第22話

 ――格好悪いところ、見せちゃったな。


 唯一郎の車で横になりながら、ナツは先程の出来事を冷静になって考えてみる。母親が来ていたということもあり、頭に血が上っていたのだと気付く。自分でも、ソラたちの前で何を口走っていたのか覚えていなかった。思い出せる言葉だけでも恥ずかしいことばかりを口走っていた気がする。


 ――母さん、今何考えてるんだろ。


 助手席に座る母親の表情は、病院に連行されている間、ずっと見えることはなかった。


 山代総合病院という大きな大学病院がこの山代町には存在する。もともとそこの救命救急医だったこともある唯一郎は慣れた手付きで院内へと車を止めた。さらに、ナツは7年前、ここの小児病棟に入院していたので、これもまた慣れた足取りで院内へと入っていった。


「あら、夏人くんじゃない。今度はいったい何をやらかしたのかしら?」


 そうにやにやと言いながら出てきたのは小児科救命医の青山遥だ。入院時にも担当してもらっていたことがある。少し、猫っぽいところが苦手だった。


「ごめんねえ、青山さん。夏人また酷い発作起こしちゃって。少し、見てもらってもいいかな?」


「分かりました。もう、ゆい先輩に迷惑かけちゃダメでしょう」


「ごめんなさい、青ちゃん先生」


「じゃあ、まずは検査室に行きましょうか」


「はい」


 ああ、またここから最低でも二日間、ここに閉じ込められるのかとナツは憂鬱になる。そのことが可笑しくて口元が自然とにやけたのは言うまでもないだろう。

 発作――というのは7年前、内臓内に謎の炎症が起こり中がぐちゃぐちゃになった時の痛みが名残として残っているものだ。その原因は未だ不明だが、今では手術を何回か行ったおかげか、幾分か再生されたがまだ完治はされていない。現在も、手術をしなければいけないだとか色々言われているが、そんなことをしても治らないことは分かっていたし、まして仮に手術をしたとしてもその成功率は1%にも満たないと言われていた。

 手術をしない理由は成功率以外にもあるが、そんなものに自分の残りの命を賭けるくらいなら、寿命を全うした方がマシだとナツは考えていた。その選択のおかげか所為か、この発作と一生、生きていくことになったのだが。あの日からナツの内臓は機能低下が激しい。特に胃と腸の器官が酷い。更に不運なことに後遺症によるものなのか彼は炎症が起こっていたところから腐敗が始まる奇病にもおかされていた。

 その痛みは誰にも理解できない。


 ――内臓が腐るって、ファンタジー……。


 ナツは点滴を投与されながらそんなことを考えていた。現在薬はパックの半分以上を切っていた。もうすぐ終わると思ったら青山がもうひとつのパックを取り換えようとする。半分のパックを持つと彼女がナツの方を見た。


「今回の発作に、心当たりがありそうね」


「……市販のコンビニパスタを食べた」


「何してんの。死にたいの?」


 青山はかなりドスのいた声でナツに一喝した。ナツはもう慣れたものだが、最初の印象はとても衝撃的だったことを思い出した。


「こんなので死ねるなら苦労しないよ」


 まんざらでもないといった感じでナツは反論した。その後容赦なく彼女に頭部を平手で思い切りぶたれたことは言わずもがなだ。

 検査の結果は胃炎。それが妥当だろうとナツはひとり心で頷いた。また、いつもならやり過ごせているのにとも思った。

 この結果を受けて、ナツは二日間入院することになった。


 ――せっかく、生きる理由を見つけたかもしれないと思ったのに勿体無いなあ。


「行くって、約束したのにね」


 こんなのは計算外だ。ナツは珍しく反省していた。

 コンコンとドアがノックされる。いったい誰だろうか。母親は10時くらいに見舞いに来ていた。こんな短時間に連続で来るはずもない。来たら気持ちが悪い。しかし、ここで追い返すのもなんだかなと思ったナツは「どうぞ」と入室を声の主にうながした。ガラガラと病室の引き戸が開けられる。目の前に現れた人物にナツは思わず息をするのを忘れた。


「……奏子」


 3つ下の妹、奏子がそこに立っていた。

 都内より少し離れた場所にある女学校に通っていると以前母から聞いたことがあった。小さい頃からあまり接してこなかった為、妹がいるという感覚はそんなに無い。


「お前、なんで制服なの?」


 今日は日曜日。何故彼女が制服姿でいるのか理解が出来なかった。


「今日部活。その帰り」


「あ、なるほど」


「兄貴が入院したって聞いた。……母さんがかなり心配してたけど、大丈夫なの?」


「別に大丈夫なんじゃない? ピンピンしてるだろ。ていうか兄貴呼びはやめてって前から言ってるんだけど……」


「そうね」


 心配をしてくれているのか、そうでないのか。奏子はまったく興味が無いようだった。


「はい」


 奏子はコンビニの袋をドサリと足元に置いた。恐らく下のロビーにある購買で購入したのだろう。中には音楽雑誌がいくつか入っていた。


「二日間、入院ってつまらないでしょ。これでも読んでれば? じゃあね」


「あ、りがと……う」


 ピシャリと言い放ったかと思えばすぐに奏子は病室を足早に去って行った。礼も聞かずに。なんという妹だ。本当に兄妹か?

 なんにせよ、入院生活というものはいつ来ても何度やっても本当につまらないものだ。奏子が持ってきた雑誌を触る。洋楽本や、古楽器の歴史本。……いや、どんな選択なのよ妹よ。せめて漫画であってほしかったのだが、そうはいかない。しかしその中でもナツが一番気になったのはピアノの雑誌だった。


「嫌味以外の、何物でもないな」


 分かっていて買ってきたのか、無意識か。とりあえずピアノ雑誌だけは近くにあったゴミ箱に丸めて捨てた。

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