人の体が動くのは「訓練」か「経験」が活きているからだ

月之影心

人の体が動くのは「訓練」か「経験」が活きているからだ

 何かあった時に咄嗟に反応出来たらそれを『本能で体が動いた』なんて事を言う人がいるが、実は余程訓練をしているか、或いは過去に同じような経験があったかじゃない限り体なんか動くわけがない。


 それは俺、石原いしはらたくみも同じだ。




 仕事に疲れて帰宅し、取り敢えず飯にしようとキッチン側へ行こうとした時に玄関のドアがノックされた。

 インターホン付いてるのにノックしてくるのは何故だ。

 こんな時間に営業でも無いだろうと、『はぁい』と言って玄関に向かってドアを開けた。




「めりぃぃぃくりすまぁぁぁす!」


「はい?」


 ドアの外に居たのは、サンタのコスプレをして白い袋を担いだものっすごい笑顔の女の子だった。


(え?何?誰?)


 俺は今、目の前で何が起こっているのか理解出来ず、ただその女の子の顔をじっと見るだけで何も出来ず、思ったままを口にするだけだった。


「えっと……部屋間違えてません?」


 最初に思い付いたのは、この子が訪ねる部屋を間違えたんじゃないかということ。


「え?」


 女の子は身体を仰け反らせてドアの外側を見た。


「202号室!巧さんの部屋で間違いないですっ!」


 部屋の番号も合ってるし俺の名前まで知ってる……マジ誰?

 とか頭の中で考えまくっていると、女の子は玄関の中にいそいそと入って来た。


「ちょっ……」

「取り敢えず寒いので入らせてくださいっ!」

「あ、いや……あの……」


 俺が戸惑っている内に女の子は俺の横をすり抜けてブーツを脱いで部屋に上がり込んでしまった。

 女の子は担いでいた白い袋を床に降ろして俺の方に向き直る。

 ものっすごい笑顔はそのままだ。


「えっと……」


 まずは話を訊いてからだと思って声を掛けようとした時、テーブルの上に置いたスマホに着信があった。

 俺は女の子を手で制しつつ横を通ってテーブルのスマホを手に持った。


 お袋からだ。


「もしもし。」

『巧ちゃんメリークリスマス!』

「今ちょっと立て込んでるから後でいい?」

『どうしたの?何かあった?』


 俺は女の子をちらっと見て玄関の方へ行き、声を潜めてお袋に言った。


「いや、何かサンタの格好した女の子に上がり込まれてて……」

『女の子?あ~……もう着いたんだ。』

「え?着いた?てかサンタの格好ってのには突っ込まないんだね。」

『うん。あんた咲良さくらちゃん覚えてるでしょ?たちばなさんとこの娘さん。』

「咲良ちゃんは覚えてるけど……え?」


 俺は振り返って女の子の顔を見た。

 相変わらずすっごい笑顔で俺の方を見ている。

 言われてみれば……。


 橘咲良。

 確か4つか5つくらい下だった近所の子だ。

 お袋同士の仲が良くて、たまに咲良の母親と一緒にうちに遊びに来ていた記憶がある。

 母親の井戸端会議が始まると、暇になった咲良が俺の部屋に来て漫画を読んだり、勉強していた俺の手元を覗き込んできたりしていたのを覚えている。


『今日から暫くあんたのとこに住ませてあげてね。』

「は?」

『咲良ちゃん、あんたのとこの近くの専門学校行ってるんだけど年末にマンションの工事があるらしくて部屋に帰れないそうなのよ。』

「いやいや!どんな理由があるにしてもさすがにそれはマズくない?」

『大丈夫。あんたの事は信用してるから。』


 そういう事じゃねぇよ。


『少しの間だけだから泊めてあげなさい。追い出したりなんかしたら一生うちの敷居は跨がせないからね。』

「はぁ……分かったよ……で、いつまでの予定?」

『さぁ?』

「だろうと思った。」

『いい子ね。じゃあお願いね。』


 お袋はそう言って一方的に電話を切ってしまった。

 いくつになってもお袋には逆らえないんだよな。

 俺は小さく溜息を吐いて部屋に戻った。


「咲良ちゃんだったのか。」

「えぇっ?分からなかったんですか?巧さんって見ず知らずの女の子を簡単に部屋に入れたりするんですか?」

「キミが勝手に上がり込んだんだ。」

「でもおばさん巧の母が連絡入れておくって言ってたんですけど……」

「その連絡が今の電話。連絡より先に咲良ちゃんが来たんだ。」

「え~?だって今日巧さんのとこ行くっておばさんに言ったの先週ですよ?」


 お袋らしいわ。


「と言う事で宜しくお願いしますっ!」


 年頃の女子学生が4つも5つ上の男と同居するって問題有りな気がするけど、追い出したら実家に帰れないと思うと無碍にする事も出来ない。


「あ……うん……」

「何かお困り事でも?」


 今まさに目の前の状況がそれだね。


「あ、あのさ……」

「はいっ!」

「一応、でも俺、男なんだ。年頃の女の子がこんなおっさんの部屋に転がり込んで平気なのかな……と思って……」


 何故か咲良はむくれた顔になっていた。


「え?」

「巧さん!ご自分の事を『こんなの』なんて言わないでください!巧さんが『こんなの』だったら世の中の男の人は全員『へんなの』になりますよっ!?」


 何その大喜利みたいなノリは?

 笑○だったら座布団全部持って行かれちゃうぞ。


「それは嬉しい事を……じゃなくて!咲良ちゃんはもっと自分を大切にしてだね……」

「巧さん……何かするんですか?」


 はっと気付くと咲良は俺の顔をその大きな二重の目でじっと見ていた。


「あぃゃ……そういうわけじゃなくてだな……」

「じゃあどういうわけです?」


 問い詰めるように咲良が俺の方にぐっと近付く。


 まさに『前門の咲良後門のお袋』。


 てか、何で俺追い詰められてんの?


「えっとね咲良ちゃんいいかい?」

「はい?」

「俺は25歳の成人した男で、咲良ちゃんは……20歳か……20歳の成人した女で、その2人が仮にとは言え一つ屋根の下で暮らすってどういう事か分かr……」


 言っている間に咲良はじわじわと俺の方に近付き、言い終わる寸前で俺の胸に頭をこつんと当ててきた。


「……って咲良ちゃん?何やってんの?」


 咲良は俺の胸の前で顔をひょいっと上に向けて俺の顔を見上げてきた。

 その目がトロンとしている。

 何これ?


「どういう事って……分かってるに決まってるじゃないですかぁ。」


 そして咲良が俺の腰に腕を回して抱き付いてきた。


「ちょっ!?さ、咲良ちゃん?な、なな何やってんの?」

「何って……」












「巧さんの奥さんになる予行演習ですよぉ。」












「は?」












 何の話?

 え?

 いや……俺の奥さん?


 俺の頭は一気に混乱の海に投げ出された。


「ちょ、ちょっと待とうか!」


 俺の胸から頭を離し、俺の顔をうっとりと見上げる咲良。


「何ですかぁ?」

「い、いや、全然話が見えないんだけど……」

「えぇ?だってさっきおばさんから連絡あったって言ったじゃないですか。」

「あ、あぁ……あったけど……」

「話を聞いた上で巧さんはOKしてくれたんでしょ?」

「そ、そうだけど……」

「だったら何も問題無いですねっ!」


 大問題だよ。


「今から予行演習しておけば、巧さんの理想の奥さんになれますよね?」


 知らんがな。


「はぁぁ~……1年後が楽しみですねっ!」

「は?1年……後……?マンションの工事ってそんなにかかるの?」

「マンションの工事?何ですかそれ?」

「え?うちに泊まりに来る理由……お袋から……!?」


 嵌められた……。

 そもそも咲良の住んでるマンションの工事なんか無かったのか。

 単に咲良と同棲させる為の口実?

 にしては何か手口が薄い気がするが……。




 取り敢えずその場は納得した振りをして咲良に風呂に入らせた後、俺はお袋の携帯を鳴らした。


「あ、俺だけど。」

『オレオレ詐欺さん?』

「ちげぇわ。」

『分かってるわよ。ノリ悪い子ね。で、どうしたの?咲良ちゃんとしっぽりやっちゃった?』


 何て親だ。


「マンション工事なんか無いって言ってるぞ?」

『あらぁ……もうバラしちゃったのね。』

「やっぱりグルか。どういうつもりなんだ?」

『えぇ?そりゃあ早く娘が欲しいからに決まってるじゃないの。娘の次は孫よねぇ。若いおばあちゃんなんて今じゃないと叶わないもの。』


 あんたは十分若いよ。


「だからっていくら親でも息子の気持ちも考えず勝手に話進められても……」

『何?あんた咲良ちゃんの事嫌いだったの?』

「そういう事じゃない!」

『だったらいいじゃない。願い事を叶えるにはもってこいの日じゃない。』

「はい?」


 電話の向こうでお袋が紙か何かをガサガサする音が聞こえてきた。


『咲良ちゃんをお嫁さんにして幸せな家庭を作りたいです』

「は?」

『覚えてない?間違いなくあんたの字なんだけど。』

「な、何だよそれ?」

『あんたがサンタさんに書いた願い事よ。』


 そんなもん書いた覚えは無いし、大体サンタさんに書く願い事って『○○が欲しい』とかじゃないのか?


『多分あんた、七夕とごちゃ混ぜになってたんじゃないかな?うちはどっちも木に吊るしてたしさ。』


 確かに子供の頃は『木に願い事を吊るす行事』として七夕もクリスマスも似たような事だと思ってた時期はあった。


『咲良ちゃんがあんたの事が好きだって聞いた時は本当に嬉しかったよ。』


 お袋は少し声のトーンを落として話を続けた。


『うちは貧乏だったからさ……クリスマスなのにあんたの願い事なんか叶えてやった事無かったもんね。』


 そんな事は無いさ。


『あんたの書いた願い事は全部残してあるんだよ。毎年、父ちゃんとどうしようかって色々考えてたんだけどねぇ。』


 ちゃんと分かってたって。


『でもやっとあんたの願い事を叶えられそうで……母ちゃんこれで安心してあの世に行けそうだよ。』


 おいやめろ。


『あんたの花婿姿……咲良ちゃんの花嫁姿……生きてる内に見せておくれよ……』

「分かった……












……なんて言うとでも思ったのか!健康診断で俺より優秀な数値だったの知ってんだぞ!」

『あらぁ……あんた母ちゃんストーカーしてどうすんのよぉ?』


 疲れた。


「もう分かった……何か嵌められたとこは納得いかないけど……色々思い出したんで後で咲良ちゃんと話しとく。」

『そうしな。咲良ちゃんだってずっと待ってたんだからね。』




 ぐったりしながらスマホをテーブルに戻すと、ちょうど風呂から出てきた咲良が戻ってきた。

 今一納得しきれてはいなかった俺は、この際ハッキリしておこうと覚悟を決めていた。


「なぁ咲良ちゃん。」

「何ですか?」

「俺の奥さんになる予行演習の前に話しておきたいんだ。」

「何でしょう……もしかして……












『クリスマスの願い事を叶えさせてくれ』でしょうか?」












 人は、何かあった時に咄嗟に反応出来たらそれを『本能で体が動いた』なんて事を言う人がいるが、余程訓練をしているか、或いは過去に同じような経験があったかじゃない限り体なんか動かないものだ。

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