ピンク頭と貧乏籤騎士

「あの……率直に申し上げて、わたくしが貴女に嫉妬しなければならない理由がさっぱりわからないのですが。貴女にどこか嫉妬できるような要素ってございましたかしら?」


 アハシュロス公女の、心の底から不思議そうな言葉にはエステルの心を容赦なく抉ったらしい。まぁ、事実であるだけに、身も蓋も底もないよね。

 公女はもう少し角の立たない言い方はできないのだろうか?それとも遠回しな言葉では通じないと諦めているのだろうか?


 あまりに容赦ない指摘に、エステルの中で何かがぷつりと吹き飛んだらしい。彼女は訳の分からない奇声をあげながら、アハシュロス公女に掴みかかった。


「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」


 しかし、あっさり身を躱され顔から地面にダイブして、そのまま地べたに突っ伏している。そのままの姿勢で地べたに突っ伏したままピクピクと動いているようだが、起き上がったら公女に危害を加えるかもしれない。


「だ……大丈夫ですか……?」


 アハシュロス公女が夏の台所に侵入してくる黒々とした頭文字Gを見るような目で恐る恐る声をかけている。完全に腰が引けたその姿からは、「心底から嫌だが、後から言いがかりをつけられないよう仕方なく声をかけている」という気持ちが痛いほど伝わってくる。

 いつもこのくらいわかりやすい表情をしていれば良いのに……いや、いつも寒気を覚えるほどの作り笑顔で何を考えているのかわからないのに、いざ表情が動くとわかりやすすぎて心の中がダダ漏れ、というのは未来の王妃としては不安すぎる。

 何事もほどほどが一番……そのうち機会があったら表情筋のトレーニングでも勧めてみると良いのかもしれない。


 ......と、いかん、そろそろ止めに入らねばどちらかが大怪我をしかねない。


「悲鳴のようなものが聞こえたようですが、どうしました?うわ、大丈夫か、エステル!?」


 ものすごく今更感があるが、たった今通りがかった体を装って彼女たちの方に駆け寄ってみる。我ながら台詞が棒読みの気がするが、気取られていないことを祈りたい。


「ヴィゴーレ様ぁ……あたしぃ、ひどい目に遭っちゃいましたぁ……」


 すかさずエステルが、さっきまでのキンキン声が嘘のように甘ったるい声で、僕の名を呼んですがりついてきた。

 ずっと可愛いと思っていたその声だが、先程の姿を見た後だと、粘つくように気持ち悪いものに感じてしまう。思わず僕まで頭文字Gを見る目になりそうなのを必死にこらえ、笑顔でエステルを助け起こした。


「災難だったね。大丈夫?けがはない?」


 とりあえずこの場をどうおさめようか悩みつつ、つとめて優しく声をかける。

 内心の嫌悪感を押し殺して助け起こした僕に、エステルはここぞとばかりに抱きついてきた。過剰な身体的接触を好まない僕は、げんなりしながら必死に笑顔を作ってエステルをなだめる。


「あたしぃ、アマストーレ様にずっと責められて突き飛ばされてぇ……(嘘泣)ヴィゴーレ様が来てくれなかったらどうなってたか(ぎゅぅ)

 本当に本当に怖かったんですぅ」


「……どっちがだよ」


「え?今なんか言いましたかぁ?」


「大変、泥まみれだ…って言ったんだよ。怪我はないかい?」


  一瞬本音が出そうになったが何とか笑顔を取り繕って誤魔化すことに成功した。働き者の僕の表情筋えらい。よくやった。


 たぶん、今ここでさっきのやり取りを見ていたことを明かしてエステルを責めてもキレて暴れるだけだ。そして危害を加える相手は間違いなく僕ではなくアハシュロス公女。相手を見て態度を変える彼女は、自分が優位に立てる相手かどうか見極めて行動している。


 学生でありながら騎士として勤務しており、成果もあげて士爵位を賜っている僕に、少なくとも暴力でかかってくることはまずないだろう。

 僕は一般人に対して暴力を奮うことはしないが、相手が暴力に訴えかけてくる犯罪者なら容赦なく制圧する。相手が女性や子供であってもだ。


 そして、アハシュロス公女は間違っても暴力に暴力で対抗する事はない。もちろん、侮辱に対して家の力を使うなどして報復する事はあるだろうが、わかりやすく暴力や暴言に走るような育ちではないはずだ。

 そんな公女の行動原理がわかっているからこそ、エステルは平気で罵ったり嘲ったりすることができるのだ。


「このままの格好で帰る訳にも行かないだろう?用務室に予備の制服があるはずだから借りに行こう」


「ヴィゴーレ様やっさしぃ~♪やっぱり騎士様って頼りになりますぅ」


 エステルの髪や服についた土や木の葉を払いながら声をかけると、嬉しそうに腕に絡みついてきた。

 左手で自分の胸元を軽く押さえながら、右手でしっかりと僕にしがみついて何か呟いた気がする。その瞬間、猛烈な違和感が沸き上がったが、すぐに生理的な嫌悪感にかき消された。

 僕は正直言って、こういう過度の身体接触スキンシップはあまり好きではない。むしろ、友人同士の気安いやりとりの範疇を超える性的な意図を持ったボディタッチははっきりと苦手意識があり、それが度を超すと生理的な嫌悪感すら覚えてしまう。

 今までなぜ平気だったのか、むしろかわいいと喜びさえしたのか、自分でも不思議でたまらない。なんだか頭の中にモヤがかかっていたような気がする。

 それがさっきのエステルの醜態を見て急に晴れてきた感じ。何らかの魔法で操られていたと言われればしっくり来るほど不自然なのだが、人の意識を捻じ曲げるような魔法は扱いがきわめて難しく、一歩間違うと廃人にしてしまう。

 少なくとも魔法についても人間の精神についても全くと言って良いほど無知なエステルに使えるはずがない。一体どういう事だろう?


 何はともあれ、今はエステルをアハシュロス公女から引き離して、事態を収めることを考えなければ。すれ違いざま、呆れたようにこちらを見ている公女に目配せしつつ、つとめて冷たい声で告げる。


「アハシュロス公爵令嬢、先ほどお家の方が探しておられましたよ。政務や王妃教育でご多忙のはずの貴女が、こんなところで油を売る暇がおありですか?」


 実は嘘だが、とにかく公女をこの場から引き離したい。彼女も察してくれたようで、一瞬だけ驚いたように目を瞠るとわざとらしく刺々しい声で


「ご親切にどうも、ポテスタース卿。騎士団も意外にお暇なのですね」


と踵を返す。


 良かった。とりあえずこの場だけはおさまったようだ。


 ……さて、これからどうしよう(泣)

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