血まみれルーパーは3本目の焼酎を買わない

稲荷竜

血まみれルーパーは焼酎を2本買う

 この話にオチはありません。実話なので。


 その昔コンビニでバイトしていた時のことです。


 アルバイトというのに夢とか希望とか持ってる人もいるかもしれませんが、私は純粋に遊ぶ金欲しさで仕事をしていたものですから、毎日出勤前に『どうか大過なく終わってくれ』と祈るのが習慣になっていました。


 できるなら業務量は少ない方がいいし、あらゆる行動をルーチンとしてこなしたいので、余計なタスクはない方が当然いい。


 しかしその日は「なあ! ATMがさあ! 使えないんだよねぇ!」と大騒ぎでうったえてくる人 (※深夜帯にあらゆる取引ができない銀行がありました)に『いや……銀行に言ってよ……』とか思いつつ謝ったり、英語でなにか早口に訴えてくるお客様の目的のものを探して店中を探し回ったり、そういうルーチン外のタスクがちょいちょい発生してしまったのです。


 そうなるともう私は勤務中に『帰りてぇ』しか思うことがなくなり、「いらっしゃいませ」と言うべきところを「お帰りくださいませ」(※コンビニバイトは出来高制ではないので客は少ない方が楽)と言わないようにするのに必死でした。


 そうして奇妙に慌ただしい時間も終わり、便所に二時間ぐらいこもったまま出てこない人がいたので警察呼んだりして(※店員、お客さんの入ってる便所のドアを勝手に開けてお客さんを引きずり出す権利がないので、こういう場合は通報になります)ようやく一息ついたころ……


 出ましたね。


 客。


 来客の少ない時間でもバイトは遊んでるわけではなく、掃除やら品出し・前出しやらやることが大量にあります。


 先に述べた通りにコンビニバイトは時給制なので来客数は少ない方が楽だし、私は楽をしたい方です。寝てるだけで給料が欲しい。


 店の前に落とし穴を掘ってやろうと思ったことも、一度や二度ではないのです。


 妄想していました。


 休憩所には天井からぶら下がった謎の紐があって、『今は接客ちょっとな……』と思った時にそのヒモを引けば、店前の泥落とし用カーペットに隠された奈落へと続く穴がパカリと開き、そこに客が吸い込まれていくのです。


 それはなんとも楽しい妄想でした。


 しかし現実は非情なものですから、私は店員としての節度を守って接客にとりかかります。


「いらっしゃいませ」と気配に対して(※ここで言う『気配』は来店の際に店内に鳴る来客サウンドエフェクトのことです。エンカウント音と呼んでいました)述べながら品出しをしつつ、モンスターが店内をうろついて商品を手にしレジへ向かう気配(※こちらは普通に気配)を五感で探っていました。


 すると気配が私の方に近寄ってくるので、『まずい、商品選びの邪魔になる』と思い品出しを切り上げてレジ待機しようとしたところ……


「すいません、焼酎ありますか」


 そう聞かれたので、「あ、はい、こちらに━━」と目の前にある焼酎の棚を示しました。


 そのさいにまったくモンスターの方を見ないわけにはいかないものですから、ちらりとそちらをうかがったところ……


 血まみれ、だったのです。


 私は厄介ごとが大嫌いで、業務外のことはいっさいしたくない方、なんなら業務もしたくないタイプなものですから、これには困りました。


 その人は長い髪に半乾きの血をこびりつかせ、一歩歩くごとに奇妙にねばりけのある水っぽい音を出し、その人の歩いた道には点々と血がついていたのです。掃除が大変そう。


 私はこの時に内心ですっかり動揺してしまっていたので、客が焼酎を手にしてよどみない足取りでレジに向かうのに合わせて会計のために行動し、普通に焼酎のバーコードを読んで、年齢確認をして、会計をして、袋に入れて、あとは客が焼酎片手に店を出ていくのを最後まで見守り、「ありがとうございましたー」と締めくくりました。


 救急車では?


 そう思った時にはもう点々と血のあとだけが残り、お客様本人はとっくに店を出て、後ろ姿さえ扉の向こうに見当たらないありさまでした。


 私はとりあえずモップを取り出して床に落ちた血を掃除しながら、近くでケンカでもあったのかなあ、やだなあ。巻き込まれたくないなあ、と自己保身について考えていました。


 そうしているうちに再びエンカウント音が鳴り響き、店内にモンスターが侵入してきたのです。


 私はコンビニの味気ないガラスのドアに転移魔法陣があって、客が店に入ろうとするとそれが発動し、私の勤め先とは違うどこかの店舗にテレポートする仕掛けについて妄想していました。


 しかし現実には夢も魔法もなく、私には床掃除という余分なタスクと、シフト終了までの四時間ほどが残されていたのです。


 なので店員としての節度に従い「いらっしゃいませー」と対応し、


「すいません、焼酎ありますか」


 ━━音もなく背後に立っていたのは、先ほどのお客様だったのです。


 最悪のループが始まったかと思いました。


 私はなんらかのきっかけで先ほどの時間を繰り返し、このお客様に正しい対応をするまで同じ時間が回り続けるのから抜けられないのではないか、と一瞬マジでめんどくせぇなと感じたのです。


 しかしどうやらこれはループなどという奇跡や魔法ではなく、同じお客さんが、同じように血まみれのまま、同じように焼酎をお求めになられたというだけの話だったのです。


 先ほど売った焼酎はそれを入れたビニール袋ごとすでになく、先ほどご案内した焼酎の売り場の記憶もないらしく、ただただ血まみれのその人は、もう一回同じように焼酎を購入し、去っていきました。


 掃除した床には点々と血のあとが復活し、私はお客様を見送ってしばらくしてから、日本には電話一本で救急車を呼べるインフラがあることを思い出したのでした。


 その後、ループすることもなくシフトを終えた私は、入れ替わりで入ってきた店長にその日あったことを簡潔に端的に報告しました。


 すると店長はATM使えないおじさんから血まみれルーパーの話まで全部聞いたあとで、こう述べたのです。


「まあ、よくあるよ」


 よくあるんならまあいいか。


 その後私は一年ぐらいでそこでのバイトをやめました。


 最近、用事があって久しぶりにそのコンビニの近くを通りがかったところ、店は潰れていて代わりにオーガニックな感じのスーパーになっていました。


 今でも血まみれルーパーやトイレ立て篭もりお兄さん、それに胡麻ドレッシングサラダを毎日買う『胡麻ドレさん』などはいるのでしょうか。


 特に調査もしてないので真相はわかりませんし、たぶん明後日ぐらいには全部忘れていると思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

血まみれルーパーは3本目の焼酎を買わない 稲荷竜 @Ryu_Inari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ