現実逃避

月之影心

現実逃避

「なぁ祐也ゆうや。」

「何?」

汐里しおりちゃんって可愛くなったと思わない?」

「はぁ?英紀ひできの目悪くなったんじゃないのか?」




「今年は何処に行く?」

「まだ寒いから暖かいところがいいな。」

「逆にもっと寒いところ行ったら戻った時暖かく感じるかもよ?」

「じゃあ北海道にしようぜ!」




「最近英紀忙しそうだな。」

「そうだね。新しいプロジェクトとか色々あるみたい。」

「ふぅん。やっぱ頼れる奴は何処行っても頼られるんだな。」

「ふふっ。私たちの自慢の幼馴染だもんね。」




「今まで黙っててすまなかった。」

「いや、気にすんな。けど全然気付かなかった。いつから付き合ってたんだ?」

「あぁ……大学卒業してすぐの頃だったかな。」

「そうかぁ……」




**********




 一体、いつになったらこの夢から解放されるのだろうか。

 最早寝る事に恐怖すら覚えるようになっていた。

 夢で2人が出て来るたびに、俺は俺自身の惨めさを強制的に認識させられ、必死にその場から逃げようと藻掻いていた。

 藻掻く俺を嘲笑の目で見てくる英紀の顔が脳に焼き付いていた。


 (お前がそんな奴じゃない事は分かってる……分かってはいるが……っ!)


 深層心理。

 俺の心が英紀から逃げようとしていた。


 逃げる?


 何故?




**********




 社会人6年目。

 夏。


 年明けに会社の先輩の退職に伴い、先輩の受け持っていたプロジェクトを引き継ぐ事になった俺は、今までとは比べ物にならないほど忙しい毎日に追われていた。

 退職した先輩は、『お前なら出来る』と根拠の無い励ましの言葉を送ってくれていたが、そのプロジェクトも先輩が退職する原因の一つとなっていたのだから、励まされたところで俺も先輩の二の舞になるのではと気が気では無かった。


 勤務先が決してホワイトでない事は理解し納得もしていた。

 『夜片付かないなら朝早く出て来ればいい』という昭和気質な上司も居て、とにかく仕事以外に何かを考える余裕は無かった。


「先輩、この後ご飯食べに行きませんか?」

「悪い。これ明日の朝一に出さないといけないから無理だ。」

「そうですか……じゃあまたの機会にお願いします。」

「あぁ、すまんな。」


 後輩の誘いも、このプロジェクトに関わるようになってから殆ど断っている。

 朝早くから夜遅くまで掛かり切りになっても片付かない仕事に、寧ろ助けられていた気がする。


 少なくとも仕事をしている間は、2人の事は頭に浮かぶ事は無かったから。




**********




 社会人6年目。

 秋。


 家から届いた荷物の中に、俺宛の封筒が入っていた。

 裏面を見ると、名前に見覚えはあるが誰だったか思い出せないやつの名前が差出人になっていた。

 封筒を開けて中から二つ折りになった厚紙を取り出して開くと、高校3年の同窓会の案内だった。

 差出人は高3の時のクラスメートだったのを思い出した。

 開催日や会場の印刷された紙を眺めた後、そのままシュレッダーの中に放り込んだ。


 (その日は仕事だ……)


 と、まだ分からないスケジュールを言い訳のように呟きながら。




**********




 社会人6年目。

 冬。


 年末も除夜の鐘が聞こえて来る頃まで仕事だった。

 一応、正月三が日は休業日だったが、散々仕事漬けだった俺は何か趣味があるわけでもなく、『寝正月が最大の贅沢』と言わんばかりに部屋で過ごした。

 実家から送られてきた餅と蜜柑は美味かった。


 『たまには帰ってお父さんに顔見せてあげなさい。』


 荷物の礼を電話でした時に母親に言われた。

 顔を見せていないのは母親もそうだろう……とは思ったが『分かった』とだけ答えておいた。


 寝て、食って、起きて……の3日間はあっという間に過ぎ、また忙しい毎日が始まると思うと憂鬱だったが、生きて行く為には必要な事だと諦めもあった。




「先輩ってあんまり笑わないっすよね。」


 今時の若い子は平気な顔でこういう事をずけずけと言って来る。

 とか言い出したら俺も年を取ったと言われるのだろうか。


「笑える事が無いからな。」

「まぁそうっすね。でっかい契約でも取れたら笑えるんすけどねぇ。」

「仕事が足りないなら分けてやるぞ?」

「あいや無理っす。先輩の仕事レベル高すぎて僕が手出ししたらマジで笑えなくなるっすから。」


 最後に先輩を持ち上げてくるこの若手を、俺は嫌いにはなれなかった。

 だからこいつも、笑顔一つ見せない俺に気安く話し掛けてくるのだろうけど。


「ねぇ先輩、たまには何処か飲みに連れてってくださいよ。酒がダメなら飯でもいいっすから。」

「別に俺と行かなくても同期連中とかと行けばいいだろ?」

「同期の奴等とはしょっちゅう行ってますよ。僕は先輩と話がしたいんす。」


 俺は小さく溜息を吐いて、半ば呆れ顔で応えた。


「分かった。そのうちな。」

「楽しみにしてるっす!」


 明らかに今の俺とは正反対の明るい表情で自分の席へ戻る若者が眩しかった。




**********




 社会人6年目。

 年度末。


 プロジェクトは順調に進み、過去一番ではないが割と大口の契約に繋げることが出来て胸を撫で下ろしていた。


「ご苦労だった。」


 社長直々に労いの言葉を貰えたのは素直に嬉しくはあったが……


(『よくやった』だけじゃ飯は食えないんだよ……)


 ……と頭の中では悪態をついていた。


 上司からも褒められ、『来期の査定は期待してていいぞ』なんて言われはしたのだが、好成績を収めた奴とプラマイゼロの奴とでも昇給額は数百円しか変わらない事を知っていた俺は、『どうも』とだけ返して席に戻った。




 一足先に年度決算に関わる仕事が片付いた俺は、その日の仕事帰りに買い物でもして行こうかと久し振りに街へ出る事にした。


 オフィスは割と大きな街中にあったので、会社を出て数分歩けばそれなりの店が沢山ある。

 折角だからと何処かで飯も済ませてから帰ろうと思いながら歩いていた時、正面からこちらに向かって近付いてくる男を見た瞬間、俺は背筋にピリッと痛みが走る感覚に襲われた。

 心臓の鼓動が耳の奥でドコドコと鳴っていた。




(英……紀……?)




 眼鏡を掛け、厚手のブルゾンを着てこちら側に向かって来る男は、俺が二度と会う事はないと言っていた英紀だった。

 いや、『他人の空似』というのもある。

 そもそも英紀がこの街に居るわけがない。


 俺は極力、英紀(に似た男)と目を合わせないようにほぼ横方向を見ながら何事も起こらないよう祈りながらすれ違おうとした。


 だがそれが災いした。


 明らかに余所見をしながら歩いていたのと同じだった俺は、前から歩いて来た英紀(に似た男)と肩をぶつけてしまった。

 俺は(マズい!)と思いつつ出来るだけ顔を逸らしたまま『すいません』と小声で言っていた。

 相手は『こちらこそすいません』とだけ言って俺と反対の方向に向かって元の足取りのまま去っていった。


(英紀……じゃなかった……のか?)


 振り返って確かめる勇気も無く、俺は足早にその場を去った。




 電車に乗り込んで駅を離れてからも俺の心臓はドクドクと音が外に漏れるのではないかと思うくらい強く鳴っていた。

 ドアの傍にある手摺に捉まって胸を押さえていたら、座っていたお婆さんに心配されて声を掛けられ、お婆さんが降りる駅が来るまで延々と孫の話をされてしまったが、お陰で少し落ち着くことが出来た。


 家の近くの駅に着く頃には心臓もだいぶ落ち着いていたが、落ち着くと先程の行動が何だったのかと妙に腹立たしく思えてきた。


(俺は何故逃げたんだ……逃げた?)


 足を止め、無意識の内に呟いた言葉を反芻していた。


(逃げた……?)


(何故「逃げた」と思ったんだ……?)


(そうか……俺は英紀や汐里から……「逃げて」いたの……か?)


 自分で「逃げた」と認める事で、胸のもやもやこそ晴れはしなかったものの、何となくすっと落ちるものがあった。




 部屋に着いて仕事と兼用にしているパソコンの前に座った。

 目の前にスマホを置いていた。


(逃げた……俺は……逃げていた……)


 何度も口の中で呟いた。

 『何から』逃げていたのかを探るように。


(英紀から逃げていた……汐里から逃げていた……)


 頭の中によく見る『夢』が浮かんでいた。


(昔話した事……ただそれだけ……)


 『夢』に出て来る英紀と汐里が口にしていたのは、昔俺と実際に交わしたどうでもいいようなくだらない会話がほとんどだった。




(現実?)




 英紀と話をした事も、汐里と話をした事も、全て『現実』にあった事だ。

 どれも明確な記憶がある会話で、俺の『夢』の中で生み出されたものじゃない。




(俺は……『現実』から逃げていた……のか?)




 英紀と仲が良かった『現実』……汐里と仲が良かった『現実』……2人と仲が良かった『現実』……2人が結婚した『現実』……そして何年も経っているのにそこから逃げられない『現実』……。


 逃げられるわけがない……全て『現実』なのだから。








 俺は目の前のスマホを手に取り、電話を鳴らした。




「もしもし……英紀?」




『久し振り……祐也……』




 3年振りに聞いた幼馴染の声は涙声だった。

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