私は真紅のドレスに身をつつみ、野天にある王城への階段を登る。陽光は厳しく、汗が額を伝う。


「お嬢様。お汗でお化粧が」


 そう言うは、王家が迎えに出した侍女。そして手に持つ絹のハンカチーフで私の額をぬぐおうとする。私はその手をむんずとつかみ止めた。


「よい」


 とだけ答えた。流れる汗にそよぐ風が心地良かったゆえだ。


(これから決まり切ったこと。退屈なことをなさねばならぬのだ。少しは楽しませろ。)


 その本音は、無論、言うを控えたが。


(しかし嫁ぐ相手が決まっておるというのは、女にとっては本当につまらぬもの)




 侍女に案内されて、王子の部屋に入る。そこには、通常はないもの。豪華な長椅子が運ばれておった。その背面上部と側面の木枠には、浮き彫りに加えて鍍金が施され、ゆえに、黄金のツル草が豪奢に舞っておった。


 ただそれ以上に、それに座られるナターシャ叔母上はお美しい。お気に入りの薄黄色のドレスを身にまとっていらっしゃる。


 私はその前にひざまずく。通常であれば、国王陛下にまずご挨拶せねばならぬ。ただ、公爵家が代々通婚するゆえに、その令嬢は、まず一族の年長者たる叔母上に挨拶するを、特例として許されておったのである。


 まずは親しき者にご機嫌伺いをということなのだろうと私は想っている。理屈っぽいことをいえば、王妃であると共に国母であるから云々となるようなのだが、まあ、どうでも良い。

 

 叔母上の差し出された指に口づけする。少しひんやりとしていた。


 その右隣に座られる王の前にひざまずく。すらりとした王である。うらやましい。そう想うのには理由があった。やはり差し出された手指にキスする。


 そして長椅子の右側に立つ王子の前へと移動しながら、チラと盗み見る。少し期待して。3ヶ月ばかり会わぬ間に背が伸びておらぬかと。ダメだった。やはり私より小さい。チンチクリンのままだ。


 私はひざまずく。王子の私へのプロポーズの言葉が聞こえた。決まり文句に違いない。聞く気も失せるというもの。声が止まった。返事をせねば。そう想うと共に声となって出ていた。


「よい」


(しまった)


 余りにも注意散漫になっておったせいだ。かような返事は、身分が下の者にするものであり、正直、叱られても、いや怒鳴られたとしても、仕方のないものであった。


 私は取りつくろうために顔を上げて、王子の眼を見つめて、にっこりと微笑んでみせた。こんなことをするのは初めてだった。


 すると、相手のひとみが大きくなった。その反応が私を強くひきつけた。


(なに?)


 そもそも、こいつも一ついいところはあった。他は並みであったけど。神様はえこひいきして、公爵家の令嬢ばかりに美しさを振り分けたが、少しばかりはおこぼれに預かるを得た訳だ。もっとも、ナターシャ叔母上の子であることを想えば、神様が吝嗇であることに変わりはないとはいえ。

 

 いずれにしろ、その漆黒の眼は美しく、しかも野性味をたたえておる。私のお気に入りでもあった。今夜、こいつに抱かれる時、それだけを見ていよう。今、そう決めた。


 ただ私の決断をよそに、王子は自らの顔を弛緩させた。いわゆる、とろんとした顔となったのだ。こいつ、面白いな。そう想ったのも、また、初めてだった。こんなに反応するのか。


 私は今まで自らの心の内の変化――その流れや移ろい、混ざり合い――に主な関心を置いて来た。それが私の楽しみであったし、こう言って良ければ、悦楽であった。それは、まさにその千変万化のゆえ。


 ただ他人もそうだとは想い至らなかった。いや、そう言うのは正しくないだろう。仮にそうであるとしても、それは他人の内で勝手に千変万化するに過ぎぬ。


 しかし、こいつは私の表情や仕草にこうも反応してくれる。その得られた反応により、今、まさに私の心は変化した。それを、更に表情や仕草や言葉として、こいつに返す。そしてこいつからはまた反応が。


 それを重ねれば重ねるほど。どうなるのだろう。


 フフ。


 私は想わず笑みを浮かべていた。ゆえに再び下を向かなければならなかった。ただそれを王にめざとく見つけられたようで、


「ヴィクトリアは今日は機嫌がいいらしい」


 王は私の笑みが移ったのかニヤついており、また姪が不首尾をなしたと想われたのだろう、ナターシャ叔母上が次の如くにその場を取り仕切られた。


「当然ですわ。我らの子がプロポーズしたのですもの。そして確かに我が姪たるヴィクトリアはそれを受けた。我らは証人として、今、ここにその結婚の成立を認める」




 その夜、私は美しき獣の眼を見つめつつ痛みに耐え、どうにか初夜を終えるを得た。

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