1章 出会いと始まり――演劇部へようこそ!

1 幸村颯斗/部長・峰岸琴美

 桜が舞う春。私立天ヶ崎高校の入学式の日。

 俺――幸村ゆきむら颯斗はやとは度肝を抜かれた。


 なにせ大講堂が広い。もちろん知識の上では把握していたが、学校説明会には参加していないし、入試の際にわざわざ大講堂を一瞥しにいく機会もなかった。学校のホームページや、パンフレットや、それらには大きさが記載されていたものの、実物を目にすると想像の遥か彼方を音速で飛び越えていて、驚きのあまりに開いた口が塞がらない。

 全国有数の広さで知られるこの大講堂は、なんと千人が丸々すっぽり収まるのだ。

 一学年が三百人ほどなので、全学年が一堂に会することも可能だ。


 校舎の南側――昇降口の正面には、体育館が。その東隣には武道館が併設されている。

 そして体育館の西隣に大講堂がある。

 体育館、武道館、大講堂は、すべて校舎と渡り廊下で繋がっている。三つの渡り廊下があって、それぞれ土足で横切れるように、中央に窪みが作られていた。


 大講堂の中は、何十人と並べそうな広大なステージを最下段にして、映画館のように、階段状に固定席が設置されている。

 固定席のシートはふかふかで、いい素材で作られているのだろうと肌で感じ取れる。当然、座り心地は素晴らしく、ボーっとしているとすぐに眠気が襲ってきそうだ。


 一年前、一度だけプロの舞台を見に行ったことがある。テレビに出るような芸能人たちが集う、大規模な舞台演劇を。

 それと遜色のない広さ――いや、それ以上の広さのステージと、客席の数だ。

 文化祭だとしてもこの客席すべてが埋まるとは考えづらいが……それでも、たった百人の視線が集まるだけで、きっと足がすくんでしまうのではないか、そんな気がしてくる。


 この講堂で、このステージで、劇をする。

 身震いするほどの高揚感と、恐怖心。思わずぐっと息を呑んでしまう。


 そんな感情の奔流が胸の中を駆け巡った入学式から明くる日。一週間の暦にして火曜日のこと。

 今日より二週間。すなわち平日の九日間。体験入部の時間が設けられている。

 それに先立って、午後より部活動紹介のオリエンテーションが大講堂で行われる。

 担任によると、運動部は大概が紹介のみで終わってしまうが、文化部にとっては研究発表の場でもあるのだとか。

 運動部が不遇じゃないか、と思うかもしれないが、そもそも運動部の方が圧倒的に人数が多く、人気もある。文化部にとってはこのオリエンテーションがかなりの鍵を握っているそうだ。


「演劇部って、どんなことするんだろうな。やっぱり劇か」


 クラスの後ろの席――大講堂では隣の席の山崎が、部活動紹介のパンフをパラパラめくりながら言った。

 山崎には、堂々と演劇部に入る宣言をかましてある。素直に応援してくれたのは、結構嬉しかった。


「どうだろうなあ。あんまり時間もないだろうし、そんな余裕はないんじゃないかな」

「じゃあ、結局は吹奏楽部が断然有利じゃんな」


 吹奏楽部は文化部の花形であり、大トリとして演奏があることも周知されている。文化部員の三分の一は、吹奏楽部である。


「研究発表って言ってもさ、囲碁将棋部なんかはどうしようもないだろ。数学部や英語部だってどうしろと。パソコン部あたりはワンチャンあるか。やっぱり吹奏楽部が、どうしたって目立つよな。わかりやすい。華もある。他の部とは絶対的に違う。この部員数にも納得だわな」


 パンフを指でなぞりながら、山崎がしみじみと言う。それから俺の顔の前に手のひらを突き出し、


「おっと、演劇部が地味って言ってるわけじゃないぞ」

「そうやって言い訳されると、余計怪しいんだよな……」

「いやいや、そんなつもりはない。吹奏楽部と比べての、相対的な話だよ」

「まあいいさ。入る決意は変わらない」

「拗ねるなって。応援してんだから」


 そう言われて許せてしまうのは、我ながらお安いものだ。


 しばらく他愛もない雑談を交わしていると、教頭先生のアナウンスの後、部活動紹介が始まる。教師陣の拍手に続くように、講堂中が万雷の拍手で埋め尽くされた。

 真っ暗なステージの中央が、バン、とスポットライトで点された。数人の生徒が、その光の円のもとへ向かっていき、スピーチをしては入れ替わっていく。

 運動部はやれることが少ないため、ユニフォームを着た主将たちがマイク片手に直近の成績を誇るだけのトークショーと化していた。どの部も代わり映えしないので、さすがに不憫に思ってしまう。


 運動部のあまり変化のないローテーションが終わった後、文化部の活動紹介が始まる。

 結論を言うと、あまり実のある発表にはなっていなかった。

 何せ、気合の入った映像や資料をプロジェクターで流すわりに、発表者たちが台本を読むだけの棒読みなものだから、内容が頭に入ってきづらいのだ。

 素人ゆえに仕方ないのだが……教師陣も、もう少しやり方を考えた方がいいと思う。

 どうせ興味のある人は、体験入部に顔を出す。結局これでは部活動紹介をする意味がない。むしろ、悪いイメージを植え付けていやしないか心配になる。

 これでは山崎の言う通り、吹奏楽部の宣伝になるだけだろう。


「さあて、次が演劇部だぜ」


 別に演劇部だからって紹介がうまいとも限らないんだよなあ。と少し気を抜いていると、舞台上に女生徒が一人だけ現れた。

 ピン、と背を張っていて、一糸乱れぬ歩き姿が、否が応にも目を惹きつける。

 只者ではない。そう思わせる佇まい。講堂全体が呑まれ始め、徐々に静けさに包まれていった。

 この学校の女子は、スカーフの色で学年がわかるようになっている。

 三年生は青。二年生は黄。一年生は赤、という具合に。

 男子はネクタイの色で判別できる。学校が生徒からお金を徴収するためのシステムとか言ってはいけない。


 三年生のスカーフ。もしや彼女が、日下部が言っていた峰岸先輩だろうか。

 じっと見ていると、ふと違和感を覚えた。何かはわからないが、今までの部活動の先輩方とは確実に違う点がある。

 その三年生の先輩は、両手を腰に当てたまま、ゆっくりと客席を見渡している。注目を浴びていることを楽しむかのように。


 立ち姿が堂々としていて様になっているな、と思ったとき、ようやく理解した。

 彼女はマイクを持っていないのだ。

 この大講堂の広さでは、マイクなしでは声が散らばって、すぐに霧散してしまうだろう。

 だと言うのに、あろうことか、三百人もの観衆相手にその身一つで立っている。

 先輩は、軽く息を吸い込むと、ごく自然な動きで口を開いた。


「一年生諸君、入学おめでとう! 演劇部の部長、峰岸琴美ことみだ!」


 ガツン、と音の衝撃が耳朶を打った。

 十数メートルも先の峰岸先輩の声が、すぐそばにいるかのように耳の中で響いている。

 しかしその音は一切不快ではなく、むしろ耳心地がいい。さながら音の波に包み込まれてゆらゆら揺られているような、そんな感覚だ。


「我々演劇部は初心者でも大歓迎だ。興味を持ってくれること。それだけでいい。あくまで私たちは道楽で演劇をやっている。だから目的は、演劇を楽しむこと。演劇の楽しさを、みんなにも味わってほしいんだ。是非一度、体験入部に来てくれ。以上!」


 それだけ言って、峰岸先輩は舞台を後にする。その歩き姿も凛としていて美しかった。

 短いスピーチ。一分にも満たないだろう時間。だが、濃密な時間だった。


「……凄げぇや」


 山崎が、ポツリとこぼした。そのまま口を開いて固まってしまう。

 シンと静まり返っていた講堂に、しばししてから波打ったように、ざわめきの声がそこかしこで巻き起こった。

「静かに!」、と舞台脇に立っている教員がマイクで怒鳴る。ようやく喧騒は去って行ったが、次に出てくる部活動が少し不憫になる程度には空気が揺れていた。


「はぁ。まさかここまでとは」


 思わず感嘆の声が喉から突いて出た。

 期待以上。想像以上。圧倒的で規格外。感動が胸の中を渦巻いている。


「カリスマ、って言葉がぴったりだな」


 山崎の評価に、俺は大きく頷いた。

 佇まいからすでに異彩を放っていた。そして、身体を動かすたび、口を開くたび、一挙手一投足が、傑出した魅力を何倍にも膨らませていった。

 自然と目が惹きつけられ、釘付けにされる。それをカリスマと言わずして何と言おうか。


「……こいつはちょっとまずいんじゃないかな」

「え?」


 何に対しての懸念なのかわからず、ただ疑問の返事をする。


「人が集まらないかもしれないぞ」

「今、カリスマって言ったじゃないか」

「だからこそだよ」


 山崎が周囲をぐるりと見回す。それにつられて、俺も視線を動かしてみる。

 教員が場を収め、次の部活動が紹介の準備をしている中、未だ辺りは峰岸先輩のスピーチに魅了されているように見える。それだけのインパクトがあったのだ。


「エンジョイ勢お断り、って感じがしないか?」


 顎に手を当て、少し考え込む。

 否定はできない。でも、これで演劇部の名前は広まったわけで、興味本位から顔を出す人もたくさん出てくるのではないだろうか。


「観客は増えると思うんだ。公演があれば、きっとみんな見に行く。峰岸先輩目当てで」


 あくまで役者・峰岸琴美のファン。なるほど。そういった人たちは、きっと入部まではしないだろう。遠くから見ているだけ。そういう層も一定数はいそうだ。


「あれだけの迫力、熱量だ。生半可じゃあ、見学するのも躊躇いそうなもんだ」

「見学することすら?」

「まあ見学は、憧れがあればそんな心配ないのかな? でもやっぱり、入部となるとな。お前みたいに、最初から入りたいって思ってるのならともかく。やっぱり尻込みしてしまうと思う」


 俺はすでに入部予定だから、受け取った感想が違うということだろうか。

 中立的な意見なのは、山崎の方に違いない。俺の意見は偏っているから参考にならない。


「幸村って、中学は何部だった?」

「俺? バスケ部だよ」

「県大とか出たか?」

「いや。まさか。強かった方だろうけど、精々が地区大会どまりだよ」

「どれくらい真面目にやった?」

「まあ、割と真面目に。でも、やっぱり県大に出るレベルの連中と比べたら、練習量は少なかったんだろうなあ。もちろん必死だったつもりなんだけど。エンジョイ勢と、ガチ勢の、中間くらいか」

「例えばよ。バスケ部で楽しくやっていきたい、と思ったとする。そこに数人、強豪校から声がかかるような、県大クラスのやつが入ってきた。当然、練習はガチガチで、楽しいどころか苦しい方が勝る。そんな状況だとエンジョイ勢は、『思ってたのと違う』、ってなって抜けていくだろうな」

「ははあ。なるほど」


 言わんとしたことがなんとなくわかってきた。中学のときの俺がそれに近かったから。

 峰岸先輩の実力から察するに、練習量もきっと相応のものだろう。見学してみて『全然楽しくない!』、と感じて、結局入部しない、って人が多いと。そういうことだ。


「峰岸先輩、三年生だろう。なるほど。高嶺の花、って感じかな。ふむふむ。みんな寄りつかないで、遠くから鑑賞しているだけなんだな」

「何だよ、さっきから知った風に」


 どうにも山崎は訳知り顔だ。確証があって、それをもとに喋っているようにも見える。


「百聞は一見に如かずだろ。部員数に表れてるんだ」

「部員数?」

「おいおい、見てないのか」


 山崎は、俺の目の前でパンフレットを軽く振った。

 そういえば、演劇部の活動内容には目を通したが、他には目もくれていなかった。

 普通、部員数やらその内訳やら、気になりそうなもんだが、俺はまったく関せずにいた。これも、すでに入部を決めていたからだろうな。


「ほら」


 山崎に見せられた、パンフの最後のページ。各部活動の部員数。

 運動部と文化部に分かれていて、名前の順ではなく、順不同。

 文化部を上からなぞっていく。演劇部はすぐに見つかった。興味のあるものは見つけるのも速い。すぐに目に飛び込んできた。


「……マジかよ」


 パチン、と額を叩いて、背もたれにぐっと寄りかかる。

 パンフに載せられた部員数。

 そこには、『総部員数四名』とあった。

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