《Conclusion》××しやがれでございます、お嬢様

 ガラガラと馬車の車輪が景気よく回る。しかし座席まで伝わってくる振動はわずかだ。その辺りはさすが公爵家令嬢が乗る馬車といった所か。


 ──まぁ、その馬車に公爵家令嬢が乗っていること自体は稀なんだけども。


 皇宮から離宮へ向かう馬車に揺られながら、カレンは一人、そんなことを思っていた。


 馬車の中にいるのはカレン一人だけだった。ついひと月ほど前までカレンの外出先に同行することを義務付けられていた押しかけ執事の姿はない。馬車の中にないどころか、今頃はアルマリエ領内にもないことだろう。


 ──クォード、今頃どこにいるのかな……。一度カルセドア王城の跡地を見て気持ちにケリをつけたいって言ってたから、アルマリエから東に抜けて……今頃はレンフィールドか、うまく行けばジャイナ辺りまで抜けられたかも……


 馬車の小窓から流れ行く外の景色を見つめ、カレンは一人ぼんやりと考えにふける。


 そんなカレンの脳裏に浮かんでいたのは、クォードの出立を見送ったひと月前の光景だった。


『世話んなったな、引き籠り娘』


 クォードへの恩赦は『「ルーツ」上級幹部の捕縛及び組織内機密情報の提供への功績』という名目で出されたそうだ。一連の事件が片付いた後、クォードは改めて『ルーツ』に関して自分が知っていることを洗いざらい話したそうで、その情報を元に『ルーツ』関係者の捕縛は粛々と進んでいるらしい。今回の一件も含めて『ルーツ』へ与えた打撃は相当大きかったらしく、クォードへの恩赦は妥当なものとして処理されたそうだ。


『今から思えば、テメェに仕えてた日々は、そんなに悪いもんじゃなかったな』


 燕尾服を脱ぎ、旅装に姿を改めたクォードは、酷く見慣れなかった。思えばカレンはクォードの燕尾服姿しか見たことがなかったのだから、当然と言えば当然だろう。


 そんな気の抜けた感想を抱いていたのが、カレンの顔に出ていたのかもしれない。


『立派な女皇になりやがりくださいませ、お嬢様』


 最後にクォードは手袋をしていない手でポンポンとカレンの頭を撫でていった。直接触れた手はやっぱり硬くて、大きくて……思っていた以上に、温かかった。


 ──あれがもう、ひと月も前の話なんだ……


 そのひと月の間を、カレンは皇宮で過ごしていた。理由は単純で、離宮に住めなくなっていたからである。


 ──むしろひと月で終わって良かった……! 最悪の場合はまるっと建て替えになるって聞いてたから……!!


 クォードがアルマリエをった日は、カレンが皇宮へ緊急転居をした日でもあった。だから余計にカレンはその時のことを鮮明に覚えている。


 ──クォードには最後の最後まで執事の仕事させちゃったな……。自分の旅支度をしながらジョナの一件の残務処理もして、さらに私の引っ越しの手配までするって、どう考えても大変だったと思うんだよね……。


 カレンの本気とセダの半分くらい本気の魔力がぶつかり、ジョナが暴れクォードが魔銃をぶっ放し、さらにはルーシェが力を振るったダンスホールはもはや壊滅状態だった。あの部屋だけではなく、戦った諸々の余波で離宮の建物全体に被害が及んでいたらしい。強大な魔力がぶつかりあったせいで魔力の力場も相当歪んでしまっていたそうで、抜本的な大規模修理のためにカレン達離宮の住人には一時的な緊急転居命令が出された。力場が歪んだ状態は大変危険なものであるし、そうでなくても離宮は一部が倒壊寸前だったそうで、事件が終局を迎えた数日後、バタバタした状態が落ち着くよりも早くカレンは皇宮に転がり込むことになった。


 ──まぁ、クォードは表向きには死刑が執行されてた人間であるわけだし、あの混乱に乗じて姿を消した方が、色々都合が良かったのかもしれないけれど。


 それにしても、今回の離宮の改修費は一体誰の負担となるのだろう。大部分を破壊したのはセダであるわけだが、根本的な原因は『ルーツ』にあるし、離宮の今の所有者はカレンである。離宮の改修が必要になったのはセダが暴れたせいだと判断されればセダの私財、『ルーツ』のせいだとされれば公費、維持必要経費と判断されればカレンの負担と判定されそうな気がする。


 ──あのダンスホール、国宝みたいな扱いされてたような気がするんだよなぁ……


 ルーシェ自身が以前カレンを皇宮に呼び出すために離宮の一部を爆破しているから、破壊したこと自体に関してのお咎めはないはずだ。ただ改修に掛かったであろう費用のことを思うとカレンの瞳ははるか遠くを見つめてしまう。


 ──どうか、私の負担になりませんように。


 そのことを、カレンは切実に願う。


 あの煌びやかな空間を取り戻すには、相応の費用が掛かると思うので。


 そんなこんなと考えているうちに、カレンが乗る馬車は離宮の玄関前で止まった。御者が開けてくれたドアをくぐって馬車を降り、カレンは改修された離宮を感慨深く見上げる。


 ──特に変わったって感じはしないな。


 建て替えではなく必要部分の改修工事だけで済んだのだから、それもある意味当然か。点検のついでに掃除もしたのか記憶にあるより若干綺麗にはなっているが、パッと見ただけでは特に何も変わっていないように思える。


 御者は馬車を片付けるために行ってしまった。従者を持たないカレンは自力で玄関ドアを開かなければならない。そのことに今までカレンは不便を感じなかったし、ドアを開けてもらえないことに特に不満も感じていなかった。


 でも、今は。


 ──このドアを開けても、クォードはいないんだよね……


 離宮の使用人達はセダが暴れ始める前に何とかルーシェが避難させてくれていた。だから一連の事件で怪我人は出なかったし、みんなこんな主に愛想を尽かすことなくひと月の休暇から帰ってきてくれたらしい。


 だから扉を開けばその先には、クォードがやってくる以前の『日常』がカレンを待っているはずだ。カレンが望んでいた日常……カレンに淑女の心得を押し付ける厄介な執事なんていない、省エネと静寂に満たされた、充実した引き籠もりの日々が。


 ──だから、こんなモヤモヤ吹っ切って、早く日常に戻らなきゃ。


 カレンはプルプルと頭を振ると、チラチラと脳裏をよぎるクォードの姿を無理やり追い出した。触れることをためらって中途半端な位置で止めていた手を伸ばし、己の力でドアを開く。


 使用人はみんな先に離宮に入ったという話だったが、いつものごとく出迎えはなかった。カレンの記憶にある通り、ガランとした玄関ホールにカレンは足を踏み入れる。


 玄関ホールにも改修の手は入らなかったのか、玄関ホールはカレンの記憶にあるままだった。飾られた絵画も、置かれた調度品も、控えた執事の礼の角度までカレンの記憶にあるままである。


 ──って、うん? 執事?


 サラリと一回流したカレンは、思わずそのまま硬直した。


 今、自分は何と言ったか。執事? 執事なんてものはこの離宮にいないはずだ。ひと月前までここにいた押しかけ執事は、今は執事という任を解かれて異国の空の下にいるはず……


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 硬直したカレンの背後でようやくパタリと玄関ドアが閉まった。その音を合図にしたかのように、礼を取っていた執事が優雅な挙措で頭を上げる。


 漆黒の髪と同じ色の瞳。整った顔には銀縁眼鏡。ヒラリと尻尾が揺れる燕尾服は間違いなく執事のお仕着せのそれ。


「わたくし、クォード・ザラステアと申します。本日付で再びお嬢様の執事となりました」


 まさに『執事』を絵に描いたかのような青年は、冥府の魔王さえ裸足はだしで逃げ出しそうなドスの利いた笑みを浮かべていた。


『クォード……!?』


 その真っ黒な笑みをカレンが見間違えるはずがない。


 クォード・ザラステア。


 元秘密結社幹部にして元カレンの執事である青年が、まるで何事もなかったかのようにしれっと離宮の執事としてそこに立っていた。


『ナッ、何デッ!?』

「……相変わらず、文字と顔面が驚くほど一致しねぇのな、お前。もっと自前の顔でも驚けよ」


 クォードは呆れたように答えるとカレンに向かって歩を進めてきた。予想外のことに思考回路がショートしたカレンは呆然とそんなクォードを見上げることしかできない。


「実はだな、アルマリエを発った後、女皇からこんな文章を送り付けられた」


 クォードは押しかけてきたあの日のように懐から書面を引っ張り出す。ひとまず諸々の感情を押し込めて目をすがめて書面を見つめれば、確かにそこには見慣れた伯母の筆跡が躍っていた。


 が。


『借用書ォッ!?』


 その踊る文字の意味を理解した瞬間、カレンは思わず素っ頓狂な文字を上げた。


 ──え? どういうこと? 借用書ってことはつまり、クォードが伯母様から借金してるってこと?


 カレンは思わず文章を読み飛ばし、書面のちょうど中央辺りに記載された金額に目を向けた。ひい、ふう、みい、と一桁ずつゼロの数を数えてみるが、何回数えても途中から数えられなくなって最初に逆戻りしてしまう。借用者をクォード・ザラステアとして発行された『借用書』には、それくらい……公爵家令嬢として育ったカレンでさえ目が飛び出そうな金額が堂々と記載されていた。


「『離宮が破壊された一連の件の根本を正せば、その原因はお前にある。よって離宮の改修費と賠償金支払いを命ずる』……だとよ」


 ドスの利いた声で読み上げ、ニコリと笑ってみせたクォードは、次の瞬間憤怒の表情とともに借用書をクシャクシャに丸めて足元に叩き付けた。だが今回の借用書には絶対に破損できない呪いでもかけられているのか、借用書はまたたく間にピンと元に戻り、まるで生きているかのようにクォードの足をよじ登って勝手にクォードの懐に戻ろうとする。


「なんっでそうなるんだよっ!? 原因を作ったのはジョナであって俺じゃねぇし、改修部分の大半は『東の賢者セダカルツァーニ』が暴れたせいじゃねぇかっ!! なんっっっでそれを俺が一人で責任取らなきゃなんねぇんだよっ!!」


 クォードは書類がよじ登ってくる足をダンダンダンッと玄関ホールに叩きつけながら頭を掻きむしって絶叫する。その様は下手な怪奇譚よりもよっぽどホラーだ。


 ──伯母様……


 はからずも馬車の中で考えていた疑問の答えを得たカレンは、心の中でそっとクォードに向かって手を合わせた。


 この借用書がカレンに送り付けられてこなくて心底良かった。こんな金額、カレンでも返せる自信がない。……庶民で前科二犯、現在職ナシ、職務経歴書欄には『秘密結社幹部』としか書くことがないクォードは、さらに返せるアテはないと思うのだが。


『ソンナコト言ウナラ ナンデ大人シク ココニイルノ……?』


 なおも罵詈雑言を叫び続けるクォードに向かってカレンはソロリとクッションを差し出した。そんなカレンに気付いたクォードがさらに眉を跳ね上げる。


「『こんな理不尽黙ってられるかっ!!』って女皇に直訴しにわざわざ帰ってきたんだよっ!! ジャイナから転移魔法陣乗り継ぎして帰ってきたから費用だって馬鹿になんなかったんだぞっ!? だっつーのに……っ、だっつーのに……っ!!」


『改修費と賠償金という名目が嫌ならば、治療費という名目に変えてやろう。お前の命を救い、「ルーツ」のくびきから解き放ったのは、間違いなくセダであるからのぉ』


 直訴に現れたクォードは、あっさりルーシェとの謁見が叶ったらしい。


 そんなルーシェがいつものごとく、爽やかに笑って傲然と語った言葉に曰く。


『そしてセダは妾の夫。……こんな言い方は本当はしたくないのじゃが、妾が所有する魔法具、でもある。つまりお前は妾に対して多大な恩があるというわけじゃ』


 お前はその恩を忘れるような不届者なのかえ? 何? そんなことはない? ならば即刻その感謝を金子で表しておくれ? 何? 今手持ちが乏しい? 転移に使った金でほぼ手持ちが尽きた? ならば妾が稼げる良い職を斡旋してやろう。まずはそこに用意した服に着替えるが良い。……あぁ、安心おし。着替えている間は視線をらしておいてやるから。何? そんな問題ではない? では何が問題なのか、イチからキッチリ説明しておくれ?


「で! いつの間にか丸め込まれた上にこの姿でここに放り込まれてたんだよっ!!」


 嫌な予感がしたカレンはとりあえず逃げようと身を翻す。だが完全に体を反転させるよりも物騒な執事が魔銃を抜く方が早い。しかもその魔銃はリボルバー……対魔法使い用の武装魔銃だ。


 ──ちょっと待ってっ!? 今回は魔銃没収されてないのっ!?


「生憎と、今回は罪人じゃねぇんでな」


 クォード・押しかけ借金執事・ザラステアはカレンの無表情から正確に内心を読み取ると、カレンの眉間に銃口を突き付けたままニッコリと優雅に微笑んだ。


 優雅なのに真っ黒な、寒気を感じさせるあの顔で。


「というわけで、これからもよろしくしやがれでございます。お嬢様」


 有無を言わせないお言葉に、カレンはフルフルと震えながらありったけの感情をクッションに流し込む。


『コンナ執事、モウイラナ────イッ!!』




 クッションに表示された文字列は感情のほとばしりを受けてクッションを飛び出し、綺麗な青空にも表示されていたとか、いないとか。


 無言姫の平穏な引き籠りの日々は、まだまだ遠い。





【押しかけ執事と無言姫 -こんな執事はもういらない- END】

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