三十四、走馬灯の中ですら推しに包まれる

「君を推してもいいだろうか」


 突然の宣言に目の前に立つ推桐葵が困惑したような表情を浮かべる。


 部活を行っている者たちの喧騒の中で、そんな顔をしている彼女も十分に様になっている。


「なに? 告白?」


「いや、違う……こともないか。ある意味告白だな」


 自分の口が勝手に動いているような感覚。

 彼女は俺の言葉を受けて途端に無表情に戻る。


 無感情な目でこちらを見つめてくる。

 それはこの時初めて見た彼女の顔だ。


 意外だった。彼女が感情の見えない表情を見せるのが。


 でもそんな彼女もまた美しいと思った。

 この彼女の顔はよく覚えている。


 そう、俺はこの光景を知っている。俺が言った言葉も、彼女にかけられた言葉も。


 彼女に向けられた顔も。


「普通の告白と一緒にしないでくれ。俺にとっては真剣なんだ」


「……なんだ新手の告白か。ごめんね、私にそんな気はないから」


「もちろん君をどうこうするつもりはない。君に迷惑はかけない。必ずだ。何なら俺のことは無視してくれてもいい」


 また彼女を困らせてしまう。

 彼女は必死に首をかしげて俺が言った言葉を理解しようとしてくれている。


 中学一年生の時、旧友との会話で「推し」という言葉を知った。


 そして俺に電流が走った。

 今考えれば迷惑極まりないことだが、当時の俺は何も考えずに推桐葵に抱いていた気持ちの正体を伝えたくて、彼女を呼び出した。


 そうか、これが走馬灯というやつか。


「……よくわかんないや。私もう行くね」


 考えても理解できなかったのか、困ったように眉を寄せながらそう言った彼女は俺に背を向けて公社に向かって歩き始める。


「君のファンになっても、いいだろうか!!」


 懲りずに俺は大声をあげて彼女を呼び止める。


 律儀にも彼女は足を止めてこちらに顔を向ける。


「…………勝手にしたらいいんじゃない?」


 少しの沈黙の後、少し笑いながら推桐葵はそう言い後者の中に消えていった。


 自分の頬が緩んでいるのがわかる。

 この時から、いやずっと彼女は魅力的だった。



 景色が流れていく。周りに何もなくなる。真っ白になっていく。


 最期に見れたのが彼女の姿で、よかったかもしれない。


 体が自由に動く。勝手に動くような感覚はなくなっていた。


 俺は思い切り息を吸い込んだ。

 気持ちは自然と穏やかだった。




 もう一度大きく息を吸い込む。

 甘い、柑橘系のような香りが鼻の中いっぱいに広がる。


 俺はこの匂いを知っている。好きな匂いだ。


 しかし肝心な何の匂いだったかが思い出せない。


 再度深呼吸をする。

 心地よい、心が落ち着くような、それでも鼓動は早くなるようなそんな香りがする。


 やはり俺はこの香りが好きだ。

 なんだか頭がぼんやりとしている。


「もしかして起きてる?」


 頭上から声を掛けられる。

 その声は耳にすっと入ってきて、くすぐったいような心地いいような感覚に襲われる。


 この声は考えるまでもない。

 俺の大好きな推しの声だ。


 徐々に意識がはっきりとしてくる。


「ねえ、起きてるよね?」


「ああ」


「やっぱり……」


 とりあえず返事をしてみるが、声がかすれている。


 それに何かがおかしい。

 どうして彼女の声は横からではなく、まるで頭の上から話しかけられているように聞こえるのだろう。


 感覚が戻ってくる。

 どうやらこれは現実のようだ。


 俺は別に死ぬような怪我はしていなかったらしい。


 全身は痛いから、まだ動けそうにないが。

 感覚が戻ってきてから違和感を覚える。


 後頭部が何やら生暖かい。それに柔らかい。

 頭を少し動かして感覚が正常か確かめる。


「んっ……。こら、動いちゃダメでしょ」


 額に暖かい感覚が襲ってくる。

 俺はそこで初めてようやく目を開いた。


「大丈夫そう?」


「ああ、問題ない」


「声は全然大丈夫そうじゃないけど」


 心配そうな彼女の目が俺を見下ろしていた。


 ……見下ろしている。

 彼女の顔が真上にある。


 そして真横には彼女の上半身が見える。


「ここは……」


「私の家。の玄関。君を引きずってきたんだけど、さすがにここでギブアップしちゃった」


 推桐葵は照れ臭そうに笑う。

 そんな彼女の顔を見て俺の意識は完全に覚醒する。


 もしかしてこれは……!


「だから動いちゃダメだって!」


 俺は思わず顔を上げようとしたが、すぐに彼女に両頬を手で押さえつけられ、元の位置に戻される。


 彼女の顔をよく見ると、頬も耳も真っ赤になっている。


 そして俺は完全に理解した。

 これは……膝枕だ。


 あまりの衝撃に俺は再び意識が遠のいていくのを感じる。


「ちょっと悠くん!? なんで!?」


 意識を手放す直前に聞こえたのは一回目の気絶の前にも聞いた彼女の慌てたような声だった。


 だが一回目と違い、そこに悲痛さはなかった。

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