夢追い人も寄り道がしたい (2022.3.4)

 人間、ふとした瞬間に「ああ、あの頃に戻りたいな」と思うものである。主語がでかい。

 僕もなんだかんだ人間だから、あの頃……中学時代に戻りたいな、と思う。

 演劇がしたいのだ。殺陣は苦手だったし、主役なんて一度ももらったことないけれど。

 ……話が前後してるな。僕は中学の頃、演劇部に入っていた。あの頃は僕、というより私、だったけど。あれ以来、一度も演劇の舞台には立っていない。


 たまにネット上で脚本を探してしまう。検索して上の方に出てきたやつを、小さな声で最初の方から読み上げて、恥ずかしくて、やめる。何が楽しくてやってるんだろうか、と自問。サイトを閉じて、自答。


  ◇◆◇


「そういえばしーさん」

「ん?」


 ある日の朝兼昼食。なんてことない野菜の詰め合わせを口に運んでいたところ、正面に座る嫁こと旦那こと少年こと奏くんが話しかけてきた。くどい。

 彼は口の中に白米を運びながら喋る。


「ご飯食べたら百均行こうと思うけど、行く?」

「ん、行く」

「りょーかい」


 食卓に沈黙が落ちてくる。咀嚼音と、食器がぶつかり合う音だけが部屋の中に響く。

 ……この景色に、なぜだか舞台を重ね合わせてしまった。役者の息遣い、衣擦れ音、微かな音でさえその場に響き渡る、あの世界が嫌いではなかった。なんてね。

 浮かんだ景色を瞬きでとっぱらい、味噌汁を飲み干して聞く。


「何買いに行くん?」

「ちょっとしたケース。仕事で必要になってさ」

「ふーん」

「しーさんはなんかついでに買う?」

「んー……」


 聞かれて、最近のことに思いを馳せる。ルーズリーフは飽きるほどあるし、シャー芯は百均で買いたくない。強いて言うなら……。


「あー、カードとかいれるやつ買わなきゃかな」

「もう無くなりそうなんだ? 前に買ったのついこの間じゃなかった?」

「まあそうだけど……ほら、ネットのあれで近々色々届くからさ、ちょっと今の枚数じゃ心許なくて」


 苦笑いを浮かべる。そっか、と彼は野菜に手を付け始め、ご馳走様まで会話を交わすことはなかった。


  ◇◆◇


 食後、予定通り近所の百均へ徒歩で出向き、買う予定だったものを買い物かごへと入れた後。

 適当に店内をぶらついていると、目の端に懐かしいものが写った。


「お、紅しょうがだ」


 思ったことを反射で出してしまったのは気を許してる証拠だろう。

 ついそちらの方へ寄ってしまう僕を、後ろから彼が追いかけてくる。


「紅しょうが?」

「うん、紛れもなくこれは現役時代に見ていた紅しょうがだ」

「……食べ物じゃなくて?」


 そうだ。一般人から見たら、今僕が手に取っている「紅しょうが」は明らかに子どもがチャンバラごっこで使うような、スポンジでできているただの赤い棒であって、断じて食べるものではない。

 思わず顔がにやける。


「昔もたまに見かけてたけど、なんか現役に見てたやつと違ってたからなぁ……懐かしい」

「スルーですかい」

「ふふ、ごめんごめん」


 改めて彼に説明する。

 演劇部時代、殺陣で使う武器といえばこの紅しょうがだったこと。でもスポンジ製だからすぐぼろぼろになっちゃって、替えを求めてあちこちの百均へ走ってたこと。

 また、赤いと時代劇には合わないという顧問の一言で銀色に染められた紅しょうが……いや、銀しょうがが現れたり、紅しょうがとは形の違う、百均製のスポンジ剣を使ったりしていた。銀しょうがに関しては、使っているうちに塗装が剥がれ、最終的に紅しょうがに戻ってしまったり。

 そんなことを話している自分の声がワントーン上がっている。興奮してんだね。


「……で、手に取ってるってことは買いたいの?」


 言われて気づく。自分の手の中には、中学時代、舞台上で一度も握ったことのない紅しょうがが、ぎゅっと握られていた。

 ……そう。こうやって嬉々として語るけれど、僕は卒業するその日まで、紅しょうがを握って舞台に立つことはなかった。大事なことだから二回言いました。


「……あ、いや、そんなことは」


 ない、と言いかけて考える。

 人間、やっぱり無意識ってものが存在するんだろうなぁ、と思う。主語がでかい。

 きっと、また演劇がしたい自分が奥深くにいるんだろう。たまにそれが顔を出して、むりやり引っ込めさせて。

 ……でも、別に自分の夢は「役者」じゃない。さらに、ブランクがある。だから、人前に出れるほどの演技ができるわけない、現役時代にすごかったわけでもない。そう言って。


「……買いたいなら買いたいと素直に言えばいいのに」


 ぱっと手から奪い去られる。

 ……そういうとこだ。悶えそうになる心を落ち着かせて、ジト目で彼を見つめる。


「……もう一本買うもん」

「なぜに」

「二刀流するもん!」


 はいはい、と彼は笑う。いや、ちょっと呆れてるのかもしれない。どっちでもいいか。

 買ってくれることに少し舞い上がってる自分がいるのを確認して、上がった頬を手で揉んだ。


  ◇◆◇


『演劇 脚本』と検索エンジンにかけ、一番上に出てきたものをクリック。最初の方を読み上げて、つっかえてきて、やめる。サイトを閉じる。

 視界の端っこには、買った紅しょうがが二本。


『劇団 募集』と検索エンジンにかけ、一番上に出てきたものをクリック。ばっと広がる数々の劇団に目を通す。その中でも、一際惹かれた劇団のサイトへと飛ぶ。


 断じて夢が「役者」ではない。「司書」だ。

 でも、まあ。よく考えてみよう。今まで寄り道だらけの人生だったじゃないか。


「……ちょっと、やってみようかな」


 知らずと零れた声は、期待で満ちていた。

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