承.2

「何で……こんなところに、飛竜が?」


 抱き抱えた少女をゆっくりと降ろしながら、か細い声で呆然と呟く。


 村を出たことがないとはいえ、この状態が異常だと言うことは、直ぐに判った。

 この辺りが飛竜の縄張りである、なんていう情報はなかったからだ。


 村から出ることがなかったんだから、知らなかったのではないか?

 いいや。知らないなんて……有り得ない。

 有り得ないんだよ!


「おっさん!ランズのおっさん!!飛竜が――」


「わかってる!

 だが、馬が言うことを聞かねぇ!!」


 飛竜の咆哮によって、荷車を引いていた2頭の馬が、パニックを起こしたように暴れていた。

 このままでは、再起不能になる。

 馬を失えば、荷車もろともに食われてしまうだろう。


「レナ!鎮静作用の匂い袋は、持ってきてるか!」


「ちょっと待って!

 ……うん、あるよ!」


「よし!……ブレイブ。

 馬に匂い袋を嗅がせるから手伝ってくれ!」


「待て!どうするつもりだ!

 興奮状態の今、目の前に行けば必ず足蹴りを食らうぞ!!」


「……首元にしがみつく」


 一か八かの賭けに等しい行動を提案したために、絶句したような顔を向けられる。

 失敗したらと考えるのも恐ろしいが、こんな状況だ――腹を括るしかない。


「……もしかしなくても、俺がしがみつくのか?」


「いや。

 馬の背中目掛けて、俺をぶん投げてくれ」


「正気かっ!?」


「いいや、少しだけ頭が飛んでるかもな……」


 諦めるようにため息を吐いて、そう軽口を叩きながらブレイブを見やった。

 ブレイブの体躯で、荷車の上から助走なしで飛び移るのは無理があるし。

 背も低く、体重も比較的軽い俺が行う方が、余程現実的に思えた。


「あぁ!ったく!!

 判った、判ったよ!!だが、自信はないからな?

 失敗しても恨むなよ」


「なら安心だな。お前なら大丈夫だろ?」


 覚悟を決めた俺の表情を前に、ブレイブは頭を乱暴に掻きむしりながら、意を決したようにそう答えた。

 力強い声の割に、少し頼りない応えだったが、目をつぶってやる。


「投げるって言ったが、お前を腹から抱えて投げ飛せばいいのか?」


「いいや。

 膝抱えて丸くなるから、足から抱えて……玉を下から上に投げる要領でやってくれ」


「……」


「……」


「アルゥ!玉投げしようぜぇえ!!

 お前ボールなぁ!!」


「危機的状況でネタをぶっ込んでんじゃねぇえよ!!

 今シリアス展開だろうが!」


「んだよ、緊張解しとかないといけないだろう……」


「うるせぇ!!

 時間がないんだから、早く準備しやがれ!!」


 誰だ?この馬鹿に、日本の某スポーツアニメの台詞を吹き込んだ馬鹿は――……俺だったわ。

 って、俺も脱線してどうする!!

 目を逸らしたいのは判るけど、この後がシャレにならない。

 転生したのに、死ぬなんてごめんだぞ!!


「ほら、とっとと準備しろ!」


「指示出す奴って余裕があって、クールで、カッコイイイメージがあるんだが……。

 今のお前の姿からは、大分かけ離れ――」


「早うやらんか!!ブレイブ!!」


「飛竜がこっちに気がついたら終わりなんだよ!?

 早く!!」


「判ってるわぁ!

 おっらぁあ!!ぶっ飛んじまえぇええ!!」


「ちょっ!?待っ……てぇ!!」


 ランズのおっさんとレナの2人に急かされ、やけっぱちのように俺を馬の方へぶん投げた。

 合図も、タイミングもない状態で飛ばされ、軽くパニックに陥りながらしがみつく。


「……!?ーー〜〜!!」


「判る!びっくりするよな!?

 俺もだ!!

 でも、落ち着いてくれ!

 お前だけが頼りなんだぁあ!」


 ロデオのように、暴れる馬にしがみつきながら、匂い袋を鼻にまで持っていった。

 ぐわんぐわんと揺れる視界に、限界を迎えそうだが必死に耐える。


「ー!ー!!」


「頼……む、落ち着、け!」


「……ー!…………」


「ふぅ……、何とかなっ!?

 うぉおいぃ!??」


 暫くして落ち着きを取り戻し、ほっとしたため息を吐いたのもつかの間。

 一気に力が抜けて、馬からずり落ちた。

 その衝撃で頭を打ってしまう。


「痛……っうぅ!」


「良くやってくれたアル!

 ほら!さっさと乗り込めぇ!!」


「ああ、悪――」


「ゴァァァアアァアアア!!!!」


 ……間が悪いのか、ある意味良いのか。

 捕獲した獲物を捕食していた翼竜が、等々こちらへ目をつけたように咆哮を放つ。

 それによって、馬車馬は逃げるように、森の方角へと走り出す。


「うぉ!危なっ!!」


「あ、アル!!」


「クソっ!!」


 急な方向転換により、荷車がこちらへと迫った。

 避けるように後ろへと飛んだが、そのために馬車との距離が出来てしまう。

 本格的に走り出してしまう前に、早く!!


「こっち!!こっちよ!!」


「君は!?」


「早く!手を!!」


「……っと!!」


 後方で待機していてくれたのか、先程の白い少女がこちらに向かって手を伸ばしてくれていた。

 飛び込むように手を掴むと、見た目から想像が出来ないほどの力で引っ張り上げられた。


「助かった、ありがとう」


「うん、どういたしまして」


「アル君!って、間に合ったの!?」


「ああ――」


 彼女のお陰と言いかけたところ、再度翼竜の咆哮に遮られ我へと返る。

 少女にありがとうと声をかけ、手網を引くおっさんの元へと向かった。


「ふぅ……。無事だったか、アル」


「冷や冷やさせやがって……全く」


「いや、タイミング合わせずぶん投げたお前が!

 全く、なんて言いながらため息を吐いてんじゃねぇよ!

 ……ランズのおっさん。

 進路そのままで、森の中に入ってくれ」


「森の中で巻くつもりなのか?」


「ああ、考えがある。

 それに、今から村に向かったところで追いつかれるのがオチだと思う」


「……判った、このまま行くぞ!ハイやっ!!」


 急かすように手網を強く打ち付けると、それに応じるようにドンドンとスピードを上げていく。

 だが、飛竜も負けてはいなかった。

 こちらが先に走り出したというのに、距離がドンドンと近づいていく。


「……レナ、あれを貸してくれないか?」


「えっ?普通に嫌なんだけど?

 何をするつもりなのさ?

 まさか、投げる……なんて言わないよね?」


「ソノツモリ……デス。……ハイ」


「……アル君?

 あれは調味料であって、劇物とかではないんだよ?

 ……分かっているかな?」


「ハイ、ワカッテ……オリマス。

 ……でも、アレが必要なんだ、頼む!

 俺が可能な限りで、何でもするから!」


 マジギレ寸前のような、すんとした真顔で、レナは矢継ぎ早に捲し立てる。

 中々の迫力にたじろいだが、起死回生がかかっている以上、引く訳にはいかなかった。


 だから、何でもすると言ってしまった。

 後悔はない……。

 後悔はないんだが……なんだろう、凄くやらかした感がある。

 具体的に言うと、レナの唇がニヤリと歪んだ。


「ふふん、そうか。

 いいさ、貸してあげるよ。

 ……後の埋め合わせが楽しみだね」


「……」


 あー、やっぱり早まった。

 でも仕方ない、命が掛かってるんだから仕方ない。

 女装させられたとしても、言わば名誉の負傷である。

 笑われようとも、堂々としていればいいんだよ!アル!…………いや、無理だわ。


 乾いた笑み浮かべながら、レナから手渡された赤い粉が入った小瓶を受け取った。

 切り替えるように息を吐いて、こちらを追ってくる飛竜を見据える。


 躊躇を見せることなく、最高速度でこちらへと向かってくる。

 当然か……。モンスターの中でトップクラスの強さを誇る竜が、人間を怖がる必要なんてないのだろう。

 まぁ――


「そこが、お前の敗因だよ!飛竜!!」


「……!!ガアァァアアァア"ア"!!!」


 こちらを追ってくる飛竜の顔目掛けて、栓を抜いた小瓶を放り投げた。

 小瓶は見事飛竜の口に入り込む。

 そして、悶絶するような叫び声を上げて、のたうち回るように翼をばたつかせる。


 あれは、レナが愛用しているマイ七味なる、スパイスが入った小瓶だ。

 興味が湧き、一回だけ試させて貰ったのだが……。

 気を失って翌朝目を覚ますと、おしりから火花が散るような痛みが走った。


 時間が稼げるかな?と思ったんだが……飛竜が悶絶するってどういう事だよ。

 というか、その悶絶するほどの辛さを、余裕で口にできるレナの舌は……、一体どうなってんだよ。


「ランズのおっさん。

 とりあえずの足止めはできたから、森の中を突っ走って巻こ――」


「――!!!」


――ドォォオオン!!


「なっ!!」


「っ!皆、しっかり捕まれ!!」


「またかよぉお〜!?」


「きゃああぁ〜!?」


 ほっと息を吐いたのも束の間。

 飛竜が放った火球が、荷車の横スレスレに通り過ぎて、進行方向の木々に着弾し、倒れ始める。

 間一髪の所で、燃える木々を避けることが出来たが――


「……しくじったか」


「ア、アル君。

 飛竜の目が真っ赤に染ってるけど……あれっ、て」


 激高状態を現すように、怒りを燃やしたように、飛竜の目が赤く光っていた。

 あぁ、最悪の状態だ。

 このままいけば、俺たちは勿論のこと、この一帯が火の海になる。


「……怖い、怖いよ」


「たす、助けて。……誰か」


 必死に思考を巡らせる中。

 荷車の中から救いを求む、小さく、か細い声が耳へと入った。

 その声に、俺は思考を止めて、鞄を腰に装着し直す。


「……アル、君?」


「……悪い、レナ。

 ちょっと、この後のことを頼むわ」


「な、何を言っているのさ?

 頼む……って、まさか!?」


 勘づいたように、俺の元へ手を伸ばしたが、その手は俺には届かなかった。

 横切る木々から生えたツタを掴んで、俺は荷車から離れる。

 囮になるために。


「アル君!!」


「ゴァァァアアァアアア!!」


「危ねぇえ……なぁ!!」


 レナの叫び声をバックに、飛竜は口を開けてこちらへと飛び込んでくる。

 舌打ちをしながら、回避をするために、ツタから手を離して地へと降り立った。


 飛竜は身を翻しながら荷車を追うことは無く、こちらを真っ直ぐと見据えた。

 ただ真っ直ぐと俺を見詰めて。


「悪いが、こちとら秘策があるんでな!

 遠慮なく使わせてもらうぞ!!」


 下げた鞄から、魔法陣が書かれたスクロールを取り出した。

 これだけ危機的状況なんだ、発動するに決まっている。

 そうでないと……、一体いつ発動するというのだろうか。


「ガアァァアァアア"ア"!!!!」


「万物を燃やす炎よ!

 我が呼び掛けに応え、敵を穿てぇ!

 フレアァ!!」


 火球を放とうとする飛竜目掛けて、炎と中心に書かれた魔法陣を投げかけ、詠唱を唱えた。

 その呼び掛けに応えるように、スクロールは輝きを放った――。



 気がした。



「――!!!」


「ちっ!!なら、これならどうだよ!!」


 何も起きなかった。

 炎を生み出すことはなく、スクロールは飛竜の火球に、呆気なく燃え散った。

 だと言うのに、俺はめげることは無かった。


 発動条件は整っている筈。

 詠唱の仕方が間違えてるだけで、他の方法でなら発動する筈だと。

 迫り来る火球を避けながら、スクロールを取り出して、考えうる限りの方法を試した。


 だが――、


「……何で、だよ。

 ……何で!何も起きねぇんだよ!!」


 言葉の通り、何も起きなかった。

 残された最後の一つも、呆気なく燃やされた。


 だから憤った。

 これまで続けてきた事を否定された気がして、

 お前の存在は無価値である。と言われた気がして、

 ただ憤った。


「ゴァァァアアァアアア!!!」


「しまっ!?……がっ!!!」


 当然の結果と言えた。

 冷静さをかいたあまりに、大きく振るわれた尾の直撃を避けることが出来なかった。

 投げたボールのように、木々にぶつかりながら数回跳ねて、ひれ伏した。


 腹からは紅く熱い液体が、止まることなく広がり、体を徐々に濡らしていく。

 腹の肉は抉れ、肋の骨が数本もっていかれた。

 這いつくばって、進むことすら……もう出来ない。


 ……痛い!

 痛い!痛い!痛い!

 痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!いたい!いたい!いたい!いたい!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!……。


 何も出来なくなった俺は、狂ったように痛みを訴え続けた。

 誰に助けを求めることも無く、ただ……ひたすらに。

 ずん、ずん、と重い足取りが、こちらへと近づいてくる。


 逃げることも、抵抗することも出来なくなった。

 小さく、哀れな生き物に。

 飛竜は、確実にとどめを刺そうと、近づいてくる。


 死ぬのは確実であろうに、どうやら自分でトドメを刺したいようだ。

 ……雪辱を返す。

 紅く染ったその瞳からは、そういう意思が感じ取れた。


「ハ、ハハハ……。

 こんな所で……行き止まりだなんて――な」


 熱が冷め、心が折れたようにそう呟く。


 結局、俺は思い描いた魔法使いになど、なれなかったのだ。

 でも、まぁ。

 レナやブレイブ達を逃がせれただけ、良しとしよう。


 薄い笑みを浮かべながら、迫り来るであろう灼熱の炎を前に瞳を閉じた。

 死という名の、暗がりへと放り込まれる覚悟を決めて。


「ハァァアア!!!」


「――っ!!グゥルァアア!?」


「ジーク!!その子は、無事!?」


「……気を失っている。

 引きつけてやる、手当してやれ」


 ドッ!という重たい音が、地を通して体へと伝わった。

 うっすらと開いた視界には、俺と飛竜の間に割って入る、大剣を構えた男がたっていた。


「ゴァァァアアァアアア!!!」


「よく吠える……蜥蜴だ」


 身の丈ほどの大剣を、ピザでも回すように易々と振り回した。

 風を切る刀身は、仄白い煙を上げて烈火のごとく輝く。

 その熱にたじろぐように、飛竜が身をすくめた瞬間。


「…………」


「――っ!!ガァァアアア!!!」


 その隙を見逃すことなく、彼の者は飛竜の翼めがけて、大剣を振り上げた。

 届くはずのない攻撃は、赤い火花を散らして、飛竜の翼を引き裂いた。

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