第4話 学園のアイドルに目をつけられました

「やべぇ……やっちまった」


 ため息を吐きながら、自室のベッドにうなだれる。

 昨日はよく眠れなかった。

 香澄ちゃんへの言動を思い返して、自己嫌悪に押しつぶされてしまいそうだ。

 いくら最愛の香澄ちゃんを目の前にして興奮したとはいえ、キモい態度を取ってしまった。


 後悔しかない。

 過去へ戻る力があったら、出会いをもう一度やり直したいくらいだ。


 俺が香澄ちゃんのことを知っていたとしても、向こうは俺のことを全く知らないのだ。ならば初対面らしい適切なコミュニケーションの取り方があったはず。

 にも関わらず、俺は……


 ――結婚しよう。


 ……本当に、とんでもないことを口走ったと思う。いくらテンションが上がり過ぎていたとはいえ、距離を一気に詰めようとし過ぎた。


 やるならばゲーム通りに好感度を上げてからやるべきだ。とりとめのない日常会話から俺の印象を植えつけて、好きなものをプレゼントして、共通の話題で盛り上がって、デートに誘っていい感じに盛り上がってから告白するなり。

 いくらでもやりようはあった。それなのに—―


「嫌われたかな……」


 確実にキモがられたと思う。

 香澄ちゃんに嫌われるのだけはとても耐えられそうにない。


「はあ……」


 うだうだ考えていても仕方ない。学校で香澄ちゃんに会えば分かることだ。

 ベッドから起き上がり、顔を洗い、パンをくわえ、制服を着る。


 この家に、両親は住んでいない。

 主人公は亡くなった祖母の家を間借りしており、親元から離れて、自由気ままな一人暮らしを満喫している。


 一応一人暮らしを始めた理由は、この家が自分の通う高校に近い立地にあるのと、あれこれと親に束縛されたくなかったことと、妹が主人公のことを性的な目で見ていると気づいたからだ。それが家を出た最大の理由だといってもいい。


 鏡の前で制服にしわがないかを確認してから、家を出た。

 初めて歩く道だが、学校の場所は手に取るように分かった。

 ゲームの中とはいえ、何度もこの道を通ったからだ。


 道すがら、ゲーム内で何度も見慣れたNPCノンプレイヤーキャラクターたちが歩いている。このゲームのすごいところはモブキャラひとりひとりの趣味嗜好や性格に応じた、生活ルーチンが設定されていることだ。


 食べるのが好きなやつはレストランによくいるし、お洒落に興味のあるやつはブティックにいるし、エロいことに興味があったらエロ本を買いに行ったりする。


 生身の人間に限りなく近い行動形式を取るとは思っていたが、こうしてそれが再現されているところを見ると、もうほとんどリアルのように感じる。

 何が偽物で、何が本物なのかさえ分からない。


 この世界が俺の大好きな《Shade Tears》に近い世界であることも分かる。というか全く同じなのかもしれないが、俺にそれを確かめる術はない。

 自分が本当に死んだのか、生きているのか、その境界線すら曖昧になってくる。


 そんな泥沼のような思考に囚われかけていると、校門が見えてきた。

 香澄ちゃんはもう教室にいるだろうか。

 嫌われてなければいいが……そんなことを考えたとき、


「あ、やっときましたね。もう、待ってたんですよ」

「……え?」


 声のする方を振り返ると、香澄ちゃんがいた。

 どくん、と胸が弾んだ。


「あの花糸さんに……男だと!?」

「おいおい、嘘だろそんなの!」

「いや、あの感じだと……待ち合わせしていたっぽいぜ」


 生徒たちのざわつく声が聞こえてくる。

 香澄ちゃんは学園のアイドルと言われてるだけあって知名度も高ければ、人を惹き寄せるオーラもある。

 そんな彼女がわざわざ待っていた相手ともなれば、興味が尽きないのだろう。


 いや、いまそんなことはどうでもいい。

 それよりも香澄ちゃんは俺に、何て言った?


「待っていたって……誰のことを?」

「もう、とぼけないでくださいよ。月城くん以外に、いるわけないじゃないですか」


 ……へ?

 あまりのことに、頭がフリーズしかける。

 もしかして、という期待が湧き上がってきて落ち着かない。


「俺、なのか?」

「はい。あなたとお話ししたいことがあって。その……昨日のこととか」


 昨日というと、告白の返事だろうか。人目があるからか、口ぶりが表モードだ。

 香澄ちゃんが笑う。


「なので、どこかふたりっきりになれる場所へ行きませんか?」

「ふ、ふたりっきり?」

「はい。誰かに聞かれたら……私もあなたもまずいでしょう?」


 ついて来てくれますか、と俺の手を握ってきた。

 女の子特有の柔らかさに、心臓が跳ね上がった。

 ドキドキを止められそうにない。


 周囲から嫉妬やひがみ、根も葉もない憶測の言葉が聞こえてくるけれど、そんなものはどこ吹く風だ。


 この世界が偽物だとか本物だとか。

 俺が生きているとか、死んでいるだとか。


 そんなものはどうでもよくなった。

 いま目の前にいる香澄ちゃんは本物で、これが俺にとってのリアルで、


 —―俺はいま、間違いなくこの世界で生きている。

 その実感だけで充分だった。


 きっと香澄ちゃんは、昨日の告白の返事をしてくれるのだろう。

 期待を抑えきれずに、香澄ちゃんの背中を追いかける。



 ◇



 香澄ちゃんに連れてこられた場所は、高校校舎の屋上だった。

 普段は立ち入り禁止にされていて、誰も立ち入ることは出来ないけれど、香澄ちゃんが委員長の権限を使って解放したのだろう。


 このイベントはゲーム本編にもない流れだ。

 俺の知る限り、香澄ちゃんはこんな形で主人公を呼び出したりはしなかった。


 きっと俺が香澄ちゃんに求婚したせいで、本来あるべき流れから大きく変わってしまったのだろうか。原作でも見たことのない展開に、ちょっとわくわくする。


 香澄ちゃんは周囲に誰もいないのを確認してから、口を開いた。


「余計な前置きはしない。単刀直入に言うわ」


 香澄ちゃんの喋り方が表モードから、裏モードに変わった。

 俺とふたりっきりのときに猫をかぶっても意味がないと判断したのだろう。

 ありのままの姿を俺の前に晒してくれるのが嬉しい。


 しかし香澄ちゃんとふたりきり、か。

 なんだか改めてそう考えると、緊張してしまう。


 いまから昨日の返事、してくれるんだよな……。

 やばい、ドキドキしてきた。

 悶々とする俺の前で、香澄ちゃんが口を開いた。


「月城くん。あなた、この世界のことなら何でも知ってるんじゃないの?」

「……っ!?」


 香澄ちゃんの核心を突いた一言に、俺は硬直した。

 まさか俺の素性を知っているのか?

 俺は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。


「やだなぁ。香澄ちゃんったら俺のことからかってるの?」

「とぼけても無駄。私、あなたの正体知ってるから」


 そんな馬鹿な……。

 たしかに昨日は迂闊うかつな振る舞いをしてしまった。


 香澄ちゃんに求婚したり、夜の公園で待ち伏せたり、裏の顔に興奮したり。

 だけどそれだけで……俺がこのゲーム世界の転生者だと気づく要素があっただろうか。


「俺の正体って……どういう意味?」


 おそるおそる口を開くと、香澄ちゃんがにやりと笑った。


「月城くん。ずばり、あなたは—―」


 俺を試すような、挑発的な眼差し。

 ごくり、と唾をのんで香澄ちゃんの言葉を待つ。


「—―未来人ね!」

「…………はい?」


 めっっっちゃ勘違いされてた!?

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