三章 1.桜祭

百々津の北山公園では、さくら祭に沢山の花見客で賑わっている。

展望広場には、沢山の屋台が連なっている。

昼間は、家族連れが、桜の木の下に茣蓙を敷き、弁当を広げて花見をしている。

夜は、雪洞を模した街灯の下で背広姿の人が夜桜の酒宴を催している。


努は一人で映画を観ている。

今年の春休みは、休館日以外、毎日、図書館で受験勉強をしている。

図書館からの帰り道、映画館の前で、フミさんが待っている。

フミさんに付いて映画館に入った。


二階の長椅子席に着くと、すぐに話を始めた。

「偶然、見付けたんです」

その時の興奮が甦った。

青木邸の門に揚羽蝶の家紋の金具を見付けて元町長を訪ねた。

元町長の庄原日記という古文書に揚羽蝶の指輪について由来が記述されているらしい。

後日、元町長に庄原日記を返した時、米原久市を訪ねるように助言せれた。

さらに、元町長から寺井海運の以前の看板に揚羽蝶の紋が描かれていた事を聞いた。


寺井海運を訪ねて、寺井美弥社長に確認すると揚羽蝶の指輪を持っていた。

庄原の米原久市を訪ねると庄原日記には揚羽蝶の指輪は三本あると記述されている事が分かった。

「そこまででいいわ。それ以上は、もう止めておきましょう」

フミさんは、何故か不安な様子だった。

「せっかく、一つ見つかったし、米原さんを訪ねて、庄原日記に書いてある指輪の事、聞いてみます」

「でも、絶対に危ない事をしちゃだめよ。いい?分かった?」

フミさんは、小さな男の子を諭すように云い残して映画館を出て行った。


暫く映画を観ていた。

急に館内が騒がしくなった。

入場客が何人も出入りして喋っている。

「火事やな」「そうやな」「栄通の方やな」

何人か話しているのを聞くと、栄通の何処かが火事らしい。

だが、誰も慌てて逃げだしている様子はない。

映画館から出た。

栄通方面へを見た。

消防署のサイレンが鳴り響いた。

火事が起こったのは間違いない。

東へ駆けて行く人、西に歩く人で、行き交っている。

努は駅の方面へ向かった。


途中で、火事の方へ向かう人、逆に帰る人の会話が聞こえた。

「宮田材木や」「火事になっとるんや」

工場の三叉路辺りから、南の空が赤く揺らいで見えている。

桃川橋の袂まで来ると火の粉が飛んできた。


桃川の川沿いに宮田製材所がある。

向こう岸の川沿いでは、沢山の人が製材所を見守っている。

あっ。あれは、確か古沢町議だ。

吉井と一緒に学校から帰宅している時に、吉井を呼び止めて立ち話をしていた人だ。

古沢町議が川向こうにいる。

火事を見守る沢山の人を避けて道縁を火事と反対方向へ急いでいる。

桃川橋は、通行止めになっていたので火事の現場に近づく事はできない。

古沢町議は、そのまま北堀の方へ急いで行ってしまった。


努は、火事の現場に目を戻した。

「火事や」努は見たまま呟いた。

「そやなぁ。すっごいなあ」

すぐ隣で、努に応えるように声がした。

「えっ?」隣に坂口社長が立っていた。

青木元町長の屋敷を訪問した時、秋山の前に元町長を訪っていた人だ。二度目に会ったのは、寺井海運の事務所だった。

名乗った覚は無いが、名前を知っていた。

「秋山君やったな」

坂口社長が話しかけてきた。

「あっ。こんばんは」ぼんやりと呟いた独り言を聞かれた事が恥ずかしかった。

「わざわざ見に来たんか?」

呆れたように尋ねた。

「いえ。映画を観とったんです」正直に答えた。しかし、映画の途中に、火事の現場まで見に来たのだから、わざわざ、なのかも知れない。

「そうか」

さほど関心があるようでもなかった。

「坂口社長も見に来たんですか?」坂口社長は、何故、火事現場まで見に来たのだろう。

「まあ、そうや。青木さんを探しに来たんや」

一緒に花見をしていたのなら、探す必要は無い筈だ。

「青木さんって、元町長ですか?」元町長に何かあったのか。

「おう。そうや。見んかったか?」

それにしては、さほど心配しているようには見えない。

「はい。見てません。何かあったんですか」どこかで、行違ったのだろうと思った。

「そうや。今晩、花菱で一杯やる約束やったんや」

「一緒や無かったんですか」疑問に思っていたことを尋ねた。

「おう。儂は、会社の連中と宴会やったんや。けど、青木さんから頼まれとっての」

ちょっと方言が強いので、説明すると。

寺井海運から借りているモーターボートを九時迄に宮田製材所へ戻すように云われた。

ボートを届けるため西展望台へ向かう途中、大内医院の藤子さんと寺井海運の弥生に会い、西崖の桟橋にボートは無いと教えられた。

青木元町長が、届けに行ったのかと思っていた。

会社の宴席へ戻ると、町で火事に気付いた。

方角は宮田製材所の方だ。

青木元町長が、火事に巻き込まれていないか、心配になって見に来た。

「そうですか。さっき、古沢町議も向こう岸の土手道に居ましたよ」

「ああ、そうか。古沢は、青木さんと一緒やったな」

「青木元町長の花見、大勢いたんじゃないんですか?」

「いや。確か四人や。青木さんと版画彫っとる松田と町議の古沢やろ、それと米田や」

「随分、少ないですね」町の名士にしては、少人数だと思った。

「そやな。いつもは、大勢誘うて、花見、しよったけどな」

坂口社長は、当然のように云った。

「何かあったんですか」坂口社長は、秋山が学生だから、話をしても、あまり興味が無いと思っているのかもしれない。

「さあ。分からん。けど、少人数でも大人数でも、あんまり関係ないわな」

少人数でも、大人数でも関係ないとは、どういう事か。

「えっ」努には、訳が分からなかった。

「そりゃあ、知っとる人が、よっけおるしな。ちょっと顔出しては、また来る言うて行ったりや。そら、知っとる人は、ようけ居るやろな」

そういう事か。知り合いが多いからだ。

「儂が知っとるだけでも町議の辻さんが何人か来とったんやけど。ええっとなあ、梅本薬品の社長や。社員と一緒やったな。儂が、よう知っとんはこんくらいやけどな」

土曜日の夜なので花見に来てる人は大勢いる。

青木さんは元町長だし、知人は多い筈だ。

花見の席を設けている人たちから、声を掛けられることも多いだろう。

「秋山君は、揚羽蝶の指輪を探しとったんかのう」

坂口社長には、何も含むところが無いようだ。

「はい」正直に返事をした。

「それで思い出したんやけど、古沢がなあ。古沢が言いよったんやけど、記者がなあ、嶽下の崖から落ちて亡うなった記者やけど、揚羽蝶の指輪を持っとる女の子の写真を持っとったそうやで」

揚羽蝶の指輪を持った少女と聞くと、寺井弥生さんを思い浮かべた。

寺井海運には、揚羽蝶の指輪がある。その指輪を持った少女と云えば、弥生さんしか思い浮かばない。

亡くなった記者さんが、弥生さんの写真を持っていたのか。

記者さんは、弥生さんを探していたのか。


「えっ?古沢町議が?」古沢町議は、亡くなった雑誌記者とは、会っていない筈だ。亡くなった雑誌記者さんが、揚羽蝶の指輪を持った少女の写真を持っていたと云っているのだろうか。


火事は、まだ鎮火しそうにない。

「消えそうにないんで私はこれで帰ります」

時計を見ると午後十一時を過ぎていた。

「ああ。そうか。儂も青木さんのお宅へ行ってみるわ。そしたらあな」

努は、映画館まで戻った。

映画館の前に、殆んど人は居なかった。

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