第40話
「ーーーーと、まぁだいたいこんな話。とっても悲しいお話でしょ。うわっ、泣いて…る?」
「な、泣いてなんかいないよ。目が乾燥して痛い…だけ。う…ぅ……」
僕は、泣いていた。ナナの話が、あまりにも悲しくて。自然と涙が溢れていた。本当にナナの話は素晴らしかった。僕は時間を忘れ、ナナの話に聞き惚れていた。
「ふ~ん、まぁいいけどさ。そろそろ服乾いたんじゃない?」
ナナは、立ち上がると鉄棒にぶら下げていた僕の上着を取り、バンバン叩いた。
ニッコリ笑っている。どうやら、乾いたようだ。
「はい、これ。乾いてたよ」
「うん。ありがとう」
「はぁ~お腹すいたねぇ。夕飯は、食べた?」
「いや、今までナナと一緒にいたんだから食べてるわけないでしょ。まぁ帰ってから、適当に何か食べるよ。おじいちゃんが何か作ってくれてるかもしれないし」
僕は、乾いたシャツを着て、帰り支度を始めた。ナナは、腕を組んでさっきから何かを考えている。
「そうだっ! 家に来なよ。ママの手料理は、絶品だからさ。それ、食べていけばいいよ」
大声でそう言うと、僕の手を掴み、強引に引っ張った。
「いっ、いや。いいって。こんな時間に家に伺うのは失礼だし。夕飯をご馳走になるわけにはいかないよ。今度さ、改めてご馳走になるよ」
「なんだと? 私に恥をかかせるつもりか」
黒いオーラが、ナナの背中に見えた。危険なシグナル。
「もう九時を過ぎてるんだよ? 今度じゃ、ダメなの?」
「ダ~メ。今から行くの。きっと、ママも喜ぶよ。パパに会いたがっていたし」
僕は、諦めてナナについていくことにした。
ナナの家に行くのは、これが初めて。クラスは違うが、ナナも僕と同じ中学に通っているので、それほど家も遠くない。……はず。
公園から、歩いて数十分。
ナナの住んでいる場所は、どうやら北区のようだった。北区は、僕が住んでいる南区とは違い、高級住宅地になっており、僕みたいな庶民には縁のない場所だった。
(金持ちなのかな、ナナの家は)
ナナは、一際目立つ大きな一軒の家の前で立ち止まった。レンガ造りの高い塀からは、中を窺うことが出来ない。隣の家よりもさらに高く屋根が突き出ていたので、おそらく五階建てだと思う。
パッと見ただけでも6台の監視カメラが僕を睨んでいた。悪さをしていなくても緊張してしまう。
異質なほど頑丈な作りで出来ている鉄門。その手前で、ナナは突然立ち止まると大声で叫んだ。
「ママァ! ママァ! 今帰ったよ。開けて」
「ちょっ! ちょっと、ナナ。そんなに大声出したら近所迷惑だよ。今、何時だと思ってるの」
僕は、周囲を見渡した。幸いにも通行人は誰もいなかった。何を考えているんだ? 叫ばなくてもチャイムぐらいあるだろう、普通。
「何してるの? 早く入りなよ」
いつの間にか、門が開いており、中からナナが僕を手招きした。仕方なく、髪をかきながら中に入った。門から家まで十メートルほどあり、手入れが行き届いた花壇が、道の両サイドに広がっていた。清潔さと家主の几帳面さを感じる。まるでおとぎの国に入り込んだようだ。
「すごっ……」
溜息が出るほどの豪邸を間近で見た僕は、圧倒されて思わず後ろにのけ反りそうになった。そんな僕を見て、ナナはクスクス笑っていた。
家の中は、更に凄くて。もう説明することすらバカらしくなるような豪華さで満ちていた。廊下の白壁には、有名画家の絵画が並び、クリスタルガラスで出来た動物たちが所狭しと並べられていた。二十人ぐらいは座れるんじゃないかと思われる巨大なソファーで、僕は母親を呼びに行ったナナを待っていた。しかし、なかなか戻ってこない。
(帰りたくなってきたな。凄く場違いな気もするし)
天井から吊り下げられているシャンデリアをしばらく見上げていると、万華鏡のように光がぐるぐると目の前で回転し、催眠術にかかったように眠くなった。
「パパ! パパ! 起きて」
「ぅ……。ナナ?」
「寝ちゃダメだよ。これから夕飯なんだから」
ナナに起こされた僕は、フラフラした足取りで廊下を歩いた。黄緑色した自動照明が、ナナの一歩先で点灯し、僕の後ろで消えていく。それは、蛍のように儚い光だった。
客用のリビング。
その中央に設置されている無垢一枚板のテーブルの上に、大きなステーキ皿が乗っており、霜降り肉がジュージューと美味そうな音を奏でていた。サラダやパン、スープが何種類も用意されており、僕は何度も生唾を飲み込んだ。
いかにも金持ちって感じの食事。こんな食事ばかりとっていたら将来、痛風になるかもしれない。
目の前の食事にばかり気をとられていた僕は、ある視線に気付いた。先ほどから誰かが僕を見ている。この視線は、ナナではない。振り返ると綺麗な女の人が、フルーツの盛り合わせの大皿を両手で持って、僕の数歩後ろで立っていた。
ナナのお姉さんかな?
お辞儀をした。
綺麗な女の人は、ニコニコ嬉しそうに笑って僕にお辞儀を返した。その物腰のやわらかさや雰囲気から優しい人だと分かった。背は、僕とたいして変わらない。……いや、僕よりも低いかもしれない。
「ママだよ」
「えっ!? お母さん? は、初めまして。前田 正義って言います。突然、お邪魔してすみません。こんな遅くに」
僕は何度も謝り、頭を下げた。
「アハハ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。もっと肩の力を抜いてさ、リラックス~。ね?」
「はぃ……」
「早く食べようよ、ママ。お腹がすいて死にそう」
「そうだね。じゃあ、食べようか。正義君も遠慮しないでどんどん食べてね。お肉ならいくらでもあるから」
「はい。ありがとうございます」
僕たちは席につき、食事を開始した。
(あれ? そういえば、ナナのお母さん。誰かに似てるな………)
何かとんでもなく重要なことを忘れている気がする。
「私の顔に何か付いてる? 正義君に見つめられると照れちゃうな、おばさん」
「パパは、やっぱりママが好きなんだね~」
「は? 好きってなんだよ。いやいや、ナナのお母さんがあまりにも若いから、驚いてたんだよ」
「若くないって、全然!! ほんっとにおばさんなんだから」
そうは言いつつ、とっても嬉しそうなナナのお母さん。切った肉をそっと僕の皿に乗せた。
「あ、ありがとうございます」
こんなに食べれるかな。
冷たい水を飲み干す。それでも、すぐに口の中は乾いた。
「なんか、僕。とんでもないことしてますね。娘さんとこんな遅くまで夜遊びして。しかも、こんな豪華な夕飯までいただいて」
「正義君は、真面目だね。そんなこと考えてるんだ。でもさ、それは考えすぎだよ。なんにも悪いことない。むしろ、おばさん感謝してるんだから。だって、ナナちゃんの話し相手になってくれてるでしょ? この子ね、友達が少ないから話し相手がいなくて寂しいのよ」
「おばさん。ナナは話の才能がありますよ。僕も毎回楽しませてもらっています」
「パパは、私のファンクラブ第一号だからね!」
二号は、いつ現れる?
「これからもナナちゃんの話し相手になってあげてね。お願いします」
深々と頭を下げた。おばさんは、本当にナナを大切にしてるんだな。
「こっ、こちらこそ宜しくお願いします」
僕も慌てて頭を下げる。勢いがつきすぎて、テーブルに頭をぶつけてしまった。派手な音がして、恥ずかしさで顔が赤くなる。ナナとおばさんは、そんな僕を見て笑っていた。僕も苦笑い。
食事は、それなりに楽しかった。おばさんは、僕の緊張をなんとか和らげようと気を遣ってくれた。
食後のデザート。冷たいメロンを食べながら、僕は壁時計で時間を確認した。十時を三十分も過ぎている。これ以上、長居するのはさすがにマズい。おじいちゃんが心配して、塾に電話でもされたらサボったことがバレてしまう。
僕は、慌てて帰り支度をした。おばさんは、そっと僕の鞄に触れて。
「さっきね、正義君の自宅に電話して、おじいさんに帰りが遅くなることを連絡したの。塾をサボったことも上手くごまかしておいたから大丈夫よ。だから、ね。おばさんともう少しだけお話しましょう。ナナちゃんも寝てるみたいだし。二人でゆっくりと話が出来るし」
いつの間にか、ナナはテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。食ったら、即寝る。赤ちゃんみたい。部屋は適温に保たれているので、風邪は引かないだろうけど。
「えっ、あのぉ。僕の家の電話番号知っていたんですか? ナナも知らないと思ったけど」
「知ってたよ。正義君のおじいさんには、昔から良くしてもらってるのよ。とってもカッコ良い俳優さんみたいなおじいさんよね。そんなことより、今日は君に話しておかなければいけないことがあるの」
静かに立ち上がるとおばさんは部屋を一旦出て行き、ポットとティーカップを持って戻ってきた。おばさんは、ロイヤルミルクティを入れたカップを僕の前にそっと置いた。
「ごめんね。眠いだろうけどもう少し我慢してね」
「いえ、大丈夫です」
「実はね」
「……………」
おばさんは、少し話すのを躊躇している。その横顔を見た僕は、あまり良い話ではないことを察知した。
「正義君は、ナナちゃんのパパ。つまり、私の死んだ旦那の転生した姿なの」
「……………へ? ん?? 何です? 転生???………意味が、ちょっと……分かりませんけど………」
「ごめんなさい。混乱するのは、当然だよね。実はね、正義君は一度、十四年前に亡くなってるの。私の目の前で殺された。今の正義君は、キミにとって2度目の人生になるの」
「もしかして、ナナが僕のことをずっとパパって呼ぶのは、本当に僕が前の世界でナナの父親だったから? ハハ……ハ。そんな事って………あるわけないですよ」
口が乾燥して上手く話せない。僕は一口、ミルクティを口に含んだ。ほのかに甘い。優しい味がした。
「本当はね、こんな事話すつもりじゃなかった。でも転生者は遅かれ早かれ、必ず前世の記憶を取り戻す。記憶が戻った時の正義君の精神的ダメージはかなりのはず。今のうちに、少しずつ慣れさせないと最悪、精神が崩壊してしまうこともあるから。だから……話したの」
「冗談………とかではないんですか?」
「うん。私は、真実だけを話してる」
「………僕は、それでも知りたくなかったです……」
僕は、弱い人間だから。おばさんの気持ちなんて考えず。ただ普通でいたいと、平和に暮らしたいとそれだけを願ってしまう。
「パパ………どうして泣いてるの? ポンポン痛いの?」
目を覚ましたナナが、心配そうに僕の顔を覗いていた。その言葉で初めて、僕は自分が泣いていることに気づいた。この涙の意味が自分でも分からず、戸惑っていた。
「ママ……。パパを泣かせたの?」
闇の底から響くような低い声。
「ごめんなさい」
ガシャンッ!
触れてもいない高価な壺が前方で割れた。その破片がおばさんの頬の横をかすめる。あと数センチずれていたら、顔に傷を負っていたかもしれない。
「ナナ、違うんだ。おばさんは何も悪くないよ。眠くてさ、僕も寝てたんだけど悪い夢を見て。それで泣いていたんだと思う。夢の内容も思い出せないんだけどさ」
急いで涙を拭くと、鞄を持って逃げるように部屋を出た。後ろからナナが慌ててついてくる。玄関前で立ち止まった僕に、ナナから話しかけることはなかった。
「また、明日」
「うん………。今日は無理矢理家につれてきてごめんね。ママに頼まれてたから」
「いや、すごく楽しかったよ。料理も最高だったし。おばさんに宜しくね」
「嫌いにならないでね、ママのこと」
悲しそうに顔を伏せた。
「ならないよ。また家に呼んでね。今日は、時間なかったから無理だったけど、今度は他の部屋も見たいしさ。広いよね、ナナの家。博物館みたいだし」
僕は、鞄を持ち直すと歩き出した。まだ、目は赤く腫れている。
「ほんと、優しいね。パパって……。だから、好きなの」
その言葉が、妙に照れくさかった。
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