第5話
それから数日後。
夏めく王宮に、季節を告げる大礼拝の日がやってきた。
大礼拝とは、その名の通り、神官や人形姫の離宮に仕える使用人たちが神殿に勢揃いして、女神アデュレリアさまに祈りを捧げる日だ。季節の変わり目に定期的に行われるもので、この日の前後は祈りのために訪れた神官たちで神殿も賑やかになる。今回は夏の大礼拝と呼ばれる式典だった。
人形姫である私が公の場に姿を現すことはないが、大礼拝の段取りに合わせて、私もひとり、礼拝堂の中で祈りを捧げるのが通例だ。
そして私は、この大礼拝を利用して、ある計画を立てていた。
それは、神官に扮して大礼拝に紛れ込み、レイヴェルと接触するというものだ。
お兄さまと離宮の書庫を訪ねて以来、私はレイヴェルの姿を見ていない。お兄さまが彼の居場所を教えてくれたのはあのいちどきりで「人形姫が祈りの場所以外に足を踏み入れるのは感心しないな」と注意されてしまったので、もうお兄さまを頼ることはできないのだ。
私のそばにはマリーが常に付き従っていることもあり、堂々とレイヴェルを探しに行くことができない状況が続いていた。
このままいたずらに時を消費するわけにはいかない。災厄を引き止めるためには、レイヴェルの行動をきちんと把握しておく必要がある。彼と距離を置いたままのこの状況は、非常にまずい。
そこで、お兄さまとマリーの目が離れる大礼拝の日に目をつけたのだ。レイヴェルは人形姫に仕えているだけあって信心深いひとだから、ここでならきっと彼に会うことができる。
やり直し前に礼拝堂と私室を繋ぐ隠し扉を見つけてあるので、抜け出すこと自体はそう難しくないだろう。
……今日はもっとレイヴェルと話ができたらいいのだけれど。
姿見を覗き込めば、純白の衣装を纏った人形姫の姿が映り込む。
腰まである長い白銀の髪は、今はゆったりと結い上げられている。髪とドレスの首もとには小さな氷長石を連ねた飾りがあしらわれており、ちょっと頭を傾けるだけでも神秘的な光を反射するのだ。襟ぐりの開いた真っ白なドレスには銀の刺繍が施され、慎ましやかな花嫁衣装にも見える。
これが、人形姫の正装だった。普段はもうすこし楽な衣装を纏っているだけに、背筋がぴんと伸びるような気持ちだ。
目が見えるようになってから正装姿になったのは初めてのことで、鏡の中の私が思ったよりも人形姫らしく成長していることに驚いてしまった。
なんとはなしに、鏡の中の人形姫と指先を触れあわせる。
鏡面は氷のように冷たかった。緋の瞳は、どことなく物憂げだ。
……私は、人形姫。きちんと使命を果たさなくちゃ。
胸に沸き起こりそうになる「コーデリア」としての感情を抑え込み、視線を逸らしてクローゼットへ歩み寄った。
クローゼットの中には、人形姫のドレスの他に、女性神官用の衣装も用意されている。人目に晒されるような場所への移動を余儀なくされた際に、神官に扮して人形姫と悟られないようにするためらしいが、いちども袖を通したことはなかった。
……でも、ここにきてようやく役に立つわね。
礼拝堂から抜け出したあとは、この衣装に着替える算段だ。構造を確認してみたところ、襟の詰まった白いワンピースを纏い、ベールをかぶるだけのようだったので、ひとりでも十分に着替えられそうだった。特徴的なこの銀の髪も、ベールで隠すことができるはずだ。
私室の扉がノックされ、礼拝堂付きの侍女であるクロエが入室してくる。普段はマリーが付き添ってくれるが、大礼拝のような宗教的行事のときは、神官であり侍女でもある彼女が礼拝堂の入り口まで私についてきてくれるのだ。
「クロエ、久しぶりね」
女性神官の服と分厚いベールをまとっているせいで、彼女の特徴はまるでわからない。私より背の高い、すらりとした女性だった。
せっかく目が見えるようになったのだから、彼女の顔も見てみたいと思うけれど、神官の女性の顔を無闇に見ようとするのは無礼に当たる。
「人形姫さま、女神さまの奇跡で光を取り戻されたと伺いました。これからは、その緋の瞳で私たちをお導きください」
神官らしく余計な感情を覗かせない声だが、とても美しい響きだった。澄んだ水のせせらぎを思わせる、落ち着いた雰囲気だ。目が見えないころは、彼女の綺麗な声に密かに癒されていたものだった。
ちなみに彼女は神官長の派閥の人間らしく、決して私のことを名前で呼ばない。あくまでも人形姫として尊重してくれているのだ。
だから私も、人形姫の域を過ぎた言葉をかけるわけにはいかなかった。それらしく微笑んで、静かに彼女に歩み寄る。
その際に、さりげなく神官服の構造を確認するのを忘れない。腰もとで結ばれているリボンの結い方だけ覚えて、すぐに視線を伏せた。やはり、ひとりでも問題なく着られそうだ。
やがてクロエは慎ましく礼をして告げた。
「人形姫さま、参りましょう。まもなく大礼拝の時間です」
「ええ」
背筋を伸ばして礼拝堂への一歩を踏み出す。
誰にも内緒の計画を抱えているせいか、いつもよりほんのすこしだけ、鼓動が早まっていた。
神殿の鐘が、重苦しく空気を震わせている。厳かなその音は、皆が祈りを捧げている最中である証だ。
王宮と離宮の敷地に隣接しているこの神殿は、国内で最も神聖とされている場所だ。
離宮と繋がっている礼拝堂から歩いていける距離にあるものの、ここに来るときはいつもすこし緊張してしまう。それくらい、格式高い場所だった。
早々に礼拝堂から抜け出し、神官服に着替えた私は、神殿で行われている大礼拝の様子を伺っていた。神官たちは祭壇のある大広間で指を組んで祈りを捧げており、私はそれを開け放たれた扉の影から観察しているところだった。
女性は私と同じようにベールを深く被っているので個人の判別はつきづらいが、男性は顔を隠していないのが幸いだった。おかげでレイヴェルを探しやすい。
良くも悪くも、彼の黒髪は目立つ。参列しているのならば、見逃すことはないはずだ。
前方から神官長や高位神官、神官たち、使用人という順で並んでいるので、彼がいるとしたら、おそらくは広間の後方だろう。私が今いる扉から見える範囲にいるはずだった。
……どこにいるのかしら。
広間の様子を伺いながらも、厳かな大礼拝の雰囲気に気圧される。鐘の音に合わせて数百人の神官たちが祈りの言葉を唱えているため、神殿の空気はびりびりと痺れるような揺らぎようだった。
目を凝らしてじっくりと観察するも、黒髪の青年は見当たらない。レイヴェルくらいの身長があればそれだけで目立ちそうなものなのに、何度確かめても彼らしき姿が見えないのだ。
……ひょっとして、大礼拝には来ていないのかしら。
人形姫の離宮に仕える者ならば必ず参加していると思ったのに、どうやらあてが外れてしまったようだ。
大広間に彼の姿が見えない以上、長居する理由もなかった。誰かに正体を見破られても困る。一旦仕切り直すつもりで大広間から離れ、中庭を望める連絡通路に躍り出た。
今日は見渡す限りの快晴で、鮮やかな青が空いっぱいに広がっている。日差しは眩しいくらいの強さで、思わず目を眇めた。
中庭の芝生は夏らしく青々としており、爽やかな風が吹き抜けては、綺麗に整えられた生垣が風に小さく揺れていた。
その生垣の一角に、人影を認めて足を止める。神官服を纏った三人の男性が、何かを取り囲んでいるように見えたからだ。
微かに聞こえてくる笑い声は決して心地の良いものではなく、嘲笑うような、冷たく乾いたものだった。
不穏な気配を感じて、思わず連絡通路を飛び出して神官たちの方へ歩み寄った。
彼らは私に気づくことなく、げらげらと品のない笑い声を上げている。
神官の中には、貴族の次男や三男が本人の意思に反して実家から送り込まれている場合もあるようで、そういった者たちの素行が悪いと度々神官長が嘆いていた。
ここにいる彼らも、その類の人間なのだろうか。
「おい、なんとか言えよ。なんでお前のような忌み子がこの神聖な神殿にいるんだ?」
「魔女の子なんだから、火をつけて浄化してやろうか。な?」
投げかけられる酷い罵声と、彼らの足もとで力なくうなだれる青年。
風に揺れる黒髪と、夜闇のような黒い衣装を認めて、はっとした。
「……レイヴェル?」
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