Candy Apple

霜月このは

Candy Apple

「リンゴ飴ってさ、英語でcandy appleって言うんだねー」


 お昼休み、ジリジリと鳴く蝉の声をBGMに、奈津は突然そんなことを言い出した。


「何言ってんの? 急に」

「いやほら、candy appleて響き、なんかいかにもSNS映えしそうじゃない?」


 スマホをいじりながらそんなことを言う。SNSなんて面倒、なんて言って、ずっとやってないくせに。


「可愛いっちゃ可愛い気もするけど、それって、そのまんま直訳って感じじゃない? 意外性も何もないと思うんだけど」

「ふーん、どうせ私は有紗と違って、英語の偏差値36ですからー超バカですからー」


 私が思ったことをそのまま口にすると、奈津は拗ねたように言う。


「あーはいはい」


 そういう自虐も、わりと聞き飽きたものだった。


 だけど奈津は、私の反応なんか気にならないようで、スマホの画面をこちらに向けて、ほら、これなんか可愛い、と指さしてくる。


 リンゴ飴の画像を検索していたらしい。


「向こうの方だと、ハロウィンパーティーでも食べたりするらしいね」

「へー、そうなんだ」


 しばらく、これがいいだのなんだのと、ひとしきり騒いで。


「でもさ、可愛いんだけど、食べにくいんだよね、あれ」


 そんなことを言い出した。


「あー、たしかにそんな感じするね。食べたことないけど」

「え、ないの?」


 奈津は驚きに満ちた表情でこちらを見てくる。


「うん、ない」

「じゃあ、今度一緒に食べようよ!」


 こうなった奈津を止めるのは、私には不可能だった。


 ちょうど週末には町内の花火大会があるので、そのときにリンゴ飴の屋台を探して、一緒に食べようという話になった。


 私たちの町は、田舎だけど、毎年まあまあ大きな花火大会を開催していて、わざわざ他県から花火を見に来る人たちまでいるくらいだ。


 その日にかぎっては、混雑緩和の目的もあって、生徒やその家族、学校関係者限定で、夜間に学校の屋上が開放される。だから、外の屋台で食べ物を買ってきて、学校で食べながら花火を観ることができる、というわけだった。


 午後七時過ぎ。学校の正門前で、奈津と落ち合う。それぞれ、既に両手には戦利品を抱えている。


「あ、リンゴ飴。あったんだ」

「うん! 後で一緒に食べよ」


 お祭り気分だからか、私も奈津も、なんとなくテンションが上がっているみたいだった。


「夜の学校って、なんかいいよね。落ち着く」

「わかる」


 悪い子代表の私たちは、当たり前のように夜の学校に忍びこんだこともあるんだけど。


 今日は悪い子じゃなくても入れるから、スリルは今ひとつ、と言ったところか。


 当たり前のように屋上までの階段へ向かおうとしたら、急にぱっと手を引っ張られて、止められた。


「奈津? どうしたの?」

「ちょっと待って。今日さ、こっちにしない?」


 奈津の目線が示す先は、二年A組、つまり私たちの教室。屋上への階段とは全く逆方向の、校舎の隅っこ。


「そっちで、花火見えるかなぁ」

「いや、見えるでしょ。いつも、あんなにでっかでかと打ち上げてるんだし」

「そうかなぁ」

「そうだよ! まあとにかくさ、こっちにしよ? 人も少ないしさ」


 奈津は強引に、私を教室まで連れて行く。

 思ったとおり、そこには私たちしかいなかった。


 窓を思い切り開けると、カーテンが大きく揺らめいた。少し風があるみたいだけど、今年の花火大会も無事に始まったみたいだ。ドーンと打ち上げる音と、カラフルな光が私たちを照らす。


「今年もはじまったね」

「うん」

「とりあえず、乾杯しよっか」


 奈津は持っていたラムネの瓶を私に渡す。


「やるか」

「うん」


 ペリペリとラベルを剥がしたら、二人して、瓶の上部に親指をセットする。そして思い切り……押した。


 ぶじゃああああああっと勢いよく、ラムネが噴き出す。


「きゃーーー何これ!」

「あははははは! おもしろ!!」


 私たちの制服も、机も椅子も床も、砂糖水でベッタベタになるわけだけど。


 奈津め、思い切り、振りやがって。


 ううん、ほんとは、二人ともわかってて、やったんだ。


 本当に、十七歳のやることか?と思うけど。まあそんなもんだろう。だって十七歳、思春期だか反抗期だかの真っ盛り、そして青春真っ盛り。


 それに私たちは、悪い子だから。これくらいのいたずらはいいんだ。


「はい、タオル」

「ありがと」


 いつになく、準備の良い奈津は、どこからともなく、濡れたタオルを差し出してくる。


 とりあえずびしゃびしゃになったものたちを軽く拭いておく。まあ、こんなもんで許されるかな。


「最後の花火の思い出がこんな始まりとは、ねえ」

「まあ、私たちらしくて、いいんじゃない?」

「おまえが言うなー」


 私は奈津の頭をわしゃわしゃーっとなでる。あ、ポニーテールが若干崩れた。


「もう、髪の毛崩れちゃったじゃん」

「いや、初めからそんなもんじゃないっけ」

「有紗のいじわる」


 奈津は頬をわかりやすく膨らませながら、髪を結び直した。


 奈津の髪、本当は私は下ろしているほうが好きなんだけど、そう言うと毎回『嫌だ、暑いし』と却下される。


「とりあえず、びしょびしょになったのが、浴衣じゃなくてよかったことは確か」

「あー、その手もあったか」

「何よ、その手って」


 奈津はまた変なことを言う。


「有紗の浴衣をびっしゃびっしゃにするのもまた一興だったな」

「あんた、私に何の恨みがあるのよ……」

「いや、別にー」


 わけのわからないことばかり言って、ごまかすように、たこ焼きを食べ始めた。私も一個もらう。口を開けると、思ったよりも大きいやつを突っ込まれる。思ったよりもまだ熱かった。


「はふ、あつっ」

「ほんと、あっついねえ」


 二人してけらけら笑う。


 奈津といるのは、楽しい。高校からの友達とは思えないほど、私がここまで打ち解けているのは、彼女くらいだった。


 短い付き合いだったけど、彼女のおかげで、高校生活は楽しかったな。


「……寂しくなるなぁ」


 奈津は、急にため息をついた。


「ん、何が?」

「何がじゃ、ないでしょ。ほんと有紗は、こーんな直前まで黙ってるとか、裏切り者ぉ」

「裏切り者も何も。奈津は、応募もしてないじゃん」

「いやそりゃね、私、偏差値36だしね、どーせ」


 その言い方は、いつもみたいな明るい自虐とは明らかに違うから、私は一瞬言葉に詰まる。


「まぁさ、有紗は。きっと、どこでもやってけるだろうからさ。……がんばりなよ。って、私が言うことでもないけどさ」


 顔を斜め上にあげて。窓の外の花火に目をやったまま、そう言う。


「うん……ありがと」


 私も、花火から目線を外さずに言う。ちょっと今は、奈津のほうを見るわけにはいかなかった。



 そう、ここで奈津とこうやって過ごすのも、これが最後なんだ。


 私は来月、アメリカに行く。九月から、向こうの大学に入学することが決まっていた。


 ちょっと周りの子よりも早い、いわゆる飛び級というやつで、いまどき成績優秀者には、そういう専門の枠があったりする。


 ただちょっと周りの子よりも早く色々なことを勉強したかっただけだけで、別にこれといって将来の夢があるわけではないけれど。


 ただ、いつ日本に帰ってくるかは、決めていなかった。だからもしかしたら、これが一生の別れになる、なんてこともあり得るのだ。


 いくら通信技術が発達した現代だと言っても、多くの人は半径数十キロ圏内で生活し、その範囲内の人だけと連絡をとり、交流を深め、友達になり、あるいは恋人になったり、結婚したりする。


 多分、そんなもんだ。


 それに、いくら仲が良くても、英語の苦手な奈津が、私に会いにアメリカの大学まで来るなんてことは、なさそうだし。というか、追いかけてこられても、困るし。


 しばらく間が空いてから、私たちはクラスメイトの噂話に興じる。


「K村さ、E籐に告ったらしいよ」

「へえ。やるじゃん」

「夏休みにもう、泊まり旅行するんだってさ」


 奈津は、周りの子達の恋バナに興味津々だ。本当に、ごく普通に、女子高生をしている。


「それ、親とかにバレないのかな」

「まあ、バレたらバレたでしょ。友達と行く、とか適当に嘘ついたらいいし」

「最近の若い子達は、お盛んですなあ」

「ですなあ」


 同い年だってのに、そんなことを言って笑う。だけど知ってる。奈津だって、そういうの、本当は興味津々なのに。


 別に、私に合わせて、関心のないふりなんかしなくてもいいのにな、と思う。


 私はそういうの、本当にわからない人で。どちらかといえば、人間と話すよりも本を読んでいる方が好きだから、だからこそ飛び級で海外の大学進学なんてすることになってしまったわけだけど。


「ねえ、有紗はさ」


 急に、静かなテンションで、奈津は言う。ちょうど花火のほうも、しっとりとしたBGMの、優しい演出に変わっていた。


「……キス、したこと、ある?」


 すごく、恥ずかしそうに、言うもんだから。思わず目を合わせると、うつむいてしまった。


「急に、なに。どうしたの?」

「だから、あるの、ないの……?」

「ない、けど」


 私がそう答えると、ふうーっと大きく息を吐いた。


「そうかぁ、ないかぁ……そうかぁ」

「逆に、これで、私が誰かとこっそり付き合ってたらすごくない?」

「ああ、それもそうだよね」


 また二人して笑う。


 でも、本当は知ってる。私は。奈津には、本当は彼氏がいるってこと。


「有紗はさ、そういうの、本当に興味ないわけ?」

「まあ、ね。完全に興味がなくはないけど。知的好奇心程度には、あるかな」

「知的好奇心って」

「いや、ひとの営みとしてさ。そういうことをする人たちがいったい何を考えているのかには、興味はある」

「なにそれ。やっぱ有紗って変だよ。宇宙人みたい」

「まあね。一応、地球という大きな船に乗っていると言う意味で、我々は皆、宇宙人とも言える」

「そうじゃないからー」


 奈津との会話は楽しい。


 私がどんな変化球を投げても、いちいち全部返してくれる。元来、頭の回転の速い子なのだと思う。今は単にその興味が、学業とは別の方向に向いているというだけで。


 ひとしきり笑って、また少し、間が生まれて。


 奈津は、やっと話してくれた。「実は、彼氏いたんだ」ってこと。


「うん、知ってた」

「ごめんね、黙ってて」

「いや、気にしてない。言いたくないことだってあるだろうしね」


 フォローを入れる。だけど、全く気にしてないなんてのは、嘘でしかなかった。


 もっと言うと、そういう恋愛ごとに関心がないなんてのも、大嘘だった。


「はぁー」


 奈津は、また物憂げにため息をつく。もう何回目かわからないそのため息で、顔の両サイドにひと房ずつ残った毛束が揺れる。


 花火の光で、長いまつげが光る。


 届かないものほど、綺麗に感じられるものだから。私はあえてそれに触れようと思わなかっただけだった。


 学問を究めたい気持ちは嘘じゃない。

 だけど一刻も早くここを離れたいと、強く思ってしまったのは、奈津に彼氏ができたからだった。



「んで、彼氏と、なんかあったの?」


 よせばいいのに、私は訊いてしまう。事情を聞いたからって別になんにもならないのだけど。どうせ何にもならないならば、友達としてはより親切な対応をすべきだと思ったから。


「こないだ、デートしたときに。……キスしたいって言われてさ」

「ほう。……で? したの?」

「いや、なんとなく、断った」


 あまりにあっさりと、そんなことを言う。


「なんとなく、ねぇ」


 花火のテンションが、また少しずつ、上がってきた。もうすぐ八時だった。そろそろラストスパートをかけてくる頃なのかもしれない。


「ちょっとだけ、怖かったんだ。自分が、自分じゃなくなるみたいで」

「表皮の細胞なんて、一ヶ月もしたらそっくり生まれ変わるんだし、たかだか唇に触れるくらいで、そんな大げさになることもないと思うんだけどね」

「また、有紗は。そういう、風情のないことを言う!」

「風情?」

「初めてのキスはさ。心の底からしたいと思ったときに、すべきじゃないかなって、私は思うんだけど」

「うん。まあ、気持ちはわからなくもないよ」


 奈津は、可愛いなと思う。そんなことで、真面目に悩んで。ちゃんと女子高生してるじゃないか。私と違って。



「……リンゴ飴、食べよっかな」

「うん、食べよう」

「あ、一個しか買わなかったけど。先、食べて良い?」

「どうぞ」


 許可を出すか出さないかのうちに、かぷり、と食らいつく。真っ赤なリンゴ飴に、奈津の歯形がつく。


 胸の奥が、ぐらぐらと、まるで炎が燃えているように熱くなった。


 次の瞬間、どーーーん!と、大きな音と共に、ひときわ大きな花火が上がり始めた。


「好きだよ。有紗」

「……ごめん、何? 聞こえない」


 嘘をついた。そう言ったら、諦めてくれるかと思って。


「ねえ、私のこと、好きでしょ。有紗。……ねえ、わかってるんだから!」


 奈津は、諦めてくれなかった。


 花火にも負けない、大きな声で、そんなこと、言われたら。


 応えないわけには、いかなかった。


「……好き、だよ。……言わせないでよ、そんなこと」


 身体が芯から熱くなる。目頭が熱くなる。

 それでも何かがこぼれ落ちそうになるのを、必死で耐えていた。


「もっと、早く、それ言ってくれたら、よかったのに、な」

「そんなの、お互い様」


 鼻声で、そんなことを言い合うけど。細かいニュアンスのほうは、花火が全部、ごまかしてくれた。私たちは、ただ笑い合った。


「ねえ、有紗。私……今だと、思うんだけど」

「なにが?」

「心の底から、したいと、思える瞬間」


 奈津の唇は、リンゴ飴のせいで、グロスを塗ったみたいにつやつやしていて。


 そんなの、反則だ。だけど。


 くらくらする頭を押さえ込みながら、私は答える。


「さすがに浮気は良くない、かな」


 そう言って、さっきまで奈津がかじっていたリンゴ飴を奪い取る。


「これにしとく」


 初めて食べたリンゴ飴は、甘くて酸っぱくて。


 きっと多分、一生忘れられない味だった。


「私、いつか絶対、食べに行くよ」

「何を?」

「Candy apple」

「Oh, Really ?」


 奈津の発音は、気のせいかな、偏差値36とは思えないほど。それはそれは、綺麗なものだった。


 I will be waiting for you forever.


 口には出さないまでも、そう思った。

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Candy Apple 霜月このは @konoha_nov

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