第41話 聖女印のチョコレートは万能です1

 マールブレンによって生み出された魔瘴は瞬く間に辺り一面へと広がっていった。

 黒い霧たちは全てを呑み込み、空を飛ぶ鳥を、地面に生える草木を魔物へと変貌させていった。


 魔法騎士や魔法使いたちは村人たちを守ることで手一杯。

 魔瘴の中心で暴れ回るのは魔物へとなり果てたリウハルド伯爵だった。

 村全部を覆う結界を何とか張り、これ以上の被害が出ないよう食い止める。


 マールブレンが作り出した魔瘴は強く、この地を漂う魔素を取り込みさらに広範囲にわたって浸食していく。

 藍華は村の外ぎりぎりの場所でクレイドたちを見守っていた。なんとか村へたどり着いたものの、完全に後手に回っている。


――アイカよ――


 頭の中に声が響いた。うわっと驚いて下を見下ろす。そこには黒いカピバラがいた。


「ポチ! 無事だったの? マールブレンから逃げられたの?」


 藍華に付き添うように隣にいたリタがぎょっとする。突然に現れた謎の小動物と、それに話しかける藍華。驚くのも無理はない。


――まったく。伝承が曲解されて伝わってるおかげでおちおち休むことも叶わない――


「黒竜のお宝のことだよね。それって水晶のことでしょう? あれをマールブレンが手に入れたらどうなるの?」


――あれは時代の黒竜が誕生する、まさに命の源。魔力の塊だ。使いこなせれば強大な力を手に入れることができる、というのもあながち間違ってはおらぬな――


「ポチ殿。アイカだけでなく、私にも分かるように声を使って話してほしい」

「うわっ。クレイドさん」


 突然に横から声が聞こえて藍華は飛び上がった。

 気がつくと辺りに人払いがされている。今の状況は、と視線で問うたのをクレイドが正確に受け止めたのか「マールブレンの戸惑う声が聞こえてきたから空を見上げたらいつの間にか黒竜の姿が消えていた」とのこと。


 それで一度撤退を選んだとのこと。もしやと思い藍華を探し近づいてみると、そこには黒竜の借りの姿のカピバラがいた。そう彼は素早く説明した。

 クレイドは素早く結界を敷いた。


「さすがに羽虫を払い続けるのも煩わしくてな。避難してきた」

「ねえポチ。あなたは魔瘴を食べることができるんでしょう? あの霧をどうにかしてあげて」


「それは構わぬが、あの魔法使いが面倒だ。複数の魔石を所有しておるし、いちいち追い払うのが煩わしい」

「そちらは我々が対処する。ちなみに、その姿で魔瘴を食べることはできないのか?」


「この体は小さすぎる。時間がかかるぞ」

「それもそうか。それに、黒竜が魔瘴を食べるところを人の目に焼き付かせたほうが今後のそなたの名誉回復にもなるだろうしな」


「そこまでの打算はないが……あの人間はもう終わりだ。魔物へとなり下がった。あれはもう人ではない」

「そんな……」

 ポチの非情な宣告に藍華の胸が痛んだ。


「ああなっては手の施しようがない」


 クレイドの声は冷静で、だからこの先の彼の行動が予想できた。これは現実なのだ。これ以上魔物をのさばらせてはおけない。でないと被害が拡大する。それは分かっている。


 けれども――。心の一部が、嫌だと行き着く結末を否定するのだ。


「浄化とか、できないの? ポチがリウハルド伯爵の中から魔瘴の要素だけ吸い取るとか。ほら、絨毯のシミ汚れだけを吸い取る掃除機みたいな要領で」


 藍華が思い浮かべたのは、通販サイトなどでよく見るあれだ。絨毯にこぼれたジュースを吸い取って元通り、といううたい文句の超万能掃除機。

 あれを人間にも応用できないものか。そう尋ねるとポチは首を小さくひねった。


「ソウジキが何かは分からぬが……。一度魔瘴が体内に入ってしまえば、それだけを取り除くなど……」

「そ……うだよね……」


 黒竜に無理と断言されて、藍華は柳眉を下げた。リウハルド伯爵の言動はアレだったが、それでも死なせたくはないのだ。


「……だがもしかしたら、主のチョコレートならば……」

「え?」


 ポチが藍華をまっすぐに見上げる。


「あれは我の施した魔法の力を消した。女神が異世界から呼びよせた主にはおそらく特別な力が備わっている。もしも、チョコレートの力が作用すれば、人に戻せるのもまた可能なのではないか」

「ほんとう?」

 一縷の望みに、藍華は叫んだ。


「一か八かだ」

「アイカの属性魔法は水と光。光の特性は浄化だ。きみが作ったチョコレートに光魔法をかければ、より効果があがるかもしれない」


 クレイドが素早く口添えた。


「でもわたし。魔法のセンスはからきしで。水魔法だって全然習得できていなくて、光魔法に至ってはまだ練習すら始めていなくて」

「きみの体内ある魔法の力に呼びかければいい。チョコレートを媒介にして、祈りをささげるんだ」

「祈りを?」

「大丈夫だ。魔法が不得手でもこういう時力を発揮する言葉がある。ええと、確か……ダレルが言っていたな。火事場のバカ力とかなんとか」


「まさかの根性論!」


「して、王子よ。あの羽虫はどうすればいい? 殺すとあとあと厄介そうだから、適当に振り払っておったが。我は人間相手に加減というものをするのが苦手なのだ」

「ああ、殺すのはまずい。おそらくは道を外れた魔法使いだろう。余罪がある可能性と、どうやってリウハルド伯爵に取入ったのか調べる必要がある。あちらは騎士団が引き受ける」


 加減が苦手、というポチの言にクレイドが苦いものを噛んだような顔を一瞬作った。

 彼は素早く役割分担をし、結界を解いた。そして藍華と一緒に魔法使いと騎士たちの元へ赴き、今後の動きを伝える。


「俺は団長の補佐ってことでいいのか?」

「ああ」


 ダレルとクレイドが組み、藍華を魔物と化したリウハルド伯爵の元へ近付くこととなった。

 藍華はチョコレートを取り出した。これが切り札になるのか正直まだ信じ切れていない。


 でも、やるしかないのだ。


(お願い。私の中にある魔力。このチョコレートに宿って。リウハルド伯爵を元に戻せるくらいの浄化魔法の力になって)


 藍華は手のひらに載せたチョコレートにありったけの願いを込めた。

 これしか伯爵を救う方法がないのだ。やるしかない。

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