第21話
10分後インターホンの音が家の中に響いた。唯一郎であろう。そう思い込んでいたことがいけなかった。
「こんばんは。夏人はどこですか」
「――えっ」
知らない女性が第一声“夏人”と言った。凛とした、ナツに似ている女性。きっとナツの母親であろうことは容易に推測できた。
「あ、初めまして。ナツ……夏人くんは、」
「……ソラ、大丈夫。ありがと」
何かを察知したかのような速さでナツがふらつきながらも玄関へと出てきた。顔色が青を通り越して真っ白だった。
「おい……もう少し寝て行った方が……」
今起きたところでとても回復したとは思えない。奥の部屋でカイとリクが不安そうな目でこちらを窺っていた。
「ううん。だいぶ楽になったから大丈夫」
「いや……白いし……」
「夏人! あなたどうしてこんなところにいるの‼」
怒号が玄関一帯を響き渡る。ビリビリと空気が震えた。
「……別に、僕がどこにいたっていいだろ」
ソラは今までナツが怒った声など聞いたことが無かった。カイもリクも心底驚いた顔をしていたことだろう。彼はそれ程までに怒るイメージが無かった。
「どれだけ心配したと思ってるの。人様に迷惑まで掛けて……」
「め、迷惑だなんて思ってない!」
ですよ……と、
「それでもあなたは家族以外の家で現に発作を起こしているじゃない。あなたの自由の条件、忘れたわけじゃないでしょう?」
「でも発作って、急に起こることですよね?」
いつもは発言をあまりしないリクが珍しく自分の意見を言い出した。
「自分の意思で起こせるものじゃないし、迷惑だなんてここにいるオレたちは思ってないですよ」
「それでも――」
「うるさいな。」
聞いたことの無い、感情が感じられない声がソラたちの耳を
「僕が、いつ母さんに助けに来てって頼んだの?」
「ナ、ナツ?」
「言ってないよね。今も、あの時だって」
「……」
ナツの母親はついに黙った。
「僕は、あの日死ぬはずだった。なのに無理やり生きて痛さに耐えてまで生きる意味って何? 母さんは分かるっていうの? だったら教えてよ。今すぐ」
ソラたちは思わず言葉を失った。
3年も彼はソラたちよりも年上で、3年もの間入院生活によって学生生活を見送って、いつ来るかも知れない発作に耐える毎日。それはどれだけ理解しようと努力しても、簡単には理解することなど出来ない。考えただけで胸が軋むように痛んだ。
「そんな息子の苦しみが分からないなら、もう来ないで」
「――あなた‼」
ナツの母親が彼の言葉を聞いた瞬間、右掌を勢いよく頬に向かって振った。
ダメだ、ここで仲違いをしてしまったら。
そう思った時、ソラは無意識にそのビンタを止めていた。止めなければ、ナツの中の“何か”が壊れる気がした。恐る恐るナツの表情を窺う。流れた前髪が
――生きることを諦めた目だったのか。
自殺未遂の現場を見ているからこそ、その目が本当のナツの本心なのだと分かってしまう。だからといって、彼に何がしてあげられる? ぐるぐると思考がまとまらないまま、ソラはナツの母親に声を掛けた。
「……すみません。他人の俺があなたたちの言い合いに口出しをしてはいけないと思っていますが、そういうのはナツの体調が戻ってからにしてください」
ソラは自分でも珍しく心の底から怒りが湧き上がってきているのが分かった。自然と熱くなり汗を掻く。
「いやーごめんごめん。車のシートを倒すのに時間が……って、何、修羅場?」
「唯一郎! あなたねぇ……!」
「ちょっと、話は後で聞くから。今は夏人が優先でしょ。夏人、歩けるか?」
唯一郎が来たことで少しだけ気を緩めたのかナツがひとつ深呼吸をする。そして静かに1回頷いた。白い顔色のまま、ナツは唯一郎に掴まりつつ出て行った。
「……ソラ、また月曜日に。学校で」
その表情は今まで見た中でもきっと一番良い顔をしていたと思う。
ナツが帰った後、ソラはその緊張から解放されたかと思うと脱力した。カイたちが帰った後も、美舟たちが帰宅してからもずっと玄関から動かずにうなだれていた。
「……何してんだい」
「ばあちゃん……」
いつの間にか夕飯のにおいが居間の方からしてきた。もうそんな時間だったのかと溜息を吐いた。
「食べるかい? おはぎ」
おはぎ……。小さい頃から泣いていた時にもらっていたソラの大好物だった。涙こそ流れてはいないと思うが、美舟には見えていたのだろうか? その優しさは、今一番ソラの目頭を刺激した。
「……食べる……」
「……何があったかは、あえて聞かないけど。困っているなら素直に言いなさい。私たちは家族だろう」
その言葉を聞いた瞬間、必死に止めていたはずの涙が頬を濡らした。声を押し殺しながら美舟が持っていたおはぎを受け取り頬張った。
ナツは病気と母親に7年間もの間捕われ続けている。それはやはりソラがどうこうできる問題ではないし、解決できることでもない。それは彼の家族間での問題だから。そしてこれは彼にしか理解することが出来ない“痛み”なのだ。
何も知らなかった10年。彼の親友でありたい。そう思っていたのに、急に現実を見せつけられて動揺してしまった。あのナツの顔を見る覚悟が、自分には無かったのだと今更痛感した。
月曜日、ナツが「またね」と約束したその日、彼が学校へ登校することはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます