「ボクの家とボクの兄貴」

ボクの家はト営住宅。

第二次大戦終戦の十年後くらいから続々と建てられた住宅。この地区には、結構ゆったりとした敷地に建てられた平屋(マスジマの家もある)が並び、その住宅群の中央部分に、十軒分連なった二階建てコンクリート造りの長屋が十棟、規則正しく並んでいます。

ボクの家はこの二号棟の左から四軒目。長屋といっても、さすがコンクリート造り、お隣の音は殆ど聞こえません。

鉄製のドアを開けて玄関に入ると、左側にポットン便所。二ヶ月毎ぐらいに汲み取りの車が来て、外の丸いコンクリートの蓋を開けて、太いホースを突っ込んで吸い取っていってくれます。

この車を見た時は、なるべく遠回りするようにしています。でも、そばを通らないと家に帰れない場合は、汲み取りをしてくれているおじさんに悪い気がして、頑張って普通の顔をして普通に歩くようにしていました。もちろん息は止めて。

玄関の右には、三畳分くらいの台所。流しは石でできています。水道は、この地区共同で汲み上げている井戸水で、夏は冷たくて気持ちがいい。一口ガスコンロは、プロパンガスの丸いタンクにゴムホースで繋がっています。

履き物を脱ぐとすぐ目の前に、木材でできた急な内階段があり、二階に上がると南側が六畳和室、北側が四畳半和室。この階段の手前部分に、支えとインテリアを兼ねた、皮を剥いてツルツルにした丸太で、枝を落とした後のゴツゴツした感じを残した柱が立っています。

幼い頃、来客が帰る時など玄関での見送りで、ボクはこの柱によじ登り、ミーンミーンと蝉の鳴き真似をして笑いを取っていました。最後にお尻を突き出してするオシッコシャーで拍手までもらいました。

一階の南側は板張りの六畳間。のちにレースのかかったテレビが置かれる部屋で、居間兼食堂兼オヤジの寝床です。

最初の頃は大きめのちゃぶ台を、六人家族で囲んで食事をしていました。あぐらをかいたオヤジの足のあいだには、いつも小さな妹が収まっていました。

でも、ある時からテーブルと椅子に変わったのです。だんだんアメリカの家みたいになっていくなと思って、ちょっと嬉しかった。

外は住居部分と同じくらいの庭があって、オヤジが池を作り、その周りに五葉松や灯台躑躅やらを植えたりして楽しんでいます。


二階の六畳間は兄貴とボクの勉強部屋兼寝床。

兄貴はボクより四歳上、優秀なヤツで地元で一番の高校に通っています。トウ大なんかにどんどん受かっちゃう高校。

だから、厳しいオヤジも兄貴には甘く、高校合格のお祝いにパイオニアのでっかいステレオをねだられて、たぶん相当無理をして買っています。

兄貴はそれでクラシックをよくかけているけれど、ボクにはその良さがよくわかりません。でも時々、ダニエルビダルやらパットブーンとかいう人のレコードをかける時もあって、こちらの方はとっても聞きやすくて好きでした。

この兄貴、とにかくよく勉強する。学校から帰るとすぐ勉強。七時のNHKニュースを見ながら30分間夕食。ニュースを見ることも勉強らしい。そして二階に戻りまた勉強。夜中の二時、三時までやっています。

家で殆ど勉強しないボクには、何をそんなに勉強することがあるのか不思議でなりません。

それに同じ部屋で寝起きしているのに、殆ど会話がない。会話をする時間も惜しいのかな。

そうは言っても兄と弟、仲の良い時ももちろんありました。兄貴が中学二年の時に突如ガリ勉になるまでは。


ボクは小さい時、兄貴のことをおにいちゃんおにいちゃんと呼んで、あとをくっついてまわってました。おにいちゃんの友達も一緒に遊んでくれました。野球をやったり、自転車で三十分ぐらいかかるタマ川まで釣りに連れて行ってもらったり。

野球といってもバットとゴムボールだけを使った三角ベース。どんな空き地でもできる。チームはまずピッチャー、ゴムボールを上手から投げる。ゴムボールをつまむように投げると結構変化したりします。キャッチャーはなし、打つ側が拾う。二塁が無くて、本塁から一塁三塁本塁と直線で結んで三角。線は足かバットで引きます。ファーストとサードが下がり気味に守り、あとセンターがいれば完璧、一チーム四人いればOK。これが五人六人になったら打つ側には不利になるけれど外野を増やせばいい。逆に二人だけだってなんとか試合はできるのです。

アウトは野球と同じ、でも走者にボールをぶつけてもアウト、ゴムボールだからおもいっきりぶつけてもそんなに痛くはありません。

おにいちゃんたちは、対戦相手を見つけては賭け試合をしました。負けた方がお菓子を買ってみんなで食べる。

金額は、その時持っている小銭の寄せ集めだから大したものではないけれど、我がチームは連戦連勝、駄菓子をずいぶん食べさせてもらいました。

魚釣りも本当に楽しい。

おにいちゃんと野球仲間でもある友達三、四人、それぞれ簡単な釣り道具を持って、自転車でタマ川へ向かいます。

ボクはおにいちゃんの自転車の荷台にまたがります。お尻は痛いけれどくっついて行くことが、何よりうれしい。

チュウオウ線の踏切の向こう側は、まだ小さいボクにとってはなんだか遠い別世界のように感じていたけれど、小学校高学年のおにいちゃんたちは、その踏切を軽々越えて住宅街を抜けて行きます。

ユウセイ大学の前を通りすぎると周りは畑ばかり。その畑に囲まれて建っている中学校、のちにおにいちゃんたちやボクも通うことになります。天を突くような何本かのポプラが印象的です。

実はこの畑には肥溜めがあり、風向きによっては強烈な匂いが漂います。時々落っこちる人がいるっておにいちゃんが言うけれど、ホントかな。

自転車のスピードは自然と上がります。

また踏切。でもこのナンブ線は本数が少ないので、滅多に止められることはありません。

さあ、この先はコウシュウ街道が横たわっています。大きな道路で、トラック、オ-トバイ、乗用車などがビュンビュン走っています。信号が青くなるのを待って、右、左と気をつけて渡らなくてはいけません。

今度は急に下り坂になり、下りきったところにきれいな小川が流れています。ここには小ブナやザリガニがいっぱいいるけれど、きょうの獲物はお前たちじゃない。

喉が渇いてきたので、崖下の涌き水を手で掬って飲んだり、顔を洗いました。いろいろなところからきれいな水が湧いています。それが集まって小川になっているんだよとおにいちゃんが教えてくれました。

この辺りからは、梨園と田んぼの世界です。夏にはこの梨園で梨が一個十円で買えるのです。

おにいちゃんにもらった十円玉をおじさんに渡すと、真っ黒に日焼けした顔で「むくの?」と聞いてくれます。ボクが「ウン」とうなづくと、作業台の端っこに取り付けられた器具の尖ったところに梨を突きさし、取っ手をクルクルと回すと、刃になっているところも梨の周りをクルクル回って皮を剥いていくのです。一センチくらいの幅の皮が一本に繋がったまま地面まで垂れ下がります。

このおじさんは手品師かと思いました。

梨は水気たっぷりで甘くてとても美味しい。

さあ、先へ進まなくちゃ。

タマ川の土手が見えてきます。その手前にあるセイカ園プール、その隣にあるゴミ焼却場の煙突がものすごく背が高い。

ボクたちは土手に上がり川下に向かって少し行き、六本松のところを川とは反対の方へ下りて行きます。

この辺りには自然の砂利がいっぱいあって、道路やビルを造るためにその砂利をどんどん掘ってダンプカーに積み込み、工事現場に運ぶんだとおにいちゃんが言ってた。

掘り終わった穴には水が溜まっていて、クチボソというハヤを小さくしたような魚がウヨウヨいるのです。タマ川よりいっぱい釣れる。

エサは赤虫、おにいちゃんの友達が近所の釣具屋さんで買ってきてくれます。二十円分で十分。これはユスリカっていうヤツの幼虫だとおにいちゃんが教えてくれました。赤くてくねくねして気持ち悪いけれど、このエサだとよく釣れるので頑張って針に付けます。

ある時おにいちゃんたちは、フライパンと油、小麦粉、醤油なんかを自転車のカゴに積み込んで持ってきました。そしてクチボソを釣り上げては、天ぷらにして食べまくったことがあります。もちろんボクだって食べました。

美味しかったかどうかよりも、とてもワクワクしたことを覚えています。お腹はこわしませんでした。


だけど、だけど、おにいちゃんがガリ勉になってからは、殆ど会話まで無くなりました。

おにいちゃん、兄貴、いったい何があったの。

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昭和ブルー 小学編 まさき博人 @masakihiroto

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