人妖の境目

 妖怪。


 ざっくり言えば伝承により生まれた存在だ。理解できない何かを理解しようとして名付けられた存在。不思議な力を持つ非常識な存在。悪い子は鬼に食べられちゃうとか、そんな子供の戒めに使われる存在。


 かつてはそう言った物語が多く存在し、現在でもゲームやアニメや漫画でネタにされる。妖怪という名前自体は浸透しているが、妖怪の存在を信じる人間はまずいない。妖怪は非現実的・非科学的だから。それが、普通の反応だ。


 だけど、私の左腕は確かに存在してそこには視覚まである。現実にあるそれを否定はできない。科学とは現象を証明すること。在ることを否定することこそ、非科学的だ。


 妖怪は、いる。私自身が、その証明。そして、黒崎先生もその妖怪だという。


 その事実を認めるのに、かなりかかった。その間私はぶつぶつとありえないとかでもとか言い続け、黒崎先生はそれをずっと見ていた。私の反応が普通なのか、どこか優しい目で。


「……妖怪。先生も、私も、妖怪」


 その言葉を紡ぎだすと同時に、いろいろなものが壊れた気がした。人間として生活してきた十数年間。人間と思って生きてきた時間。それがひび割れて消えていく錯覚を感じる。


「そうだ。白石さんは人間じゃない。正確には人間と妖怪の境目にいる」

「境目?」

「先祖返り系の妖怪にはままあることなんだけど、人の心を捨てきれないまま妖怪の力に目覚めてしまった状態だ」


 言っていることが分からない。


「妖怪はそれぞれ固有の行動原理が存在する。ある種の鬼は暴力的かつ力重視な思考になる。天狗は人を見下す。闇夜で人を脅かす妖怪はその行動に快楽を感じる。人間が抱くには無理がある精神性。妖怪は肉体と行動原理が一体化しているんだ」

「こうどう、げんり」

「だけど人間から妖怪になった存在は、その変化についていけないことがある。人の心を持ちながら、肉体だけが妖怪となる。その結果、目覚めた妖怪の精神と元の人間の精神がせめぎ合うことになる」


 言われて、少しわかってきた。


 白石瞳わたしの中にいる、百々目鬼ワタシ人間わたし妖怪ワタシ。いじめから解放されたい気持ちと、イジメた相手に復讐したい気持ち。確かにその二つが私の中にある。


 ざまあみろ。そうやって復讐したつもりになってもいじめから逃げられずに苦しむ人間。


 ざまあみろ。そうやって復讐して嗤い、未だに相手を見て粘着するように呪い続ける妖怪。


 辛いなら見なければいい。愉しいから見て不幸にすればいい。相反するのに、それが正しいと思う私がいる。


「せめぎ合うと、どうなるんですか?」

「精神が削られて、消耗する。結果として、弱い行動原理の妖怪が生まれることになる。消極的で、ただそこにいるだけの妖怪だ」

「……消耗」

「人間も妖怪も、基本異なる存在だ。競合することはない。しかし肉体は妖怪だから、人間の精神が消滅する」


 淡々と、黒崎先生は言い放つ。


 お前はもう人間じゃないと。人間に戻れないのだと。


 分かってはいたつもりでいたけど、心のどこかで目をそらしていた事実。腕に目が生えた人間なんていないのに、それでも私は人間なのだと思いたかった。


「ここまで早く妖怪化するとは思わなかった。時間をかけて少しずつ覚醒すればこんなに消耗することにはならなかったのに」


 先生が言うには、今の私がここまで苦しいのは急に妖怪になったからこんなことになったのだという。


「おそらくは白石さんが受けた、いじめが原因だろう。それが原因で人間としての精神が削られて、生存本能が活性化される形で先祖がえりを起こした。そのまま急成長して、気が付けばこうなっていたんだ」


 いじめ。


 赤石のイジメ。青木の凌辱。それにより精神が弱り、生き残ろうとするために眠っていた妖怪が目を覚ました。文字通りの意味で、百々目鬼が開眼したのだ。



 ――え?


 いま、なんていったんですか?


 とめておく? なにを? いじめの話の後で、そんなことを言われたら、かんちがい、します、よ?


「ある程度人間の精神を削らないと妖怪の精神が目覚めないから放置していたのだけど、僕が想像する以上に酷いことをされたみたいだね」


 放置。


 人間の精神を削る。


 想像する以上に。


「先生は」


 言うな。言っちゃダメ。勘違いだ。気付かないふりをして、我慢しないと。だってそれの答えを聞いたら――


「私がイジメられたことを、知っていたんですか?」


 言ってしまった。


「ああ、知っていた」


 聞いてしまった。


「知っていて、何もしてくれなかったんですか?」


 さらに言ってしまった。


「白石さんが妖怪の先祖を持つことを知っていたから、ある程度は人間の精神を削っておく必要があったからね」


 人ではない存在は、そう言った。


「この世代の人間達にはよくあることだと放置していたけど、どうやら想像以上に白石さんは粘着されていたみたいだ。そのせいもあってか精神の摩耗と肉体の覚醒は想像以上に進んだ。まさか開眼と同時に相手の目を盗むことも覚えるとは。

 だが急成長しすぎた。本来はもう少し時間をかけて人間の精神を摩耗させて、妖怪にしたかったんだけど」


 この妖怪の目的は、私を妖怪にすることだった。


 そのために、イジメられている私を助けなかった。イジメられていると知りながら、それを良しとしたのだ。


「妖怪の力を使って復讐に走っていたようなのでそのまま鬼の心に飲み込まれると思ったが、人間として受けた心の傷の痛みの方が勝ったとはな。まあ仕方ない。肉体覚醒が早まったことを喜ぼう」

「何で……! なんで知ってたのに助けてくれなかったんですか!」


 私は目の前の人でなしに向かって叫ぶ。


 嗚呼、理解している。この妖怪は人間なんてどうでもいい事を。人間じゃないから、人間の事なんてどうでもいいのだと。


「今更それを聞くのかい? 白石さんをきちんとした妖怪にするためだよ」

「私は、人間……です!」


 叫ぶ。それだけは譲りたくないとばかりに。この人でなしの言葉が全部正しいと分かっていても、それでもこれだけは譲れないと自分を抱くようにして叫んだ。


「私は、人間、なんです……!」


 嗚咽。顔にある目に涙を浮かべ、縋るように言葉を放つ。


 この涙が人間の証明で、でもこの涙を流すの瞳はたった二つだけ。腕にある無数の目は、涙を流さない。冷たくそんな私を見ている。


 人間と妖怪の境目。だけどそのほとんどが、妖怪であることを示すように。


「今はまだ、ね。腕を隠せば人間社会の中で生きていける。

 だけどそのままだと辛いだけだよ。人間の精神は想像以上に弱っているからね。妖怪に染まってしまえば、心の傷の痛みは感じなくなる」


 傷の痛み。


 その言葉に、私の叫びは止まる。望んていたこと。終わらない痛みから解放されて、晴れやかになれる。イジメられる夢はもう見ることはない。イジメられた過去に苦しむことはない。


 ただ、あいつらを呪い続けて喜ぶだけの未来。


「白石さん。先生は妖怪だ。君の味方だ」


 その声が、私の心に染み入る。


「仲間が苦しんでいるのなら、助けてやるのは当然だ」


 保健室の先生は、私の傷を癒してくれると言ってくれた。


 分かっている。


 この人は白石瞳わたしを助けなかった人だ。


 助けたいのは百々目鬼ワタシなのだ。


 そうだと分かっているのに――


「本当に、もう苦しまなくていいんですか?」


 すがってしまう。救いを求めてしまう。


 赤川から、青木から、あいつらから逃れたくて。この苦しみから解放されたくて。


「ああ、そのための手助けをしよう。もう苦しまなくていい。

 その弱さこそ、人間の証。白石さんは頑張った。最後の最後まで、人間だったよ」


 優しい言葉。それが私の最後の抵抗を優しく取り除く。


 人でなしは優しく微笑むのだと理解しながら、私の心は墜ちていく。


 違う。


 本来の私に覚醒していくのだ――

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