第8話 頼りになる親戚

『今日は秋葉原の書店さんを巡るのだ。17時くらいに無尽堂むじんどう書店に来たら会えるかも?』


 陽キャ達のカラオケの誘いを断りながら、俺にだけはそんなラインを送ってきた彼女。

 ここで行かなきゃ男じゃないだろう、と決意した俺は、ひとり意気揚々と秋葉原駅に向か――ったと言いたいところだが、


「ほんっと、センパイはこういうところがチキンなんですよねー。私が付いてなきゃ何にもできないんですかぁ?」


 見慣れたサブカルチャーの街を歩く俺の隣には、宇佐美うさみチカの小柄な制服姿がしっかり並んでいたりするのである。


「うるっさいな。俺なんかが一人で行ったら向こうもメーワクだろ」

「何言ってんですか、このヘタレが」


 先程、文芸部の部室で事情を話すやいなや、この後輩が二つ返事で同行を承諾したことは言うまでもない。


「仮にさっきの話が陰キャの哀しい妄想じゃないとしての話ですけど、それねぇ、あのヒトはセンパイが一人で来てくれるのを期待してるんですよ。わかってないなー、これだからチェリー野郎は」

「いや、お前だって経験ゼロだろーが。……ていうか、わかってんなら、なんで素直に付いてくんの」


 平日でも人の多い歩行者天国をつかつかと闊歩しながら、チカが俺を睨みあげて声を張る。


「決まってるじゃないですか! 私だって虹星ななせ先生とお話したいからですよ! ってかね、クソザコワナビ崩れの分際で美少女作家を独り占めなんて、魂胆がズルいんですよ」

「いや、俺が望んだわけじゃないし……てかお前、言ってること矛盾してんじゃん。一人で行かせたいのか行かせたくないのかどっちなんだよ」

「ここには今、陰キャの恋を生暖かく見守る保護者の私と、虹星先生を独り占めされたくないファンの私が量子力学的に重なり合って存在してるんですよ。乙女心ってやつは複雑なんです」

「はぁ、乙女なんか一体どこに……じゃなくて、恋ってお前!」


 思わず声を上げてしまったが、流石に秋葉原という場所柄、周囲の通行人達は何知らぬ顔で通り過ぎていく。


「あれあれ、レンレンせんぱぁい、違うんですかぁ?」

「レンレン言うな。……だから、違うって。向こうが謎に近付いてくるから、無下にできないだけだし……」


 俺の言ったことは事実のはずだったが、チカはマスク越しのニヤニヤ笑いをやめてくれない。


「でも、それってほんとにセンパイに対してだけなんでしょーかね。他にも色んな人に好きって言ってたりしてー」

「いや、だから、好きって言ってきたのは作品のことだから!」


 美少女作家との昨夜の通話については、ここまでの道中で簡単にチカにも説明してある。コイツは半信半疑で「妄想じゃないですよねぇ?」なんて言い通しだったが……。


「まー、とりあえず、着きましたよ。無尽堂書店」

「……お、おぉ」


 専門書から漫画、ラノベまでを手広く取り揃える、秋葉原でも最大のブックストア。後輩と二人でその前に立ち、スマホの時計に目をやると、時刻はもうすぐ十七時になろうとしていた。



***



 緊張に胸がつかえそうになりながら、情けなくもチカの後ろに隠れるようにしてライトノベル売り場に足を向けると、そこには見間違えるはずもない藤谷ふじたにさんの華奢な制服姿があった。……書店回りって、要は自著を店頭に置いてもらえるように作者直々に営業することだったと思うけど、その用事はもう終わったんだろうか。

 マスクで隠れた口元に指を当て、真剣な表情で面置きのラノベ達に目を落としていた彼女は、俺達が声を掛けるより先に、すいっとこちらに顔を上げてきた。

 チカの小さな肩越しに、吸い寄せられるように彼女と俺の目が合う。同時に、彼女が纏う柑橘系の甘い匂いも微かに伝わってきて、昨日の部室での距離を思い出してドキッとした。


「あら、お二人さん。よくここがわかったねー」


 長い髪をさらりと揺らして、俺達にマスク越しの微笑を向ける彼女。今のが冗談なのか、この広い店内でよく自分を見つけられたねという意味で言っているのかは、緊張に縛られた俺の理性ではとても判断がつかなかった。

 ひとまず、俺一人じゃなく後輩連れで現れたことは、それほど意外には思ってなさそう……なのか?


「あっ、あのっ」


 と、俺が何か言いかけるより早く、引きつったような声を出したのはチカだった。


「私っ、昨日はあなたが虹星ななせ先生だって知らなくてっ。ご、ご高名はっ、かねがねっ。あっ、オルフェウス読みましたっ!」


 コイツ、憧れの作家の前だとこんな態度になるのか……。緊張に関しては俺だって人のことは言えないけど。

 周囲の客がチラチラとこちらを振り返ってくる中、藤谷さんはふふっと小さく笑みを漏らして、「ここじゃ目立っちゃうから」と俺達を誘うように歩き出した。

 売り場の外の休憩スペースまで出たところで、彼女は改めてチカに目を向けて言う。


「そんなにかしこまらなくていいよー。私なんて、まだまだ駆け出しのヒヨッコだし」

「いっいえ! ヒヨッコなんてそんな、虹星先生は天才です、立派なニワトリです!」


 いつも俺相手ならレトリカルな罵詈雑言を当意即妙に繰り出してみせるチカも、美少女作家を前にして言語中枢がバグってしまったのか、褒め言葉になってるんだか何だかよくわからない台詞を裏返らせていた。いや、ニワトリは普通悪口だろ……。


「ふふ、天才には程遠いけどありがと。そうだ、後輩ちゃん、お名前なんだっけ? 三歩歩いたから忘れちゃった」

「っ……!」


 やはり楽しそうに声を弾ませる藤谷さんと、ニワトリ呼ばわりの失礼さに今さら気付いたらしく硬直するチカ。当然と言うべきか、美少女作家はキャンキャンうるさいウチの後輩より何枚も上手うわてだった。


「いえ、あのっ、名乗ってませんでした! 宇佐美チカと申しますっ」

「よろしくね、チカちゃん。親戚って聞いてたけど、尾上おがみくんとは名字違うんだねー」


 ふいに美少女の視線が俺に向けられる。緊張ぶりではチカに負けていない俺は、「ま、まあ」と上ずった声を出すことしかできなかった。


「私の母のっ、歳の離れたイトコがこのヒトです、はいっ」


 まだ硬い声でチカが述べ、ぴしっと俺を指差す。藤谷さんは「ふむ」と口元に指を当てて、「五親等かー。結婚できるね」ととんでもないことを言ってきた。


「ふぇえ!? しませんよ、こんなザコ犬!」

「お前さぁ、言い方」


 つい緊張を忘れて突っ込んでしまった。そんな俺達の様子を見て、藤谷さんはくすくすと笑っている。


「よかったね、尾上くん。頼りになる親戚が身近にいてくれて」

「え?」


 この短時間で俺とチカの関係性を見抜いてしまったのか、彼女は明るい声でそんなことを言ってくるのだった。

 いや……仮にも俺のほうが歳上で、先輩なんですけども……。


「……あの、藤谷さん、書店回りってもう」


 俺が無意識に名字で呼ぶと、彼女は「こら」と俺の前に小さく人差し指を突き出してきた。


「ナナセって呼んでって言ってるじゃん。うかつに本名なんか口にしたら身バレしちゃうでしょ?」

「えぇ……」


 昨日は無かった理論武装が新たに加わっている……。そんなこと言ったら、顔を晒して書店に挨拶に来てるのはいいのか……?

 いや、明らかに面白がって言ってるのは、いくら俺でもわかるんだけど。


「じゃあなに、学校の中では実名で呼んでいいってこと?」

「んー? 二人の時はナナセって呼んでくれるなら何でもいいよ?」


 せめて一矢報いてやろうと思って放った俺の一言は、美少女の余裕の笑みでたやすく撃ち落とされてしまった。

 俺が熱くなる顔を必死に手で扇いでいる横で、情けない先輩の姿に気をよくしたのか、少し調子を取り戻したらしいチカが「あのっ」と彼女に再アタックしている。


「書店さんへのご挨拶終わったんでしたら、あのあの、よかったら、私達と、そのっ」


 やっぱり緊張で言葉を詰まらせている後輩の姿に、おいお前、何を思い切ったことを――と俺が内心思ったところで、作家先生はその言葉の続きをふわりと拾い上げるようにして言った。


「うん、お茶でもしていこ? 私、居候の身で、夕飯までには帰らなきゃいけないから、あまり長くはご一緒できないけどねっ」


 俺一人で来ていたら到底望めなかったであろう展開に、どくっと胸が高鳴る。

 なるほど確かに、頼りになる親戚がここに付いてきてくれてよかったよ……。

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