十一、推しよ、それは違う
「お二人は学生さんでしょうか?」
「そうです」
「でしたら学生証を提示していただくことで、学割料金となります」
チケット売り場にたどり着くや否やそんなことを言われて、俺と彼女は慌てて学生証を取り出すこととなった。
まあそう慌てなくても開園直後から、長蛇の列ができるような水族館ではないのだが。
後ろで誰かが待っているわけでもないのだが、こういう時焦ってしまうのは人間の性というものだろう。
そして焦っているときほど、目的のものをそう簡単に取り出すことができない。
「お二人はカップルですかね?」
「え?」
俺が学生証を財布から引っ張り出すのに手間取っているとき、係員の人がそんな質問を彼女に投げかけていた。
彼女の一瞬戸惑うような声に俺の手も一瞬止まる。
「そ、そうです」
「ですよね! そちらのベンチで仲良さそうにお話しされているのが見えたので。でしたらカップル料金でさらにお安くなりますので、割引させていただきますね」
「あ、その……」
割引があることを知っていたのか、推桐葵の予想外の返事に俺は思わず動揺してしまう。
まあ今の彼女のうろたえている様子を見るに、まさか割引されるなんて知らなかったのだろうが、そうとしたらなぜカップルかという問いに彼女は肯定したのだろうか。
ようやく取り出せた学生証を係員に渡しながら、隣に立つ彼女の気まずそうな顔が目に入る。
「すいません。俺たちはカップルじゃないので割引は」
「彼氏さんが否定したら彼女さんがかわいそうですよ。しっかりと自信持ってください」
割引を断ろうとしたらなぜか笑顔で係員さんに笑顔で遮られてしまった。
そしてしっかりと学割とカップル割引をされた値段を提示され、もう一度俺から否定することはできなさそうな無言の圧力を感じながら俺と彼女は料金を支払うこととなった。
「ごゆっくりと楽しんでください!」
満面の笑みでこちらに手を振る係員を背に俺たちは水族館の中へと歩を進める。
「こういう嘘はよくないと思うんだが」
「私もまさか割引があるなんて思わなくて……ごめん」
まあ想像通りというかやはり彼女もまさか割引されるとは思っていなかったようである。
そして今は罪悪感でもあるのかその表情は暗いものとなってしまっている。
「別に責めるつもりもないし、あの係員さんなんて言っても信じてくれなさそうだったからいいんだが、そもそも単純な疑問としてどうしてカップルだなんて言ったんだ?」
「え!? それは……」
口ごもる彼女。
ここでさらに言葉を続けても彼女も困るだけだろう。
ここはいったん返事をするのは待つことにしよう。
そんなことを考えながらもゆっくりと歩みを進める。
「ほ、ほら、一応デートの予習としてきているわけでしょ? 予習なんだからカップルとしてふるまうのが普通かなって……」
「なるほど……」
確かに言われてみればこれはデートの予習としてきているんだった。
そう考えれば彼女が言っていることも一理あるのかもしれない。
まあこちらから否定しようとしても係員は信じてくれなかったわけだし、これ以上このことを話す必要はないだろう。
だますようで申し訳ないがラッキーくらいの気持ちで切り替えることにしよう。
「それにしても意外だったな」
「え?」
「まさか俺と君がカップルに見えるなんて」
「どういう意味?」
「考えるまでもなく、明らかに君の相手が俺なんてそれは不釣り合いだというものだろう。カップルにみられることはないと思っていたよ」
「それは君が私のことを美化しすぎているのよ」
「そんなことはない」
確かに主観的に見れば推桐葵は俺の推しなわけだから、多少なりとも美化している部分があるだろう。
しかし客観的に見たとしても彼女は容姿端麗で、とてもじゃないが俺が隣に立つにはいろいろと足りない部分が多すぎる。
「そんなことあるの」
彼女はなおもそれを認めようとしない。
しかしいくら推しとはいえ俺にも譲れないところがあるのだ。
「わかった。そこまで言うのであれば今入ってきたあの男女に聞いてみよう」
「え、何を?」
「君がいかに美しいかということを、周りも俺と同じことを思っているということを証明するために聞きに行くんだ」
「ちょっ!? そんなことしなくていいから!」
「いや君は君自身の美しさを認識する必要がある!」
「分かったから! 分かったからストップ!」
俺が口で言っても信じてくれないのであれば、赤の他人の言葉をもって信じさせるしかないと思い、今しがたちょうど水族館に入ってきた男女に聞きに行こうとしたら、なぜか彼女に全力で腕をつかまれて止められた。
「どうして君はそうやってたまに頭のねじが吹っ飛ぶのよ」
「俺は自分の推しがいかに素晴らしいかを証明するために行動しようとしただけだ。なにもおかしいことはしていない」
「わかった。認めるから、これ以上恥ずかしい思いをさせないで」
「そんな投げやりになられても困る。その口ぶりはわかっていないときの口調だ」
「ああもう下手に私のこと理解しているからめんどくさい! いいから行こ!」
何とか彼女に彼女自身がいかに見麗しく美しく可愛らしいかを知らしめようとする俺の行動を邪魔するように、彼女は両腕で俺の腕をつかみ水族館の中へと引きずるようにして引っ張られてしまった。
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