エピローグ、推しがあまりにも尊すぎたので、自分の彼女に愛を囁いてみた

「んー、終わったねえ」


「そうだな」


 文化祭が終わった。


 二人で屋上に出て、同じ空気を浴びていた。 

 俺は何もしていないはずなのになぜか達成感があった。

 彼女の感情が伝わってきたのかもしれない。


「どうだった? 今年の文化祭は」


「過去一番楽しかった。これまでの人生のいろんなイベントよりも絶対今日が一番楽しかった。断言できる」


「そうか。よかった」


「悠くんがいたからだよ?」


 素直な彼女のまなざしを受け、照れてしまう。

 彼女はそんな俺を見てクスッと笑っていた。

 

 屋上に来るのはあの日、一年ぶりに葵と話すことになった日以来だ。

 それ以降いろんなことがあった。


 そして当時には考えもしなかったような関係で葵とまた屋上に立っている。

 少し離れていた葵が肩が触れ合うほど近くに近寄ってくる。


「突然ですが、問題です」


「本当に突然だな」


「私と悠くんが初めて出会ったのは、いつのことでしょう」


 それはあまりにも簡単な問題だった。

 俺が葵との出会いを忘れるはずがない。


「小学校一年生の時。入学式前に、桜並木の下で君を見かけた。その時から葵は美しかった」


「ぶぶー」


「……なに?」


 そんなはずはない。

 間違いなく俺たちはあの桜並木の下で出会っている。

 それは間違いないはずだ。


「私たちはもっと前に出会っています」


「……いつ?」


「幼稚園の時」


 衝撃だった。

 なぜ俺は覚えていないのか。


「私ね、幼稚園の時に家を引っ越したの。卒園間近のタイミングで。だから引っ越して幼稚園に入ったときに私の居場所なんてなかった。すごく浮いてたの」


 今の彼女からは考えられないような話だ。

 葵に友達は多い。


「それでね、たぶんみんな話しかけないから誰も話しかけないでおこうっていう空気が出来上がっていたの。幼稚園児ながらにそれを感じてた。すごい寂しかった。でもそんな空気の中、そんなことお構いなしに話しかけてくる男の子が一人いたのです」


「それが……俺か?」


「そういうこと」


 なぜそんな大事な出会いを忘れていたのか。

 どうして彼女はそんな前のことを覚えているのか。


「すごく頼もしかった。すごくかっこよく見えたの覚えてる。で、そんな君を見て私も頑張ろうと思えたわけです。そこからかな、積極的に周りの子に話しかけるようになったの。だから今の私があるのは君のおかげでもある……かもしれない」


「…………」


「悠くん?」


「よし分かった。ちょっと3回程飛び降りる。待っててくれ」


「だめだめだめ。一回で死んじゃうから、待ってても一生帰ってこないじゃん!」


 本気で柵を超えようとする俺の体を必死で押さえつける葵。

 ショックだった。


 推しを公言しておきながら、世界一大切な推しとの出会いすら覚えていなかった。

 あまつさえ出会いではない記憶を俺はずっと勘違いしていたわけだ。


 少なくとも一回くらい飛び降りないと割に合わない。

 しばらく本気で彼女と攻防を繰り返し、何とか俺はその場に踏みとどまることができた。


「はあ……はあ……、本気で飛び越えようとしないでよ。目の前で飛び降りられたら、私トラウマどころじゃないよ。後追いしちゃうレベルだよ」


 二人して隣り合って柵にもたれるようにして座っている。

 二人とも息が上がっている。


「……でもどうして急にそれを?」


「んー? 君は私のことをよく知ってくれてるし話してくれるでしょ? 私も君の知らない君のこと知ってるんだよって、自慢したくなったのかも」


「そうなのか」


「それにね、あの日私はここで君に驚かされた。だから今度は私が驚かせる。仕返しなのです」


 ニコッと笑いながらこちらに顔を向ける葵。

 ちょうど夕日に照らされた彼女の姿は、あの日と変わらず美しかった。


 あの日のようなはかなげな雰囲気はない。

 むしろまとっているのは柔らかく甘い空気だ。

 そんな彼女を夕日が差すことで、笑顔の温かみが強調されている。


 思わず見とれてしまっていた。彼女の顔をじっと見つめていた。

 だから葵の顔が眼前まで迫ってきていても反応することができなかった。


 かすかにだが、明らかに唇と唇が触れる感触。


 目を閉じることも忘れて彼女のそろったまつげを、整った鼻を、触れ合っている唇に目がいく。


 その感触は一瞬で離れ、同じように彼女の顔が離れていく。

 思わず俺は逃がさないように彼女の頬を両手で挟んでいた。


「……ふぁに」


「……今のも仕返しか?」


「ううん。したくなっただけ」


 俺は彼女の頬から手を放す。

 遅れてきたかのように鼓動が早くなり、全身が熱くなっていた。


 特に顔の熱さがすごい。

 おそらく俺の顔は目の前の葵と同じかそれ以上に赤くなっていることだろう。


「ねえ」


 息を吐きながら葵が問いかけてくる。


「私との遺伝子、後世に残してみる?」


 そして耳元でとんでもないことをささやかれてしまった。


「…………」


 俺の耳元にあった顔が目の前にきてこてんと首をかしげる。


「……まだ早いだろ」


「今のも仕返しですー」


「な!?」


 彼女はへへへと笑いながら立ち上がると数歩走って俺から離れた。

 そして振り返る。


「どう、言われた感想は?」


「……勘弁してくれ」


 やはり彼女も照れ臭いのだろう。

 俺と視線を合わせようとしない。

 しかし、明らかにしてやったりといった顔をしている。


 そして照れているのを隠すように舌を出してこっちに笑みを向ける。

 このままでは終われなかった。


 俺は静かに彼女に手招きをする。

 素直な葵はすぐに俺の近くに戻ってきてくれた。


 近寄ってきた彼女の腕を手に取ると、そのまま自分の腕の中に引き寄せる。

 そして彼女がしたように耳元で話しかける。


「君が推しでよかった。君を好きになってよかった。ありがとう。俺の近くにいてくれて」


「……ばか」


 葵が俺の胸に顔をうずめる。彼女の顔の体温が俺にまで伝わってくる。

 仕返しのつもりだった。でも言ったことは心の底からの本心だ。


 今日も俺の推しかのじょは世界一尊い。

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