まれた自分は、はたして梯子ラダーを上ったのか、降りたのか。


 そこまで考えたところで、ロウはなにもかも諦めて眼を閉じることにした。

 暗闇の中、そっと身体を添わせてくる細い腕。

 抱き寄せれば、柔らかい感触が迎え撃つようにロウの唇を受ける。


 そう、だから――答えはきっと、唇を塞いだこの甘い呼吸の主が知っているはずだ。

 アマルテアの弾む声や、アルキュミアが告げる発進までのカウントダウンも、どこか遠くに聞こえる。


 なにもかも、これから行く先に、きっと待っている。

 耳元に、あの懐かしい子守唄が響いてくるような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トライアングル・ラダー 狼子 由 @wolf_in_the_bookshelves

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ