27段目 挑戦

 さて、ロウ達が無事に惑星テルクシピアを脱出してから、時間は過ぎて数日後のことである。


 呼び出しをかけている間、ロウは垂れ落ちてくる額の汗をぬぐっている。

 通信の相手は、惑星脱出直後に向こうからコンタクトをとってきた人間――


 ベリャーエフINC.の中でリュドミーラと最も関りが深く、惑星テルクシピアの開発にも関わっていた男。

 それが今、ロウが通信を呼び掛けている相手だ。


 ベリャーエフINC.の従業員は大勢いる。役職で言えばもっと上の人間も存在する。

 それでも、マーマがアルキュミアへ引き継いだ一連のデータ群から、この男に仕掛けるべきだ、と結論が出た。


 呼び出し音が切れ、通信が繋がる。

 コントロールルームのモニタに、大きく男の顔が映った。

 仕立てのよいスーツを纏った初老の男。上品なダークグリーンのネクタイを指先で緩めながら、こちらを見下ろしている。


『……そう言えば、この連絡先はリュドミーラにも教えていたか』


 呟いた声は威厳と智略を端々に含んでいた。

 事前に聞いた年齢からは、もっと老いた姿をしているものだと思っていたが――やはりベリャーエフのような巨大企業の上層部に立ち人々を統括するものは、老いてなお力を失わないのか。

 しわの少ない口元を歪め、男はふてぶてしく笑う。

 白く染まった髪の色だけが実年齢を示しているように思えた。

 だるそうな視線に射抜かれながら、ロウは意識して顎を上げる。


「ま、そういうこった。あの人の持ってた情報は今、アルキュミアが受け継いでるからな」

『生前、彼女には世話になった。今、君と話をしているのはその礼だ、勘違いしないで欲しいのだがね』


 パイロットシートに膝を立てて座るロウの失礼な態度に耐えかねてか、軽く牽制をされた。

 その苛立ちを――背中に冷たい汗を感じながらも――鼻で笑って見せる。


「オレだって、偉そうなおっさんと話すのが好きなわけじゃない。こんな機会もう二度となくて構わないさ。たとえ相手が、ベリャーエフINC.の開発本部長なんてお偉い方だったとしても、な」


 わざとらしく軽い言い方で皮肉る。

 どちらかと言えば皮肉の内容よりも、頭の悪そうな言い回しに男は眉を寄せたようだ。


 焦りながら、これでいいんだとロウは自分に言い聞かせる。

 構わない、これがオレだ。泥臭く、愚かで、小心者。

 己の技術と知識で何もかも獲得してきた母親マーチとは違う。


 違う、ということがようやく腑に落ちた。

 受け入れるしかない。すべてはその後だ。


 不機嫌そうな男の声が響く。


『教育の力というものは偉大だと感じさせられるね。たとえあのリュドミーラの息子であっても、ただの血には力などない、ということだろうな』


 声には本気に近い哀れみといくばくかの優越感が混じっていて――しかしそれでも、その言葉はもうロウの心を揺さぶりはしなかった。


 それよりも、裏に込められた意図の方が気にかかる。

 落ち着きようからして、ロウからの連絡は事前に予測されていたようだ。

 その推測が今のやり取りから――相手がロウを知っているということから、確認できた。


「……さて、マーチのおかげでこうしてあんたと話せてるにしても、オレはマーチのせいであんたらになんもかんも奪われそうになってるのも事実だ。どっちがいいとも言えねぇよな」

『なんのことかな』


 男の余裕は揺らがない。画面の向こうで薄ら笑いさえ浮かべている。

 証拠などない、と高をくくっているのだ。


 確かに、ロウは自分への仕打ちに関する証拠を持たない。

 あるとすればマーマの証言くらいだが、それも既に手元にはない。あったところで人工知能の証言など法的になんの意味もない。

 いくらでも改竄され得る、ただのデータだ。


『私は今、移動中でね。もう数分もすれば目的地に着く。君の妄言に付き合えるのはそこまでだよ』


 文句を言うなら、数分で証拠を出せと言いたいらしい。

 その後はきっと、この回線は二度と繋がらなくなるのだろう。


 まだか――と、焦る気持ちを抑えて、ロウは肩をすくめ、黙って自分の後ろを指した。

 暗闇の中から姿を現したのは、無表情に歩を進めるイェルノだ。


『君が盗んだ我が社のセクサロイドかね? 無事だったのか……』


 男の不思議そうな声は、セクサロイドが破棄されなかったことに向けられたもののようだ。

 彼からすれば、ただロウを追い立てる理由に仕立てただけのシロモノ。

 真っ先に妖精セイレーンに操られるだろう人工知能を、無事にロウが持って帰ることなど期待していなかったのだろう。


『……まあ、無事なら無事で構わない。商品は返して貰おうか』

「妖精にやられた人工知能にどんな影響が出てるか、引き取って検査でもするかい?」


 呑気な言葉と取ったのか、くくっ、と男がくぐもった笑いを漏らした。


『検査の結果はもう決まっているよ。人工知能部に修復不可能な損傷が見受けられた――と、私の手元に報告が来る予定だ。君は賠償金を支払うことになる。多額の――そう、宇宙船を一隻売り飛ばさなければ済まないくらいの』

「……なるほど」


 最初から、ロウがどんな動きをしようと、ベリャーエフINC.にはなんの損もないように仕組まれていたのだ。

 ロウ達が戻って来なければ、アルキュミアの人工知能は妖精に対して有効性のないことが明らかになる。そして、万が一ロウが無事に戻って来たならば、商品紛失もしくは破損の難癖をつけ、損害賠償としてアルキュミアを回収することが出来る。


 男の口元に、嫌な笑いが浮かんだ。


『旧友の息子が落ちぶれていくのを見るのは、ひどく残念だがね』

「オレは友人っつう単語を、あんたみたいな意味では使わない。あんたの言う友人ってのは、うまいとこだけ吸い上げる油田みたいなもんだろ」

『……まあ君には一生分からんだろうな。我々がどんな可能性をあの惑星と生物に見たのか。君がそう思うなら、それはそれで構わないさ』


 ここで言い合うことに勝ち負けなどない。

 だからこそ男は勝ちを譲り――譲ったことでますます勝利を確信した口調になった。


 せいぜい勝ちに酔えばいい。

 だが、この通信を切らせてはいけない。焦りを見せて不信感を持たれてはならない、だが同時に男を引き止めなければいけない。

 元々、自分がこういうことに向かないのはわかっていた。

 賢い話術や知性に溢れた会話は望むべくもない。

 それでも、この役割はロウにしか出来ない。

 ロウの肩にかかっているのは、ただ金だけの――ロウ一人の問題ではなくなっているのだ。


 手のひらの汗を無視して、にまりと笑ったロウは顎先でイェルノを指した。


「あんたとは違って、どっちかと言えばオレにとっていい友人なのはこいつの方さ。これでお別れかと思うと、さすがに胸が痛い。なあ、せめてこいつはさ……」


 男には、品のないおねだりに思えただろうか。ぜひとも、そう思って欲しい。

 下世話で低能で最下級の――哀れさのあまり、上等な男が少しばかり優しくしてやりたくなるような男だと見くびってくれ。


 ロウの要求のどうしようもなさに、さすがに少しばかり良心が刺激されたのか、ボタンを押そうと伸ばした男の指先が止まった。


『……あのゴッデスの息子だと言うのに……本当に落ちたものだな。そんなに気に入ったというなら、君の手元に残るくらいは計らってやろう……払い下げの人形でも気休めになるならね。これが君のような男との手切れ金だと思えば安いものだ』


 時間は稼いだ。だが、男の完全に呆れた口調にはそれ以上取り付く島はない。

 その上、素直に差し出されてしまえば、これ以上因縁をつける話題もない。


 ボタンにかかった指先を、今度こそロウは止めることができなかった。

 頼む、他になにか――まだもう少し時間が――

 モニタに映らないコントロールルームの隅で、アルキュミアが冷徹にロウを見据えている。


『それではな、リュドミーラの子よ。身の丈に合った幸運が君に訪れることを祈る。もう会うこともないと思うがね』


 そして、男の指がボタンを押し込む直前――アルキュミアの通知音が鳴った。


『メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、たった今、アマルテアが先方のデータサーバを掌握し終えたことをお知らせします』

「――ぅしっ! 良くやった!」


 モニタの前で堂々とガッツポーズを決めたロウに、男の凍りついたような驚きの表情がゆっくりと向けられた。

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