最終話 最後の嘘

 次の日も森本いずみは学校に来なかった。

昼の弁当を食べ終えて、僕は席についたまま、ぼんやり窓から外のグランドを眺めていた。男子が数人サッカーをしていた。彼らの楽しげな声がグランドに響いていた。

 僕は昨日彼女にリストカットの事を訊いた事をかなり後悔していた。デリカシーがなかった。彼女が学校に来なくなった理由が僕にある気がして、後ろの席の女子にそれとなく訊いてみた。

「あのさ」

「ん?」

「森本さ……今日も休みかな?」

彼女は読んでいた本を机に伏せてこう言った。

「さっき職員室に行った時に、先生が言ってたんだけど」

「うん」

「あの子、今日引っ越すらしいよ」

「は?どこに?」

僕は驚いて身を乗り出した。

「四国だって」

「なんで?」

「なんか、訳ありみたい。先生たちが話してるの、聞こえちゃったんだけど……」

「うん」

「彼女のお父さんってアルコール依存症で、酔うと彼女に暴力を振るってたみたい」

僕はショックで、言葉が出なかった。顔が瞬間硬直するのを感じた。彼女は話を続けた。

「最近もひどい暴力があったらしくて、なんかそれが原因であの子だけ四国のお婆さんちに行くみたい」

「最近って……いつ?」

「いつだったかな……。そうそう、中間テストが終わった日だよ」

やはりあの日だった。彼女が『見知らぬ人から拉致されて殺される!』って僕に電話をかけて来た日だ。彼女はあの晩、父親からの暴力から逃げるために公園にいたのか。

 彼女が言ったことは半分嘘だったけど、半分本当だったんだ。それなのに、何も知らない僕は彼女に怒ってビンタした。なんてひどい事をしてしまったんだ。彼女を深く傷つけたに違いない。

 僕はそれを聞くといてもたってもいられず、慌ててカバンに教科書やノートを詰め込んで、教室を飛び出した。


--------


 彼女の家は双葉公園の近くの豪邸だ。覚えてる。僕は懸命に走った。もう彼女は家を出て間に合わないかもしれないけど、行かずにはいられなかった。

 坂道を駆け上がると彼女の家が見えた。家の門の前に森本いずみがいた。ちょうど玄関を出たところだった。彼女の手には黄色のスーツケースがあった。今から出て行くようだった。ギリギリ間に合った。彼女は僕を見て、かなり驚いたようで、動揺してるのがわかった。僕は息を切らしながら、開口一番こう言った。

「引っ越すの?」

「うん」

彼女の様子はいつになく、寂しげだった。

「突然だけどお婆さんちに行くことになって」

僕はうつむく彼女にこう言った。

「あの、俺、謝らなきゃいけない事があって」

「えっ?何?」

「キミにビンタした日さ、あの、家でいろいろあったこと知らなくて」

「いいよ、別に……もう許したって言ったじゃん」

「それに昨日僕、デリカシーのないこと聞いちゃって……」

彼女は小さく微笑んだ。

「それよりさ、昨日の晩、付き合ってくれてありがとうね、観覧車」

「えっ?ああ……」

「あれが、ここでの最高の思い出」


少しの沈黙の後、森本いずみは少し顔を赤らめながら、思い切るようにして僕にこう言った。

「あれが私の夢だったの。好きな人と一緒に観覧車に乗って夜景を観ること」

僕は少し気恥ずかしくなってこう言った。

「それも、嘘?」

「嘘は昨日で20回使い果たしちゃったから、もう嘘は言えないの」

「……」

それがどういう意味か、鈍感な僕にもわかった。

彼女は照れくさかったのか、自分の腕時計を見た。

「もう行かなきゃ」

彼女がスーツケースを引いて、歩き出そうとした瞬間、僕は思わず彼女の手をつかんだ。

彼女はびっくりした顔で僕を見た。


「お、お前の事なんかすぐに忘れるから。会った時から大嫌いだったよ」

彼女は「うん」と寂しげに頷いた。

僕は彼女の手を離した。

「またな」

「うん」

「俺だって、嘘くらいつくんだぜ」


彼女は涙を浮かべながら、微笑んだ。

僕と彼女との間でやり取りした最後の嘘は、僕がついたものだった。

僕らの横を慌ただしく車が通り過ぎていった。

僕が言った。

「アンドロメダ星に帰るんだろ?」

「そうです、ナハナハ!」

僕らは笑いあった。

僕と彼女がいる空間だけ、日常から切り取られ、時が止まっているようだった。


おわり。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の嘘 芦田朴 @homesicks

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ