第一話 独りぼっちの〝死にたがり〟

「ん、ん〜……」


 上の方からピピッ、ピピッと聞こえ、そちら向けて左手を伸ばす。

 次いで届く、空を切る感触。

 それが三度ほど続くも、三度目の正直ならぬ四度目の正直と、掌が目覚ましの頭を押さえ付ける。

 そこで私は目を覚ました。


「……」


 起き上がり、しばらくぼぅっとする。小窓から差し込む日光が嫌に鬱陶しい。

 着替えを済ませ、一階に降りると、キッチンの横にある買い溜めしていたパンの内一つを適当にバッグへと放り込んだ。


「……行ってきます」


(もう返してくれる相手はいないのにな……)


 靴を履き、ドアを押しながら、そんなことを思う。

 登校通路は海沿いだ。

 何故かっていうと、私の住んでいる町がいわゆる港町で、高校も海の近くだからだ。

 津波とか大丈夫なのか不安になるが、移設する費用なんてないし仕方がない。

 さざ波や海鳥の鳴き声を掻き消すように、車が左脇を通り過ぎる。右手では船が出航したり平日なのに釣り人がいたり。それがここの、私の目にする朝の風景。

 ただ——


「お兄ちゃん待ってよー」


「早く行かないと遅刻するぞ」


「おや、お子さんかい?」


「ええ。最近歩けるようになったんですよ」


「——っ、」


 私は口元を押さえ付ける。


「はぁはぁはぁはぁはぁ」


 なかなか落ち着かないのもいつものこと。

 私は独り静かに地面を向く。


「はぁはぁはぁ、はぁ、はぁ……はぁ」


 収まると口元から手を離し、今度は胸元を強く押さえ付ける。


「……ああ」


 ただ、兄妹や親子を見かけると息ができなくなるのは、私に対する罰だろうか。


◆◇◆◇


「失礼します」

 

 ドアをノックし、横に引く。

 ガラララッと、空気の揺れ。


「一年二組の桜舞雫です。一年二組の鍵を取りにきました」


 そう伝えて、中へと入る。

 各教室の鍵が置かれているのは職員室の中腹辺りで、なかなかに歩く。何より面倒なのは、その場所に向かうには担任の前を通らないといけないことで……


「ああ、桜舞」


 ぴくっと私は動きを止める。


(……はぁ)


「なんですか?」


「悪いけどこコレ、教室に持って行ってくれるか?ついでに配ってくれると助かる」


(……絶対悪びれてない)


 悪いと思っているなら、こう毎日渡してこないだろうし、ついでと言って仕事を増やさないだろう。


「分かりました」


 そんな内心を露にも思わせない、能面の如き顔と口調で了承する。

 三十を超えるノートの束を右手に持ち、バランスを保つために少しお腹へと重量を預ける。

 空いている左手で少し乱暴に鍵を取り、これ以上面倒事を押し付けられてなるものかと足早に扉へ。

 前まで行って廻れ右。


「失礼しました」


 もう親の顔以上に言ったであろうセリフを口にすると、帳面を左腕に移動させ、空いた反対の腕に滑らせるようにしてバッグを拾い上げ、私は教室へと足を向けた。

 現在時刻、七時二十分。

 学校が始まるのは、八時二十分。

 何故来るのが早いのかと問われれば、それはあの時間帯が一番人通りが少ないからに他ならない。

 通学通勤ラッシュの中登校するなど、何の冗談だろう。

 それに比べれば提出物の配布なんて安い物だ。

 教室の前に辿り着くと、鍵を刺し右へと廻す。

 この高校、歴史で言えばかなり古いのだが、ことここ一年二組に限っては鍵が緩い。

 なんでも五期くらい前の先輩に、この手のことが得意な人がいたそうな。


「ふぅ」


 とりあえず教卓にノートを置いて、先に荷物を片付ける。

 バッグの中から筆記用具とクリアファイル、本を取り出し、次いでバッグ本体は机の横に吊り下げる。

 一通りの動作を終えた私は、教卓へ戻り、その内へと手を入れた。

 中から取り出したのは席の一覧表。二度目の席替えをした今、これがないと分からない。


(……ばらばら……)


 どういう順番で確認したら、もしくは集めたらこうなるのであろうか。席順でも出席順でもなく、一々探さねばならずすごく面倒くさい。


「……松山君……縦二列横四列にーよん。中嶋さん……縦三列横六列さんろく——」


 見ただけではふとした瞬間に忘れてしまう。忘れたらまた、名前のぎっしり詰まった表から探し直さないといけない。

 その点口ずさんでいれば、眼だけでなく口も記憶するから忘れにくくなるのだ。


「——やっと終わった」


(窓、空けといた方がいいかな?いや、日直の仕事だし、別にいいか)


 小さな手間とはいえ、これ以上仕事を増やすまい。

 私は窓際最後尾に座ると、水玉模様のブックカバーに身を包んだ本を取る。

 そしてそれを開き、読書に没頭するのだった。


◆◇◆◇


 寝起きの日光は眩しくても、暑中でもない限り温かいものである。

 しかし私は太陽が嫌いだ。

 

『お天道様はいつも見ている』


 数少ない、母から習ったこと。

 お天道様はいつも見ている。そう、お天道様——太陽はいつも見ている。

 あの日も晴れだった。雲一つない快晴で、私たちを見下ろしていた。

 にもかかわらず、お天道様は兄たちを救ってはくれなかったし、今なお犯人は捕まるどころか、見つかってすらいない。

 これで、どう好きになれというのだろう。

 しかしそうだとしても。

 カーテンを閉める度に「暖かかったのに」という文句を聞けば、閉める気も失せるというものである。

 キーンコーンカーンコーン。

 今日も朝のチャイムが鳴る。

 どうやらいつの間にか八時二十分になっていたようだ。

 顔を上げると、見渡す限りの人、人、人。

 いくつかのグループを作って、喋ったり、お絵描きしたり。

 六月ともなれば普通どこかのグループに入っているものであるが、私はどこにも入っていない。クラスメイトとはもっぱら、事務的なことを話す仲だ。


「カラオケがさ。港の近くにできたらしいよ」


「えっ、そうなの!?ついにこの田舎町にもできたか〜」


 ザザッ、ザザッ——


「ボート部結構勝ってるらしいな」


「まぁ海の近くだからね。練習場所には困らないし」


 ザザッ、ザザッ、ザザァー——

 周囲の声が、耳に入っては波の音へと呑まれ変わっていく。


「席につけ〜。ショートホームルーム始めるぞ〜」


 パン、パン。

 手を叩きながら教卓に立ったのは担任の長谷先生。

 見ればスーツを着崩しているが、それはいつものことだ。


「——、——」

 

 何やら喋っているが、それすらも波の音と化して——。


(……暑い、な)


 そう思いつつ、窓から階下を見やる。が、やはりすぐに目を逸らして。

 水面のように光を反射する運動場が鬱陶しくて。

 連動するように浮かぶ思い出が忌まわしくて。

 心を空っぽにせんと、眼の焦点を断つ。

 閉じはしない。閉じたならもっと鮮明に映ってしまうだろうから。

 気づいた時にはショートホームルームは終わっていた。


(……一限目は——)


「……数学I、か。移動しないと……」

 

 バッグから教科書を取り出し、席を立つ。

 

「——」


「——」


 耳に入る音も、目に映る景色も、全て泡の如く立ち消える。

 ——こうやって。

 なんの目的もなく。

 誰と関わるでもなく。

 ぼうっとして。

 ただただ生きる。

 ——陽の光の届かない深海で、盲目の魚が彷徨い続けるように。


◆◇◆◇


「……ただいま」

 

 八時間以上にもわたる無意味な時間を終え帰宅する。

 誰も居ない家屋に木霊する、抑揚のなき声。

 二階に位置する自室に行き、荷物を置く。肩の重みがなくなると転瞬、ベッドへと体を放り出す。

 そして私は眼を閉じた。

 ——現実から逃げるように。


◆◇◆◇


 目が醒めたのは真夜中。

 早くに寝たのだからそれは必然のこと。

 それと同時にいつものこと。

 しかしこの時ばかりは、遅くだろうが目を醒ましたはずだ。

 

「あっ、起きた」


 降ってくる、声。

 その主は、ベッドのかたわらに立つ、ヒト。

 夜目に慣れておらず、ボヤッとした輪郭しか見えない。しかし透き通るような高い声は、女性のものと思われる。

 瞳が闇に溶け込むと同時に飛び込んできたのは、やはり女性の顔。


(大人っぽいヒト)


 それが私の抱いた印象だった。

 百六十後半に迫るであろう高い身長。黒のロングヘア。そして何より全てを見通すような黒水晶の瞳が特徴的だ。


「もしもーし。見えてますかー?」


 黒髪の女性が、ひらひらと手を振り問いかけてくる。それを追うように揺れ動く私の黒眼。声は発していないが、それだけで見えていると分かったらしい女性は、首を傾げた。


「あれ?見えてはいるのに取り乱しませんね。……現実感が薄いのかなぁ。——まあ」


 ——嫌でも自覚させますが。


 眼前に掲げられる右手。それに握られしは——漆黒の短剣。


「それじゃあ——」


 女性が、ゆっくりと探検を心臓へと向けてくる。黒き刃が服に触れ、肌を貫かんとする。そして——


「——なんで笑っているんですか?」


 刃が止まった。

 女性がつまらなさそうにこちらを見下ろす。


「いや理不尽なのは分かりますが、私としては哭いて欲しいんですよね」


 それが楽しみでこの職業やっているわけですし。


 女性は言葉を募る。

 どれもサイコパスを思わせる発言だが、言いたいことは一つだろう。

 曰く泣けと。

 そうすれば自分は満たされるのだと。


「死ぬ間際の哭き声って、一人一人違って面白いんですよね」


 等々。

 一度聴いたことのある身としては、どこが面白いのかと思う。

 そんな微塵も共感しない主張を繰り返していた女性は、ひどく不満げに言った。


「……これだけ力説してるのに反応すらしないなんて……面白みのない人ですね」


 で〜も。


 短剣を引き戻し、パチンッと鞘へ流し込むと


「興味が湧きました」


 笑顔でそう、告げてくる。


「ではまた……桜舞雫さん」


—————————

 初めましての方は初めまして。そうじゃない方はお久しぶりです。琴葉です。

 さて、有言実行。それとプロローグで止まっていたのにフォローしてくださった方には謝罪と感謝を。そしてやったね来月も投稿するよ。(メインシリーズが書き直し中&休みだから。書き溜め消化するぞー)

 さて、今作品は世界観というか主人公の心情状かなり漢字少なくしてます。いつもが多いという意見は聞きません。

 あとやっぱりこの第一話文字数多いですね。約四千字ですよ四千字。ここまでとは思っていなかった。ノートに書いているんで文字数わからないんですよね。ただやっぱり長いと打ち込むのを敬遠してしまう……。一応二章プロローグまで書き溜めているので、一章は投稿します。抱負での宣言もありますし。

 ただ今回はギリギリでしたけど来月は投稿遅れるかもしれません。高三になって志望校を産近甲龍から、関関同立に変えたので今猛勉強中です。趣味に生きてきたツケが来た。

 それではまた次回お会いしましょう。ばいばーい。


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