第56話 私の中の小さな甘え
12月3日 土曜日 10時50分
鈴守神社社務所
#Voice :
社務所の作業部屋に持ち込んだゲーミングノートの中で、ともえ先輩がこっちを拝んだ。
『ごめんってば、あずさ、もう、許して~』
はあ。カメラに向かい、大袈裟にため息をついて見せた。
ともえ先輩は、話しやすくて、相談にも乗ってくれて、いつもみんなのことを気にかけてくれる。実質的な生徒会のまとめ役で、大好きなお姉さんなんだけど…… 天衣無縫っぷりは、ちょっと困りもの。
でもね、この前の祝日に、ともえ先輩から卒業できないと聞いて―― 私、心のどこかで安心していた。もう一年、一緒にいられるって。
「わかりました。パフェ、私と、ともえ先輩ふたりのおごりにしますね」
ともえ先輩の留年危機を、すこしだけ喜んでしまった罪悪感から、私はパフェをふたりの割り勘にした。
「その代わり、もう、おいたは、しないでください。あと、ちゃんと補習を受けて卒業してください」
『ふぁい』
気の抜けた感じの締まらない声が、ふんわりと答えた。ああ、もう、ともえ先輩ってば、もっと、しっかりしてよ。
会話がひと段落したから、筆をもってお札書きに戻った。新しい年を迎えるにあたり、参拝客の方々は、新しいお札をお求めになりますから、ね。町外れの鈴守神社だけど、年末年始には、それなりに参拝客が来るの。
「今日中に、あと、200枚は書かなきゃ……」
私は、このとき、大切なことをひとつ忘れていた。
お札書き。大切な神様のお名前を書くのだから、気持ちを集中しなきゃいけない。
巫女装束姿のときは、誠心誠意、神様にご奉仕しているんだから。
だから、ゲーミングノートを閉じてしまったの。
大切なことを忘れていたの。
私、みんなを守りたいって思っていた。
だけど、ともえ先輩には、お守り鈴を渡していない。
きっと、私の中に、ともえ先輩に対して甘えがあったの。年下の一年生の子たちには、会うたびにお守り鈴を渡したけど、ともえ先輩には渡していない。
ともえ先輩が「キュービットさん」に感染していると聞いたのは、いま、なの。
神社のお手伝いは忙しいけど、社務所を抜け出して、大急ぎで私も保健室に行って、立ち会うべきだったの。なのに、つい、ともえ先輩に問題を預けてしまった。
後で祐久駅前に集まって、メガ盛りパフェを頬張りながらお話ししようと、悠長なことを考えてしまったの。
これは、私の中の小さな甘えが招いた失敗なの。
◇ ◇
12月3日 土曜日 11時00分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
「もうひとつ確認させてください」
俺は、わざとらしく声を作った。パフェで浮かれている場面じゃない。
呪いのアプリ「キュービットさん」について、確かめるべき事項はまだある。
「タブレットの電源を落とさない理由は、タブレットパソコンのメインメモリーに、萩谷や緋羽たちの催眠を解く解除パターンがあると―― LINEのメッセージで読みました。そんなことが、本当にあり得るんですか?」
俺は、言葉を選びながら戸惑いがちに尋ねた。
画面を見ただけで呪いに感染するアプリというのも、充分に異常だが、その呪いを解く鍵もアプリの中にある―― と、いうのだ。
木瀬と名倉の凄惨な死に直面したから、何とか信じているが、眉唾モノの話だ。常識的な生徒を自認する俺の中では、「非常識だ。あり得ない」という声が警鐘を鳴らしている。
「『キュービットさん』からの回答だと、タブレットパソコンのメインメモリーに催眠の呪いを解く鍵になる、解除パターンなるものが、暗号化されて保存されているみたいなの」
ふんわりと、菅生先輩が答える。菅生ともえ先輩は、市内でも有名な大病院のご令嬢で、「天使」と呼ばれる雰囲気と容姿の持ち主だ。健全な男子生徒に憧れを抱かせる清楚な色香もある。
怜悧な日本人形のような星崎先輩とは異なり、菅生先輩には絶妙な緩さを含んだ包容力があるのだ。
だから、菅生先輩の言葉の真偽を、俺は計りかねていた。
菅生先輩は、成績なら学年トップだ。パソコンに関する知識も、おそらく俺を凌駕するはずだ。
だが、星崎先輩と異なり、呪いやらのオカルトに対する理解は…… どれほどあるのだろうか?
「どんな原理で呪いが解けるんですか?」
心の中で、こんな質問に意味があるのか? という疑問が回っている。こんな質問に、正確に答えられる人間は、狂人しかいないだろう。おそらく、呪いのアプリ「キュービットさん」の制作者は狂人の類のはずだ。
「原理は…… ごめん。わからない。深夜まで『キュービットさん』を質問攻めにしたんだけど、それ以上は、有益な答えは出てこなかったのよ」
菅生先輩は、困ったように答えを返した。
俺は首肯した。
わからないというのは、常識的で正常な回答だ。
「そうなんですか。じゃあ、みんなを土曜日に集めた理由は……?」
「うん。原理はわからなけど、催眠の解除を試せないかと思って、ね」
保健室に集められた全員は、戸惑いがちに顔を見合わせた。
戸惑う理由は簡単だ。
もういちど、「キュービットさん」をすることになるんだよな、これって。
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