波濤-2

 二人が出て行ってすぐに三人は本棟に向かった。幸いにも隻腕のテケテケの姿はなく、渡り廊下前に立ち止まって椎名の大声を待った。


「ある程度は網にかかってほしいね〜少しでも捜索時間を得られるように」


 翳がそう言うと同時に、校舎全体に響く椎名の大声が聞こえて来た。合図だ。


「行きましょう!」


 蓮が先頭になり、三人は渡り廊下に飛び出した。中庭に影はなく、死神の姿もない。


「非常階段からダンボール箱を放り投げたと言ってました。その周辺を探り――」


「待って!」


 中庭に出ようとした蓮を引き止める翳。どうしたのかと尋ねられる前に、翳は静かに、と合図して中庭の上空を指差した。


 その指差された先には――中庭を見張るように五体の死神が漂っている。どうやら陽動にかからなかったものもいるようだ。


「なかなか聡明な奴もいるものね」


 吐き捨てるように呟いた翳は、渡り廊下から出ようとし――蓮に腕を掴まれた。


「翳さん……!」


「……陽動しなきゃ探れないよ。誰かがやらなきゃ……」


「ですけど……」


 翳は小さく息を吐き、微笑んだ。


「大丈夫、ヤケクソで囮になろうとしているんじゃないよ。ちゃんと帰って来るから……信じて? ね? それに……まつろわぬものを放っておけば人類は負ける。核兵器を使っても傷一つ付けられないんだからね?」


「翳さ――」


 その瞬間、蓮の口が塞がれた。


 照れくさそうに笑った翳は、自分の唇に触れた。


「へへ〜、戻って来たら続きしようね〜」


 翳はそう言うと渡り廊下から出、足下に落ちていた大きな石を窓に向かって投げつけた。その瞬間、ガラスが割れる音が響き、中庭を漂っていた五体の死神が大きく反応した。


「れぇぇぇぇえええーーーーーーーーん!!!」


 翳の大声が響き、一斉に反応した死神たちは渡り廊下の頭上を抜けて翳を追いかけて行った。彼女は教室棟の裏へ向かい、死神たちを引きつけた。


「行こう! 今のうちに!」


 落ち着かない蓮の腕を掴んだ流華は、中庭に向かって駆け出した。探すべきものはお地蔵様。足下に散乱するガラクタを蹴散らして非常階段の側へ向かう。


「蓮君はそっちを!」


 流華は階段の近くに散乱するガラクタをひっくり返す。もしダンボール箱の下にあるなら、蓮と透も見逃した可能性がある。今なら激しくしても大丈夫だ。


 乱暴にガラクタをひっくり返す流華に驚きながら、蓮は気になっていたダンボール箱に駆け寄った。一つだけ離れた場所に転がっていたもので、何が入っているのか確かめることをしなかった箱だ。ガムテープで閉じられた箱はひしゃげており、放り投げた箱であることは間違いなさそうだ。もしかすると……。


「蓮君、ダンボールはあった――」


 蓮の方へ顔をあげた時、雨に混じって彼の真上から何かが落ちて来たことに気付いた。それと同時に上から物音が聞こえ――蓮の真上、旧実習棟の屋根に大鎌を持った人体模型の姿を見た。


「蓮!!」


 流華の叫びに振り返った蓮は、彼女に引っぱられ――飛び降りて来た人体模型の大鎌を紙一重で躱した。


 空気を切り裂く音と同時に、蓮がいた場所に大鎌が突き立てられた。胴体を切られることは避けられたが、反射的に身構えた左腕を切られてしまった。


 倒れた蓮は起き上がろうとするが、足に絡み付く植物の所為ですぐに立ち上がれない。


「無理に立ち上がらないで!」


 流華は無理して立ち上がろうとする蓮を止めた。人体模型が鈍重であることが幸いしたため、蓮を引っぱり本棟に逃げ込もうとしたが、予想以上に重い蓮に手こずり、思うように後退出来ない。追いつかれるのも時間の問題だ。


 人体模型はすぐに二人を追いかけ、大鎌をよろめきながら振り回す。蓮の懐中電灯で照らされた人体模型の全貌を見て、流華は人体模型の躰に張り付くものの正体に気付いた。どうやら生きた人間の肌を刈り取って自分の肌にしていたようだ。


 人皮を剥ぐ化け物に戦慄しつつ、流華は力を込めて蓮を引っぱり――。


「流華!!」


 背後から透の声がして――足下に木刀が投げ込まれた。


 その木刀を掴んだ流華は――振り下ろされた大鎌の柄を受け止めた。その光景に驚く透や蓮を尻目に立ち上がった流華と人体模型との鍔迫り合いの力比べが始まり――。


「チビだからって……舐めんなよ、オラァ!!!」


 流華は力一辺倒の人体模型の力を利用して勢い良く柄を弾き、弾かれた大鎌を奪い取るとそのまま力任せに大鎌を引き――人体模型の右足を破壊した。欠片と血が飛び散り、雨の中に馴染んだ。


 地面に倒されてなお、這って襲いかかろうとする人体模型の頭を踏みつけた流華は、大鎌を振り上げ、その躰に向かって渾身の力で振り下ろした。


「そこで一生土下座してな!」


 磔にされて動けない人体模型を踏みつけ、流華はもう一度木刀を振り下ろした。


「椎名……さん?」


 口ぶりが豹変した流華の恐ろしさに驚愕していた蓮の横へ、肩から血を流す椎名を支えた透が駆け寄って来た。


「流華は文武両道のお姫様だからな……」


「祖母が剣道の達人だったらしいよ? 俺も驚いたけど、今は固まっている状況じゃないね。お地蔵様は?!」


 駆け寄って来た流華に椎名を預けた透は、よいせ、と蓮を立たせた。


「透、もしかしたらそこに……」


 腕を庇いながら非常階段の側を指差す蓮に従い、透は示された場所へ走り――。


 ミ〜ツ〜ケ〜タ〜……!!


 その声に気付いた透は見上げ――頭上を埋めた黒い影に驚いて飛び退いた。その瞬間、透が立っていた場所にカマドウ女が飛び降りて来た。


 降りしきる雨を振り払い、歯をがしゃがしゃと鳴らしたカマドウ女は立ち並ぶ四人の獲物を見渡し、破顔を浮かべると――。


 グガァァァァァァァアアアアアアアアアアーーーーーー!!!


 耳をつんざくほどの咆哮に四人は空を仰ぎ――。


 鵺は自らが作り出したこの空間に度々干渉してくる目障りな存在を踏み潰し、その大きな躰に牙を突き立てた。その瞬間、カマドウ女の背中から黒い液体が噴き出し、鵺は喰い千切った肉片を中庭に撒き散らした。


 その殺戮を見せつけられた四人は、鵺の圧倒的な恐ろしさと強大さに息を呑んだ。


 グガアァァァァァァァァアアアアアアアーーーーーーー!!!


 再び地を揺るがした鵺は狙いを四人に移し、破壊的な一歩を踏み出した。


「マジか……こんな怖い奴とはね……」


 その一歩一歩に戦慄する声を聞き、鵺は久しく感じていなかった高揚を感じた。生きた人間を直に見たのは久しぶりで、懐かしさから昔を思い出す――忌まわしい神名に破れてここまで逃げて来た時、人間にはずいぶんと世話になった。討伐隊まで投入されての追撃戦、神名との再戦、封印、復活して補食、また封印と復活と、思い返してみても激動の一生だ。ましてや封印されていた時の鬱憤は未だに晴らせていない。力の大半を失い、現世と狭間の境界が弱まる大禍時の黄昏を背負わなければ人間を攫うことも出来なくなってしまった。

 

 鵺はもう一度四人の人間を見渡すと、その破壊的な口を開き――。


 ダメッ!!


 咆哮で四人を吹き飛ばそうとした時、忌まわしい聲とともに散々邪魔してくれた相手が目の前に現れた。


 逃げテ……!!


 振り返った花子さんの口は動いていないが、蓮たちの脳裏には花子さんの聲がハッキリと聞こえた。


 大木のような鵺に立ち塞がり、微動だにしない花子さんの背中を置いて行くことに蓮は躊躇ったが、


「君に何が出来る……行くよ!!」

 

 現実を促された蓮は後ろ髪を引かれつつも、椎名を支える流華に手を貸して中庭から逃げた。


 やめて……! これ以上……暴れナいで!!

 

 両手を震わせながら睨みつける花子さんだが、鵺はその必死な凄みを嘲笑すると、二階の窓から様子を窺っていた腕の長い女を睨みつけた。


 下りて来い、と命令された腕の長い女は中庭に降り立ち、鵺の背後から出て来た短髪のテケテケとともに花子さんと対峙した。咆哮をあげたテケテケと同時に腕の長い女は花子さんに襲いかかり――。


 花子さんは聲なき叫び――生徒たちからもらった慈しみの想いを妖力に変えた咆哮を放った。その威力は凄まじく、飛びかかって来たテケテケと腕の長い女を一撃で吹き飛ばした。


 紙のように容易く吹き飛ばされた配下を一瞥した鵺は、花子さんに近付いた。


 今まで直接相見えることはなかったため、人間の肩を持つ花子さんの妖力を知らなかった。そのため、第二PC室で歯向かってきた時には驚かされた。妖力を波動に変えて攻撃の手段にしていることもそうだが、完全にではないにしろ自身の動きを制限してきたことは脅威だ。配下を嗾けてみたが、やはり歯が立たない。だが――。


 ギュグァァァァァァァァァァァアアアアアアアァァァァアーーーーーーー!!!


 もう効かないと言わんばかりに、強大な咆哮をあげて花子さんを吹き飛ばした。その威力は花子さんを上回り、地面に叩き付けられた彼女は全身が割れるような激痛に襲われて視界が揺らいだ。自分は消えるのだろうか、そう思った時、鵺が自分を無視して中庭から移動したことに気付いた。四人が逃げられたことを悟り、微笑んだ花子さんはやおら目を閉じた――。




 死神たちを引きつけた翳は、教室棟の外側を駆け抜けていた。


 真横は霧で何も見えないが、今にも中からまつろわぬものが抱きしめようと飛び出して来てもおかしくない状況だ。嫁入り前だし、背後には熱心な五人のファンが追いかけて来ている。


 翳の計画では、このまま校舎の外を一周して本棟の昇降口に駆け込むつもりだったが、彼女は旧校舎の全貌を知らない。それが裏目に出てしまった。


 現実では旧実習棟と新校舎が繋がっているため、旧校舎を一周する通路が存在しない。そのため、旧校舎だけを模したこの空間でも、校舎の周囲を一周する通路が無いのだ。それを知らなかった翳は霧の行き止まりに嵌ってしまった。


 振り返っても死神の姿はまだ見えないが、追いつくのは時間の問題だ。左右を見渡し、二階にある図書室の窓が割れていることに気付いたが、どうやっても届くはずない。しかし、割れる箇所があると知れたことは大きい。


 落ちていた石を拾い上げ、図書室の窓に向かって叩き付けるが、期待した音も結果もなかった。


 くそっ……まずい……!


 舌打ちと同時に教室棟の角からボロ布を連れた死神たちが姿を現し、我先にと突出して来た一体が鉤爪を振り回しながら襲いかかったものの、翳はテケテケに劣る速度の斬撃など脅威には思わず、地面を転がって軽々とそれを回避し、訓練された軍人のように立ち上がるとそのまま走って教室棟の方へ戻った。


 その道中でも低空で並行して来る死神の斬撃を躱し、翳は南側非常階段の下にスライディングで飛び込んだ。開いていると思うのは楽観過ぎるけど、試してみる価値は――。


「もうっ……! 意地悪しないでよ……!!」


 開かないドアに向かって吐き捨てた翳は二階に上がらず、また教室棟の角を曲がった。中庭に戻るわけにはいかないから、本棟から行けるだけの外周通路を走るしかない。蓮たちがお地蔵様を見つけてくれることを信じてスピードをあげた。


 中庭の騒動に気付かないで、と祈りながら渡り廊下前を通り抜け――花子さんが立っていることに気付いた。本棟に通じるドアの横に立ち、どこかの部屋に通じる窓に向かって指を指している。そこに飛び込めってこと……?


 走りながら今度は大きめの石を拾い上げると、花子さんは頷いて消えた。割れという考えは正しかった――。


 グガァァァァァァァアアアアアアアアアアーーーーーー!!!


 突然中庭から強大な妖気が放たれ、鵺の咆哮が響いた。二人のことが頭をよぎったが、死神を合流させるわけにはいかない。あの時みたいに室内にまで入り込んで来るなら好都合だ。蓮――皆のためならどんなことも出来る。


 腕の一本や二本……くれてやる!!


 翳は正面から滑空して来た死神を無視し、窓に向かって思い切り石を投げつけた。それと同時に死神から擦れ違い様に右腕を大きく切り付けられた。その激痛にうめき声をあげながらも翳は走り――室内に飛び込んだ。その際に、窓枠に残った破片が彼女の太ももを切り裂いた。


 そうして室内に飛び込んだ翳を受け止めたのは、草臥れた畳と襖だった。勢い余って押し入れの襖を壊してしまったが、受け止めてくれたことに感謝して身体を起こした。しかし、足が縺れて倒れてしまった。


「もう……こんな時にぃ……」


 身体が思うように動かず、翳は自分の右前腕部から手の甲へ流れ落ちる血を見て、その状態と勢いは無視出来ないことを察した。しかし、怪我も死神のことも今の翳に対処出来ることではなく、最後に蓮のことが浮かんで――彼女の意識は暗闇に引き込まれた。


 頽れた翳に迫った死神は鉤爪を振り上げ――。


 近付かナいデ……!!


 その聲とともに花子さんは死神たちの前に立ち塞がり、咆哮で死神たちを軽々と吹き飛ばした。五体の死神はボロ布を残して砕け散った。


 ローブが宙を舞う中、花子さんは肩で息を吐いた。この咆哮は自分の妖力を波動にしたもので、自分を認識してくれる人――友達を護りたいと願った時にだけ使える力だ。それはまつろわぬものや、モノノケに対抗出来るほどの威力を持つが、使うたびにかなりの体力と妖力を消費する。連発すれば花子さん自身が形を維持出来ず消えることになる諸刃の剣だ。


 ローブが地面に落ちた頃、花子さんは気を失っている翳の側に駆け寄った。人間が負う怪我のことはよくわからないが、紅い液体をたくさん流した人間が死んだことを過去に見たことがある。彼女の腕を掴んで自身の妖力を分け与える。おそらく彼女も自分と同じような何かを持っているはずだ。それなら何か力になれるはず――。


 グガアァァァァァァァァアアアアアアアーーーーーー!!!


 もう一度鵺の咆哮が響き、四人の危機を感じ取った花子さんは、効果を見届けずに助けに向かった。


 ゴメンネ……。

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