第18話 マドハヴァディティア

「サエキ、東の市場まで行ってきてくれ」

 東の市場?

 あんまりいい記憶ないなあ。

 槍を追っかけて飛んで走って大騒ぎ、あげくに戦争。

 そのあとも財布落として焦ったり……見つかってよかったけど。

 宿の食事にあたって二日動けなかったり。

 よその荷車にはねられて足くじいたり。

 とはいえ、家主で雇用主のじいさんには逆らえません。

 黙ってこき使われる。あてにされるの、嫌いじゃない。

 戦争以外。

「納品?」

「うむ。それとな、帰りに買い物を頼む」

「いいよ、なに買うの?」

「牛を四半身、下の方だぞ?」

 ちょっと待った、なにその大物。何キロあるんだよそれ。

「豚を一匹」

 誰か軽トラ貸して。運転したことないけど。

「それと海のものをな、魚の干したのとか適当にまとめて」

 そのミッション、行きはよいよい帰りは怖いの典型的なやつ。

「そういえばこの辺って海ないね」

「北の海は、ここからでは遠すぎる。東の市場なら手軽に買えるからのう」

 市場まで十日かかるのに、それ以上遠いってどんだけだよ。

「そんな遠いの?」

「帝都より遠い」

「パニールくらい?」

「もっとずっと先じゃ。おいそれとは行けん」

 東、行こ。喜んで。

 出かける前の恒例行事、パパドとサマエルに挨拶に。

「うむ、近々収穫祭がある」

「収穫祭?」

「五年に一度、村民みなで葡萄酒を酌み交わし、馳走を振る舞う。まあ息抜きだな」

「そういえばこの国って定休日ないよね。人間界にはあったんだけど」

「定休日? くだらん。みな休みたい時に休んでおるではないか。なんの問題もない」

 まあそうだけどさ……住み込み被雇用者としてはですね、言い出しにくい。

 定休日に慣れた元人間としては、なにを区切りに頑張ればいいのか、ちょっと戸惑ったりする。

「本当は十日に一度くらい休——」

 いつもの場所で普通に話してたパパドがいきなり後ろを振り返って、次の瞬間には実体に戻ってた。

 そして地面に片膝を折って頭を下げた。

「サエキ、膝を折り頭を垂れよ! 決して顔を上げてはならぬ!」

 なにが起きたのかわからないけど、言われたとおりに跪いて顔を下げた。

「久しいな、マドハヴァディティア。息災にしておるか?」

 なんだろう、男の声? 中音域……滑らかで、よく通る。

 ドキュメンタリー番組のナレーションとかやれそう。

「もったいないお言葉、陛下のおかげをもちまして日々を穏やかに過ごしてございます」

「ん、めでたい。して、ここ数年もそなたの畑は豊作であるそうな」

「はい、みなの努力の賜物、陛下のご加護あっての収穫にございます」

 ——陛下、だ……。

 思わず顔を上げそうになったけど、なんとか踏みとどまった。

 パパドの指示、破っちゃだめだ。

 誰かいる気配はないから、スクリーンみたいなものに映ってるのかもしれない。

 でも、なんだか、なにか感じる。こう……すごい存在感みたいなの。

 普通に息ができない。

 じっと息を詰めてて、時々少しだけ吐息ついて、少し吸って。

「近々、収穫祭であろう。村のみなを労ってやるがよい」

「は、仰せの通り、心づくしの宴席としとうございます」

「ついては、祝辞を使者に託し差し向けた。たびたび美酒を納めてくれるみなへの感謝だ、快く納めてくれるか」

「ありがたくももったいないお言葉! むろん謹んで拝領いたしまする。村の者たちにとりましても、いっそうの励みとなりましょう」

 ものすごい緊張感を感じる。パパドのこんな気配、初めてだ。

「ところでマドハヴァディティアよ、引きこもりおらずに、たまには帝都に参れ。一献交わしたいものだ」

「そのような畏れ多い。わたくしめは森にあって畑を守る務めをご下命頂き、日々をそのように過ごすのが本分にございます」

「余とて、たまには賢者の話を聞きたいのだ。無理強いはせぬが、気が向けば訪ねてまいれ」

「陛下の御心のままに」

 それきり、声は消えた。

 少し待ってから顔を上げてみたけど、誰の姿もない。

 パパドはまだ跪いたままだ。

「大丈夫か、パパド?」

「心臓が止まるかと思うた……何故いつも突然お声がけなさるのか……書簡でよいのに」

 ほんとに驚いたんだな。

「陛下とどうやって会話したんだ?」

「あれは念波像だ」

 映像つきテレパシー的ななにか。

 でも、たとえ映像でも、陛下のお出ましってのはただならぬことだとわかった。

 パパド、驚きすぎてフクロウに戻るのも忘れてるっぽい。

 それにしても、パパドって本当にすごい奴なんだな。しみじみわかった。

 念波像でも、向こうから直接姿を見せたってことだろ?

 賢者パパド、すごすぎる。

 パパドの動揺が落ち着いたのを確認して、サマエルのところへ。

「ん? パパドはすごいよ。人間界でいう名門エリートだもん」

 サマエルはあっさり言う。

「ほんとの名前はマドハヴァディティア。長くて面倒だから、呼びやすく名乗りやすい自称パパド。父親は内務大臣のルキフグ・ロフォカレ。母親はバルバトス、帝国元帥サタナキア麾下の大将だよ。両親揃って最高位、エリートなんて言葉じゃ片付かないね」

 内務大臣ってどんなんだろ。軍は指揮系統違うから……総理大臣っぽいもの?

 大臣と将軍の子供って、響きがめっちゃ半端ないんだけど。

「高位魔族同士って繁殖難しいんだよね。お互い血が強すぎて馴染まないっていうか。そういう難しい環境で生まれた二世代目のエース。まあ、ほとんどの魔族はパパドの出自知らないけど」

「どうして? すごい子供なのに」

「最高位同士でしょ、初めてのことだったからどういう成長するかわからなかったし、万一の時は永遠に牢に繋ぐって、母ちゃんものすごい覚悟だったらしいよ。だから極力存在を伏せてたって。そしたら公表する機会なくした」

 と言って、サマエルはゲラゲラ笑う。

 本当にものすごいエリートらしい。

「知ってのとおり、ルシファーから連絡してきて、お酒に誘うくらいの存在。まさかあいつの方から来られないからねー」

 さすがにそれは無理だろうなって、おれでも思う。

「実際、ルシファーだって寂しいんだよ。担がれる神輿も大変なんだ」

 そうなんだよな、陛下はこの国の頂点であり、象徴なんだ。

 決して自由に振る舞えるわけじゃない。

 元首としてあるべき振る舞いを求められる。

 ……違う、自分でそう決めてるんだ。

 飢えて渇いた天使たちの前で、一番最初に堕天の実を食べた。

 その時もう決意してたんだろう。

 責任を、負い続けるって。従った堕天使を守るって。

 誰にも会わないわけじゃない。

 農夫のサモサじいさんにだって何度も会ってる。

 国民全体をちゃんと見てる。誰に会うべきか、きちんと考えてるんだ。

 どんな仕事でも頑張れば陛下が褒めてくれる。

 平等だ。分け隔てない。

 そんな方の、ほんの少しの望み。

「パパド、行ってあげればいいのに」

「そのうち行くよ。ルシファーのお願いは無視できないもん」

「お願いには聞こえなかったけどな」

「十分甘えてるよ。たまには愛しい息子と差し向かいで飲みたいなんて、可愛いなあ」

「親、別じゃん」

「ルシファーにとっては息子みたいなものさ。あいつはマジで血が強すぎて子供できないから」

「いいな……陛下に会えるんだ……」

 思わず言葉に出てた。

 サマエルは笑って言った。

「お前は最低三百年かかるよ、最低ね。魔族たちが何年ルシファーの元で頑張ってると思うんだよ。はるか、はるか、はるか昔からだぞ。魔族の歴史の始まりからだよ?」

 サマエルの言葉聞いて、さすがに凹んだ。

 おれ、舐めてた。そんなにかかるとか全然考えてなかった。

 三百年なんて、そんな……。

 しかもそれが最低ラインとか。

「それにしてもお前はほんとに運がいいなあ。ここに来てまだ一年くらいだろ? なのに玉音聞けたとか、まるで奇跡」

「……そっか、そうかもしれない」

「そ。お前は幸運の塊だって言ったろ?」

 その運を、なぜおれは人間界で発揮できなかったのか。

 しみじみ惜しい。

「人間の時は運なんかなかったのに」

「適性ないことやってたんじゃないのお?」

「え……?」

「向かないことに運気が使えるわけないじゃん。適性に沿って働くの」

 おれ、役者に向かなかった……?

「魚が空を飛ぼうとしてどんなに頑張ったって、運は味方しませーん」

 なにも言い返せない……。

「お前、人間より堕天使に向いてたのかもねー」

 サマエルは気楽にそう言って、草の上に寝転んだ。

 そうかー、おれ、役者に向いてなかったんだー。

 役者なんて目指さずに、大学卒業して就職するべきだった?

 堕天使に向いてると言われても、ちょっと困るんですけど。

 仕方ない、人間界に戻ったら、今度は適性がある道を探そう。

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