スーパーボール・クライシス

モトヤス・ナヲ

第1話 プロローグ スーパーボールの秘密

「いいか、開けるぞ」

ぼくは弟のハルキの前に紙袋を置くとそう言った。そして袋の口を少し開けた時、階下から母親のコールがあった。

「三時よ、おやつ、階段のところに置いといたから」

ぼくたちは紙袋はそのままにして、階段を降り、ミルクとカステラの盆を取ると部屋に戻ってきた。二人は立ったまま先ほどの袋の中を覗き込んだ。ハルキが言った。

「……スーパーボールだよ」

ぼくはそれを取り出して、手のひらに転がしながら、

「さっき道で前を歩いている人が、この紙袋を落としたんだ。拾って追いかけたんだけど、その人駅の改札で見失ったちゃった」

といった。そして、窓際に行くとボールを陽の光に翳してみた。

「うわぁ、何この中身!」

紺色の球体の中で光が散乱し、まるでスーパーノバの星雲が、ホノグラムのように浮き上がって見えた。ハルキが手を伸ばして言った。

「僕にも見せてよ」

ぼくはそれを無視して、細部を見るためさらに角度を変えた。

「あれ、ここの数字、何だろう、三六五って書いてある」

痺れを切らした弟は、強引に手を伸ばした。

「見せてってば!」

反射的によけようとした僕の手が、弟の腕に当たり、その反動でスーパボールは窓から外に飛んでいった。スーパーボールだけあってよく弾み、三度のバウンドで軒を越えると、大きな放物線で落下した。ボールはバウンドごとに発光を強め、最後に閃光を放つと重低音を響かせて消滅した。そのあと空中には蛍光色の波紋が残った。

「……わお」

ぼくは手すりにもたれかかって、呆然とその消失点を凝視していた。やがて我に帰ると、なおもその辺りからは目を離さずに、背後のハルキに言った。

「今の見たか」

返事がなかった。振り向いてみると誰もいない。

「あれ、トイレかなぁ」


 それから階段を降り台所に顔を出した。母親は夕食の食材をテーブルに並べ、顎に手を当てながら献立の思案をしていた。ぼくは言った。

「母さん、カステラの残りまだある」

母親は顔を上げると、笑顔で、

「あるわよ」

「じゃ、切ってよ。ハルキの分もある?」

その何気ない一言に、突然母親の顔が曇った。

「…あなた、何を言っているの?」

ぼくは母親の口調に違和感を感じたけれども、その理由がわからなかったのでなおも、

「だから、ハルキの分のカステラ。あいつ今トイレみたいだから」

母親はしばらくぼくを見つめながら、何かを考えていたようだったが、やがてエプロンで目元を拭いながら、

「そんなこと言わないで頂戴!」

そうつぶやいて力無く勝手口の方に歩いて行った。ぼくはいよいよわからずに、

「そんなことって?」

母親は振り向くと、今度は大きな声で、

「まるでハルキが生きてるみたいに」

そういうと勝手口から出て行ってしまった。ぼくはただ立ち尽くした。

「…母さん、一体何を言っているんだよ」


 ぼくは二階に戻った。畳の上に盆がそのまま置いてあったが、なぜかコップと皿が一組しかなかった。胸騒ぎがした。妹が二階に上がってきた。ぼくは妹を警戒させないように、

「ハルキのこと、聞きたいんだけど」

妹は怪訝な顔をした。

「ハルキ兄ちゃんのこと?」

「うん、亡くなったとか言うもんだから…」

「お兄ちゃん、どうかしちゃったの。今日お命日よ」

そして自分の部屋に戻ろうとしたので、それを何とか引き止めながら、なだめたりすかしたりして、泣きじゃくる彼女から仔細を引きずり出した。それで大体次のことがわかった。去年の今日、水泳があるというので、母親は玄関でハルキを送り出していた。その時ぼくはボーイスカウトで外出、妹は中でおやつを食べていた。すると母親と話していたハルキが、突然何かを追いかけて表に飛びした。そこに折悪く車が走ってきて、ハルキは轢かれて亡くなったとのことだった。

「ハルキは何で飛び出したりしたんだ?」

「スーパーボールが屋根から落ちてきたんだって。それを追いかけて」

ぼくは今度こそ生唾を飲んだ。ボールの消失点は確かに玄関の真上だった。


 一人になってから、ぼくはノートに書き始めた。

 「……つまり、今日の昼、ハルキと遊んでいて二階の屋根から飛んでいったスーパーボールは、落下中に時間を遡り、「去年」の地面に落ちた。「去年」のハルキはそれを追いかけて車に轢かれた。ボールが空中に消えてから、振り返った時、ハルキはもういなかった。去年の今日、亡くなったからだ」

 段落を変えた。

「……でも後悔するのは、ハルキがスーパーボールを見せてくれと言った時に、何で素直に見せてあげなかったことだ。もしハルキに見せてあげていたら、揉み合うこともなかったし、揉み合わなかったら、ボールもあの場所に落ちることはなかった。ハルキは死ななくてもすんだんだ」

 再び段落を変えた。

「……でもハルキは絶対死んでなんかいない。実際さっきまで一緒に遊んでいたんだ。ハルキは必ず戻ってくる……」

ぼくはつぶやいた。

「もし袋の中にスーパーボールが二つあったら、こんなことは起こらなかったのかな…」


 翌朝、空が白み始めると、そろそろと階段をおり、玄関を静かに開けた。門までの狭い通路が見える。ぼくは外に出ると、振り返って屋根をみた。そしてボールが消えた辺りを指差しながら、

 「ボールはあのあたりから落ちてきたはず、だから……」

次に門まで行って道路を見た。それは一方通行の道路なので車はこちらからしか来ない。ボールの軌跡と車の進行方向を色々検討したみた。

 「多分ボールは車に当たって……」

ぼくはいくつかの落下点を想定したけども、向かいのお稲荷さんが一番怪しかった。ここは狭いながらも境内らしきものもあり、樹木もそれなりに茂っていた。ぼくは鳥居をくぐると中を伺った。参道に沿ってキツネの像が並んでいる。ぼくは境内を取り囲む灌木の中に身を埋めた。そして地面を舐めるようにしながらスーパーボールを探し始めた。まず境内の左側の灌木、次に裏の灌木、ボールはなかった。結構ワケのわからないゴミが落ちていて、もしかしたらその下にボールが隠れているかもしれないと思ってしまい、ついでと言っては何だが、これもゴミとして落ちていたAmazonの段ボールの中に、それらのゴミを収集しがら探した。そして最後の右の灌木を探し終えたが結局何も見つからなかった。ぼくは落胆しながらも、また朝食の後に来ようと、灌木から立ち上がった。そして集めたゴミを鳥居の脇にあるゴミ箱に押し込んだ時、目の端で何かが光ったような気がした。おや、と思ってその辺りを眺めると、ちょうど奥から二番目の狐の辺りに、神殿の軒をかすめた朝日があたり、狐の前脚に挟まれてその光源はあった。近づいていくと、果たせるかな、例のスーパーボールだった。


 急いで部屋に戻り、そのスーパーボールをまじまじ見た。泥で汚れてはいるが球体の中の星雲の三六五という小さな数字は変わらない。ぼくはノートにメモを追加した。

「…数字はどう考えても、ボールが時を遡るその日数を表すはずだ。では遡った先で何時にボールは現れる?」

昨日ここで紙袋を開けた時に、母さんのおやつコールがあった。だからボールが消えたのは三時だ。一方去年のハルキの事故のとき妹はおやつを食べていたと言っていた。だから向こうでボールが現れたのも三時。ぼくはノートに書き足した。

「…スーパーボールは、消えた時刻と同じ時刻に現れる」

次にぼくは部屋の検分を始めた。

「ボールは時間を遡るが場所の移動はしない。昨日も玄関の上で消えて、去年の玄関の上空落ちてきた。ということは……」

ぼくは昨日部屋の中の様子を何度も心の中で確認した。次に机に戻ると再びスーパーボールを手に取った。そして数字に目を近づけてみた。よくみると数字の左右に三角のアイコンがついていた。スマホと同じだ。ぼくは右三角を指先でタップしてみた。三六四に変わった。ぼくはそれを1まで戻した。

 

 ぼくは「昨日」の紙袋の中にこのボールを落とすのだ。


 ついに三時になった。ぼくはハルキと向かい合っていた場所に膝をつき、「昨日」の紙袋に目掛けてボールを落とした。畳に落ちる鈍い音。何も起きなかった。顔に脂汗が滲んだ。ぼくはボールを拾うと数字を確認して、もう一度落とした。ボールは再び畳に落ちた。その時異常な無力感がぼくを襲った。何も起きない。なぜだ!昨日と何が違うんだ……

……そうだ、あの時、ボールは屋根の上を三回バウンドした後に空中に消えた。もしかしたら……。

 ぼくはボールを拾ってもう一度畳に落とした。これで三回。ボールを拾うと、ぼくは念をかけて、再び見えない紙袋を狙った。ボールは青白く発光し、宙の一点で閃光を発すると、蛍光色の波紋の向こうに消えた。消失点の至近距離にいたぼくは、エネルギーで跳ね飛ばされた。そのとき不吉な考えが頭をよぎった。

「ところで、昨日のボールと今日のボール、結局は一個のボールだよな。それがガッチンコすると、一体何が起こるんだろう…まさか大爆発?……」


「いいか、開けるぞ」

ぼくは弟のハルキの前に、紙袋を置くとそう言った。そして袋の口を少し開けた時、階下から母親のコールがあった。

「三時よ、おやつ、階段のところに置いといたから」

ぼくたちは紙袋はそのままにして、階段を降り、ミルクとカステラの盆を持ちあげると再び部屋に戻ってきた。二人は盆を手にしたまま先ほどの袋の中を覗き込んだ。ハルキが言った。

「……空だよ」

ぼくらは顔を見合わせるとゲラゲラ笑った。おやつを食べ終わると、おかわりをもらうために二人で階下に降りた。ハルキはその途中でトイレに寄った。ぼくは台所に顔を出した。母親は夕食の食材をテーブルに並べ、顎に手を当てながら献立の思案をしていた。

「母さん、カステラの残りまだある」

母親は顔を上げると、笑顔で、

「あるわよ」

「ハルキの分は?」

「もちろんあるわ」

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