ほんのつかのまでまたチェンジ

 バスがとまった。

 一番後ろの座席に座っていた女子高生がのそっと立ち上がり、ダルそうに首をもみながらIC定期券で支払いをすませ、そこからおりる。

 ピンチは突然やってきた。


っっっさあぁぁぁぁ~~~~~ん!!!!!」

「……ちっ」

「あれっ?」


 はやっ! とその様子をそばで見ていた美玖(体は世良せら)は舌を巻いた。

 もののたとえではなく、美玖には本当に〈消えて〉みえたのだ。

 まず、世良(体はJK)に対して、アフロヘアーの180ごえの大男が抱きついてきた。

 それを高速のダッキングでかわしつつ、軽快なフットワークで大男の背後に回りこむ。

 一秒以下で、この動きをやった。


「あうち‼」

「あうち、じゃねー」男の臀部でんぶをキックした姿勢のまま、腕を組む世良。「おまえなぁ、相手の許可もなく無断で女に抱きつくってーのは、ガチのマジで犯罪行為だぞ? 今度やったらケーサツにつきだすぞ、あぁん?」


 わかってんのか、倉敷くらしき、と世良はアフロの男の名前を呼んだ。

 えへへ、と地面に四つん這いの姿勢で、照れ笑いしながら肩ごしにふりかえる。


「さ、さすが、愛しの美玖さんです! 不肖ふしょうクラシキ、またあなたにれこみましたっ!」

「うるせーよ」ぷいっとそっぽを向く。その仕草がまた、倉敷にはラブリーにみえて仕方がない。


 と、偶然、目を向けた方向に〈自分〉がいた。

 思わず「いくぜ美玖」と声をかけそうになって、世良は「おっと」と自制する。

 ここは学校の最寄りのバス停で、登校の時間帯ということもあり、付近には生徒が多い。

 すなわち彼女とは他人のフリをしなければならない。


「まってくださいよ~~~」


 追う倉敷。

 彼には高身長、髪型、他校の制服、とまわりの注目をあつめる要素が盛沢山もりだくさんである。


「……おい」

「はい?」

「おまえは目立つから消えろ。〈新名あらな美玖〉がよその高校をシメてるヤツといっしょっていうのは、うまくねぇんだ」


 こいつの今後の学校生活を考えるとな、と世良はうしろを歩いている美玖本人をチラッとみる。

 が、倉敷にはきく耳がなく、へらへらと笑うばかり。


「だーかーらーよぉ、ついてくるなって」

「ついていきますよ、美玖さんっ! どこまでだって!」

「ちっ。回れ右して、さっさとてめーのガッコにいきやがれ。遅刻だのサボリだのをくり返して、卒業できなくなってもいいのか?」


 はっはっ、と倉敷は余裕の笑い声をあげた。


「美玖さん。うちのとこはアレなんですよ、ほら、何時に学校にきてもOKっていう、いわゆるフレックスタイムってヤツで」

「そんな高校があるか、バカ野郎」


 じつはある。

 ただし倉敷のかよう高校には、そのような制度は存在しない。


「マジな話、遅刻なんか大したことじゃないっスよ。それぐらい重要なことなんです」

「あ……?」

「美玖さん。ちょっと、お耳をかしていただけますか?」


 かした。

 しかし、違和感のありすぎる音を察知して、すばやく倉敷から耳をひきはなす。

 世良が距離をとって確認すると、そこには小気味よくベロを高速で運動させている倉敷がいた。


「おっふ!!!」

「おっふ、じゃねー」世良はひざを下ろす。「わるいが、こっちはバカやってる気分じゃねー。いいかげんに……」


 ひざで蹴られた太ももをさすりながら、もう片方の手でスマホをつきつけている倉敷。


「こいつは」

「そうっス。やっとホシがわかりました」

「でかした!」


(ん? ひざで蹴ってたかと思ったら、こんどは彼のアフロを鷲掴わしづかみにしてる……)


 二人の様子を、とおく後方から眺める美玖。

 耳をすませばギリギリ会話が聞こえる距離だが、登校中の生徒が多くて、雑音にさえぎられて何をしゃべっているのかわからない。

 そこで、声をかけられた。


「先輩!」


 スクールバッグと紙袋をげた男子が、美玖に向かって走ってくる。


「あの……お、おはようございます!」

「うん、おはよう。朝から元気がいいね」


 はい! と笑いながらはにかむ、女の子のような中性的な顔だち。


「えーと、ごめん、キミって名前はなんていうんだっけ?」

やなぎです」

「あっ。そうだそうだ思い出した。柳クンだよ」と、あのときのことを思い出すとともに、視線がナチュラルに彼の股間をチラ見してしまった。「この前はクッキーありがとね。おいしかったよ」

「ほんとですか? う……うれしいです」


 もじもじしながら、柳は手持ちの紙袋の口をあけた。そこから、


「じゃあ、よかったら、また食べてほしいんですけど……」


 ベージュ色の小さなケーキボックスを取り出した。


「わお。もしかして手作り?」

「はい。あの……ガトーショコラです」

「すごっ。まじ?」

「お昼ごはんのあとに、どうぞ。この季節なら、夕方までは大丈夫だと思いますから」


 美玖は受け取って、ボックスの中をのぞいた。

 ふわぁ、とチョコレートの甘い香りが鼻をくすぐる。直径10センチぐらいの、まるくてふっくらとした形。表面にまぶされた、雪のような純白の粉砂糖こなざとう。思わず、手でつかんでその場で食べようとしそうになったほど、おいしそう。


「ほんとにいいの? わるいなぁ~~~。お返しもできないのに」

「いえ……お返しをするのは、ぼくのほうですから」


 はて? とボックスをじつつ、美玖は首をかしげた。


(あいつ、この子にお返しされるようなこと、なんかしたわけ?)


 気になる。

 しかし、


(私の知らないことだし、ここは下手につっこまないでおくか)


 と判断して、すばやく話題をかえた。

 文化祭でキミのクラスで何をやるの、と質問して、美玖と柳は横並びで歩き出す。


「……それでは、本日午後3時にうちの学校の校門前に、足をお運びいただくということで」

「おう」世良はくちびるを斜めに曲げた。「楽しみにしてるぜ」


 倉敷はおどろいた。

 あらためて、目の前の女子高校生がタダモノではないことを理解する。

 今日の午後、彼女の弟をカツアゲしようとして殴った〈犯人〉がいる、不良のたまり場に向かう手筈てはずになった。

 もちろん、倉敷やその仲間も同行するため、危険は少ないかもしれない。

 だが、相手がどういう反応をするか、どれだけの人数か、どんなあぶない武器を持っているかもわからない以上、不安や緊張があるのは当然だといえる。

 それが、世良(体は美玖)にはカケラもない。

 ただただ、うれしそうなのだ。


(おれがよく知ってるあいつと、同じ目をしてやがる)


 ゾクゾクくる。

 こんなヤツを敵に回したらと思ったらゾッとした。

 反面、味方にできれば、これほどたのもしい人間はいない。


「じゃあ、不肖クラシキはこれで失礼します!」


 すばやくUターンして、世良たちの学校の生徒の流れに逆行してすすんでゆく。

 数秒あるいたところで、美玖(体は世良)とすれちがった。


(……ここ最近、こいつからはさっきの美玖さんみたいな凄味すごみが消えてんだよな~。どことなく女っぽくなったっつーか……)


 背中を丸めるようにして、楽しそうにとなりの男子とおしゃべりしている好敵手こうてきしゅの姿をみながら、倉敷はフクザツな思いだった。


 そして約束の30分前。

 世良は、大きな川にかかる橋の上で、手すりに頬杖をついて考え事をしていた。


(美玖のツレのあのモカって女は、いつも『みくぴみくぴ』って便所の中までついてきやがる)


 ふっ、と口元に微笑が浮かんだ。


(だがいいもんだよな。ダチってのは。今じゃ、ついてきてくれねーと、ちょっとさび―――)


「みくぴ~~~~!!!!!」


 がくん、と頬杖からズリ落ちた。

 そのまま視線を横に流す。

 いる。

 ツインテールと、サイズ大きめの胸の両方をゆらしながら走ってくるJK。


「はぁ……はぁ……」

「モカ」


 いんをふむように、顔をあげた彼女から「バカっ!」と罵倒された。


「なにか悩みがあるならいってよ……私たち、親友じゃなかったの?」眉尻を下げに下げた、今にも泣きだしそうな表情だった。「教室にかえろっ? ね? みんな心配してるんだから。先生も、警察よぶかもしれないって」


 ここで世良はやっと自分のウカツさに気づいた。

 これは〈おれ〉じゃないんだ。

 つまり、いつもの世良永次えいじだったらサボリぐらい誰も気にかけないが、真面目ポジションの美玖が誰になんのことわりもなくいなくなったら、まわりに気にされるに決まってる。


「昼休みのあと、一人でふらっといなくなるなんて……みくぴ、そんなキャラじゃなかったじゃん。そんなに、つらいことがあったの? どうして私に、相談、うぇっ、して、うぇっ」

「いや、その、なんだ」

「ゔぇぇえぇえぇぇ~~~~ん」

「泣くなよ、モカ」


 世良は肩をすくめた。


(やれやれ。体調不良で早退とかにしとくんだったな)


 体調が……と考えたとき、彼は目をつむった。

 つむった、というより、つむらされたような。

 まぶたの向こうに光のない、完全な暗黒。


「みくぴーーーーっ!」

「……………………」


 ふっ、とさわやかな秋の風が吹いた。


「……………………あれ、モカ? なんで泣いてんの?」


 外にいるし。

 橋の上だし。

 教室じゃないし。


(うそでしょ。これって)


 自分の手をグー、パーしてみる。

 ほっぺをさわってみる。鼻をつまんでみる。髪をなでてみる。


(私だ。私の体だ。もとにもどってる)


 同時刻。


 世良は背中に奇妙な指のうごきを感じていた。

 ずっと「の」の字を書いている。

 バッ! とふりかえった。


「おまえは宇堂うどう……ここは、教室だと……?」

「世良氏。どうなされた」

「美玖! あいつはどこだっ!」


 いきおいよく立ち上がった。

 クラスメイトには、なにがなにやらわからない。

 そのいきおいのまま、教室を飛び出す。

 校舎を出て、全速力で走った。


(あいつが大勢の不良に狙われてるこんなタイミングで――)


 いま襲われたら、助ける手立てはない。

 世良は必死で駆けた。


 どん


 と、ふいに誰かと肩がぶつかる。

 相手にははがねのような硬さと重さがあって、ぶつかっていった世良のほうがやや後退してしまった。


「えらく急いでるようだな、世良」

「ナンさん」


 一学年上の元・番長の南雲なぐもが立っていた。

 長身でソフトリーゼント。ズボンのポケットに両手をいれている。 


「どいてくれ」


 肩をつかもうとした手を、南雲に逆につかまれた。

 ギリギリと手首をしめあげてくる。


「っ! おい、なんのマネだ……?」

「ご挨拶だな」南雲は目を細める。「こっちはわざわざダブってまで、おまえと再戦の機会をうかがってるんだ。そう冷たくするなよ」

「あっ! ちょっ、いたいいたいいたいーーーーっ!」

「なんだと?」


 意外な反応にきょをつかれて、南雲はあわてて手をはなした。


「いったー」


 と、自分の手をさする。

 手。

 ごつい。かわいくない。

 グー、パーしてみる。やっぱりごつい。ごつすぎ。


(なんだ、こいつ)


 なぞのリアクションになぞの手の動き。

 その様子はどこか不気味で、南雲は間合いをとらざるをえなかった。


(ふざけてるのか? ちっ。調子が外れたぜ。ここは退くか)


 ドスのきいたにらみを残し、背中を向けて去っていく。

 美玖には、状況がつかめない。

 ボーッとその場に立ちつくすしかなかった。

 さっきのは……夢?

 授業中、うしろの宇堂ちゃんに「の」の字を書き書きされながらウトウトしていたら、急に目の前にモカがいて――――



「みくぴ」



 その声は鮮明にきこえた。

 近くの校門のほうからだ。

 美玖は〈自分〉と目が合った。

 その〈自分〉が、無言でこくりとうなずく。


(そっか。やっぱり夢じゃなかったんだ。ほんの一瞬だけ、私たちの体は……) 


 ということは、たぶん、いつかはもとにもどれるんだ。

 そうじゃないと、こまるけどね。

 あれ?

 なんか胸がチクっとするような、この感情は何?


「ほんとに平気ぃ? 悩んでない? もう、勝手にどっかに行ったりしない?」

「はいはい。もうおれはどこにもいかねーよ」

「むふふ。こ~んなかわいい顔して『おれ』とか言っちゃってぇ」


 世良(中は美玖)の前を、二人の女子が通りすぎる。

 そこでふたたび、ビュッと爽やかな秋風がふいた。


「やっ! ちょっと、やだ。ムカつく~」


 モカのスカートの前が腹部にあたるぐらい、全開でめくれ上がる。

 はっきりとみえた、あらわな部分。

 それは、昼食のあとに食べたガトーショコラと同じ色だった。ダークブラウンの下地に、真っ白なリボンフリルがついていて、はきこみのたけは浅めで、野暮やぼったくないプリティなデザイン。


(エロ! モカのあの下着、エロっ! 最近買ったのかな)


 スカートをおさえながら、となりを歩く世良と仲良く腕を組んで、彼女は行ってしまった。

 美玖は、もう確認するまでもなかった。


(どうせつんでしょ?)


 おもむろに不自然な中腰の姿勢になっていく美玖。

 あいたた、とポジションを調整しながら、彼女は考えた。


 いったい私はあと何回、勃つのだろうか――と。

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