第42話 聖女印のチョコレートは万能です2

「けど、あの伯爵は人間も戻っても牢屋行きは確実だぞ。伯爵領は没収間違いなし。下手したら死罪だ」


 ダレルが今後の彼の行方を示唆する言葉を放つ。ここで魔物として殺されたほうが、彼にとってはいい結末なのではないか、と暗に示す内容だった。


「それでも……」

「ダレル、あんまりアイカをいじめるな」

「悪かったって」


 クレイドにたしなめられたダレルはバツが悪そうな顔になった。

 各自、準備が整った。


「では、手はず通りに!」


 クレイドの号令と共に三者が一斉に動き出す。

 魔法使いとグランヴィル騎士団の面々が未だ上空に留まるマールブレンに向けて一斉に攻撃を放つ。彼を生け捕ることが目的だ。


 マールブレンが気を取られている隙にリウハルド伯爵だった魔物へ飛び立った。時間との勝負のため、藍華はクレイドに横抱きにされている。こんなときだ。恥ずかしがっている場合ではない。手が塞がるクレイドたちを守る形でダレルともう一人が魔物と相対する。


 理性を失ったリウハルド伯爵の攻撃は容赦がなかった。

 魔瘴によって生み出された魔物は彼の他にもいるのだ。時間との闘いである。


 と、そのとき。頭上を影が覆った。

 黒竜が現れたのだ。ポチである。本来の姿に戻った黒竜が地上すれすれで滑空し、黒い霧を食べていく。


「黒竜が魔瘴を食べている……」


 ダレルの声を耳が拾った。徐々に空気が軽くなっていくのが分かる。あとは、魔物をどうにかすればいいだけだ。


 元リウハルド伯爵だったそれは、肌は黒く体は巨大化し、理性なき魔物へと変貌を遂げていた。両手を振り回し、生き物を見つけるとそれに向かって前進する。魔法を使えるのか、彼は藍華たちに向かって黒い息を吹きかけた。


「あれに当たるとまずいぞ!」

「分かっている」


 グランヴィル騎士団は魔瘴から生まれる魔物退治も任務の内だ。慣れているのか、連携が取りつつ元伯爵だったそれへと近づく。


「アイカ、きみにかかっている! 大丈夫、自分を信じるんだ」

「はいっ!」


 励ましの言葉に藍華は頷いた。

 チョコレートは持ち歩き用のため多くはない。これを彼の口の中に投げるのだが、ダレルたちが魔法で援護すると請け負ってくれたため、多少コントロールがずれてもあとはなんとかしてくれるだろう(と信じている)。


 藍華はクレイドの腕の中で再び祈った。リウハルド伯爵は決して好感が持てる人間ではなかったけれど、魔物として処分されるべきでもない。


 もしも、藍華の力に可能性があるのなら。


(わたしは伯爵を人間に戻してあげたい)


 自分の中の魔力に語り掛ける。まだ上手くコントロールすることはできないけれど、浄化の力よ、チョコレートに宿って。リウハルド伯爵の体内から魔瘴を取り払って。

 そう、何度も願った。


「アイカ、行くぞ」

「了解です!」


 上司に対するような返事をして、藍華は気を引き締めた。

 クレイドが浮遊魔法で大きな巨体へと近づく。ダレルたちが彼の気を引くように魔法を使う。

 魔物は時折苦しそうに口を大きく開け、空を仰ぐ。


「今だ!」

 クレイドの号令に反射するように、渾身の力を込めてチョコレートを投げつけた。

「入れ~!」


 人間よりもだいぶ大きくなった口の中にチョコレートが吸い込まれた。

 藍華はじっとリウハルド伯爵だった魔物を凝視する。


(お願い!)

 胸の中で再度祈る。


「一度離脱するぞ!」


 クレイドの掛け声に騎士たちが後ろへ飛びずさる。

 その時だった。空が一度大きく光った。これはあれだ。雷が落ちるときと同じだ、と藍華が感じた直後、鼓膜がびりびり震えるほどの雷鳴が轟き、空から光の矢が降り注ぐ。


「結界が間に合わない――」


 慌てた声が誰のものだったか、それすらも分からなくて。

 もう駄目だと思った。ああここで死ぬのか。でもまあ、クレイドの胸の中で死ぬのならまあいいか、と藍華は目をつむったのだが――。


「お主、頭の中を桃色にするにはちと早いのではないか」

「ん?」

 気がつくと、黒竜の背の上にいた。


「って、ポチまさかまたわたしの頭の中読んだ⁉」

「だから言っておろうが。ぼんやりしたイメージしか分からぬと。今回お主からは桃色の思念がダダ洩れだったが」


「うわぁぁん! ポチのバカァァ!」


 藍華は恥ずかしさに悶絶した。自分が先ほどまで少女漫画のヒロイン的な思考回路で乙女チックに人生の最後を閉じようとしていたのを第三者に指摘されたのだ。正直、穴を掘って埋まりたい。体が火照り、全身から汗が吹き出しそうだ。


「王子よ、あの魔法使いなかなかにしぶといぞ。生け捕りにするにはどうする?」

「助けてくれるのか?」

「乗り掛かった舟だ」


 羞恥で悶絶する藍華を横目にポチとクレイドが現実的な会話を始める。

 王宮魔術師団に所属する魔法使いたちが苦戦する相手だというのだ。つい数分前には無数の雷が空から降ってきた。相当の手練れなのだろう。


 ちなみに黒竜の背にはダレルたちも乗っていて「俺、この現実をどう受け止めればいいんだ」とか「すげー。黒竜のうろこってごつごつしているんだな」とか銘々感想を述べている。


「相手の魔力を封じることはできるか?」

「なるほど。それくらいで構わぬのか」

「ああ」

 ポチが進路を変える。


「一度で片をつける」


 ポチがそう宣言するや否や、マールブレンに向かって高度を下げた。黒竜が近付いてきたことに恐怖するでもなく、彼は両手を前に振り上げた。


 勝負は本当に一瞬だった。黒竜が大きく口を開いたと思った瞬間、一瞬白い光がマールブレンの胸を突き刺した。彼はぴくりと体を震わせたあと、地上へと落下していった。


「何をしたんだ?」

「なに、心臓に楔を打ち込んだ。魔力を封じると言っただろう」


 淡々と言うポチに対して、背に乗る人間たちは一斉に頬を引くつかせたのだった。

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