第18話 トリュフチョコレート

 いつの間にやら聖女となってしまった藍華の身辺は忙しくなり、騎士団の事務仕事を辞めざるを得なくなった。


 事務仕事よりも重要な役割ができてしまったからだ。

 藍華は本日も王宮魔術師団の研究室でチョコレート作りに勤しんでいた。どうやら、テンパリングから先の工程を藍華自ら行うことで、癒しの力がチョコレートに宿るらしい。それが検証を進めた結論だった。


 藍華は大理石の板の上に溶かしたチョコレートを流した。一緒に作業するのは王宮の料理人と藍華が世話になっているお屋敷の料理人。

 テンパリングはチョコレート作りの中で重要な工程だ。チョコレートの光沢と口どけのよさはこの作業にかかっているのである。


「やっぱり、本職の方はすごいですね。わたしよりも上手です」


 温度調整が大事なこの作業。藍華は日本でチョコレート好きとしてワークショップに参加しただけのにわかである。だから科学的な知識はさっぱりで、ベレイナの料理人たちへの説明もだいぶぽんこつだった。

 にも拘わらず彼らは長年の勘と経験でチョコレート作りをすでに自分のものにしつつある。さすがである。


「チョコレート作りは奥が深いですな。最近は王妃殿下を含めた貴族の女性たちからこぞってチョコレートのお菓子をねだられます」

「アイカ様のお口に合うようなチョコレートになっていて、嬉しい限りです」

「最近では市場でカカオ豆を買い占めようとする人物まで現れたとの報告が上がりましてな。クレイド殿下が価格統制に乗り出したとのことです」

「材料買い占めはよくないですよね。この国のチョコレート文化の発展にもかかわってきますし」


 藍華の言葉に、料理人二人が深く頷いた。

 三人はそれぞれ大理石の上のチョコレートを広げて集める作業を繰り返す。こうして冷ましていくのだ。


(わたしってばすっかりチョコレートを作る人になっちゃったけど……。人生何が起こるか分からないなあ)


 お手製チョコレートが回復ポーションになり、人の命を救うのであれば、藍華はチョコレートを作るのみだ。


 とはいえ、自分は元々はチョコレートホリックの食べる専門。最近の目標は一緒にチョコレート作りに勤しむ料理人たちに地球でポピュラーだったチョコレートレシピを伝え、再現してもらうことだ。


 楽しく今日の作業を終えた藍華は迎えに来たダレルと一緒に外に出た。

 彼はてっきりクレイドの警備担当だと思っていたのだが、最近では藍華の警護を主としている。


「じゃーんっ! 今日はなんと、ガナッシュを作ってもらいました! そしてトリュフチョコができあがりました」


 嬉しくってダレルに本日できあがったばかりのチョコレートを見せた藍華である。


「なんだ、ガナッシュって」

「ふふふ。食べてみてください」


 はい、と彼にできたてほやほやのトリュフチョコレートを差し出した。それを受け取り口に入れたダレルはしばらくの間それを味わい「うん! うまいな」と頷いた。


「ほら、いつも食べているチョコとちょっと違うと思いません?」

「いんや。いつもと同じでうまい!」

 言い切られた。藍華はちょっぴり切なくなる。


(いや、違うよ? だって、生クリーム入っているし、こう、口の中でふわぁってとろけるよ?)


「にしてもうまいな」と彼は勢いよくトリュフチョコレートを口の中に運んでいく。

「わたしの分も残しておいて!」と、藍華は彼から隠すようにチョコレートの入った容器を抱え込む。危ない。危うく全部食べられてしまうところだった。


「あはは。ごめんごめん。つい」

「今度はダレルさんの分もちゃんと持って帰りますから」

「それだと俺、王宮のご婦人方にシメられるかもな」


 ガハハと笑うダレルに藍華も苦笑いを返す。確かに今日作ったこれは、すでに王妃が狙っているらしい。王宮の料理人がそんなことを言っていた。


 二人は他愛もない話をしながらてくてく歩く。魔術師団の建物は王宮のすぐ近くにある。今日はクレイドが王宮に呼ばれているとのことで、帰りに寄るようダレルが言付かっていた。


 自分なんかが王宮に出入りをしていいものか。ドキドキするのだが、案内するダレルはけろりとしている。庭園やサロンは貴族階級の社交場として開放されていると聞かされたのだが、それを聞いて気が休まるのはおそらくこの国の貴族だけなのでは、と藍華は思った。


 クレイドが呼んでいるから、と心の中で言い訳をしつつ藍華は王宮の敷地を歩く。

 庭園はきれいに整えられており、常緑樹が丁寧に選定されている。花々は地球で親しんでいるものと同じ種類のものもあって、なんとなくホッとする。


「クレイドさん、最近忙しそう」

「まあな。武闘大会までもうあと少しだからな」

「クレイドさんも出場するんですか? 王子様相手だと、対戦するにも気が引けてしまうような気もするけれど」


 話題にするのは、近日中に開催される舞踏大会のこと。王立軍門下の各騎士隊や地方騎士隊などに所属する騎士らの中から特別に選ばれた者たちが競い合う。


 藍華にしてみれば、まさにファンタジーの世界である。魔力を使わない一般部門と魔力有の魔法騎士部門と二つに分かれてそれぞれに優勝者が決定する。

 昔は腕に覚えのある者による飛び入り参加制度もあったらしいが、警備やらなんやら色々と大変だということもあり、今は事前に選抜された騎士のみで競い合っている。藍華は改めて最近ゲットした知識を頭の中で反芻する。


「団長クラスは参加しないぜ。最後のパフォーマンスで戦う」

「え、そうなんですか?」


「あくまで有力な騎士を見定めるためのものだからな。団長クラスはすでに実力が分かっているから、試合後のパフォーマンスのみだ。それでも迫力はすごいぜ」


 などと話しながら歩いていると、前方から人が近付いてきた。すれ違うために隅にどこうと思ったら、近づいて来た人間、ひげを蓄えた男性が口を開く。


「おや、シーウェル卿ではないですか。ということは、お隣にいらっしゃるのはもしや……今噂の聖女様ではないですか」


 四十代後半から五十代前半かと思われる男性が大げさな声を出す。


「リウハルド伯爵。お久しぶりでございます」


 白髪交じりの黒髪を油か何かで撫でつけているせいか、太陽に照らされてテラテラと光っている。彼はダレルの返事を聞くことなく、ずいっと藍華との距離を詰めてきた。


 藍華はぎょっとして一歩後ろに身を引いた。しかしリウハルド伯爵はそんなことに構いもせずに、藍華の手を握ってきた。


(ひーんっ!)


 こういうの、セクハラというのでは? と思うのに、咄嗟に何も言えない自分が恨めしい。


(でも、ダレルさんが伯爵って呼んでいたから、一応は地位のある人なんだよね? 手を振り払ったらわたしのほうが罰せられる?)


 数か月この世界で生活をしてきたため藍華も徐々にベレイナの社会常識を身につけつつある。この国は日本とは違い身分社会なのだ。安易に手を振り払うと、あとあと面倒なことになりそうだ、と自分の感覚が告げている。


「リウハルド伯爵。アイカ殿から手を離していただきたい」

「おや、これは失礼」


 ダレルの低い声に、リウハルド伯爵がつまらなさそうに藍華から手を離した。

 藍華は内心とっても安堵した。改めてダレルを頼もしく感じる。


「今、王宮はチョーコレイトォなる新しいお菓子に皆が夢中なのだとか。どうでしょう、聖女様。是非ともこのわたくしめにチョーコレイトォを作っては下さいませんか。聖女様手ずからのチョーコレイトォを手に入れることができれば、それは鼻が高いでしょう」


 ずいっと顔を近づけられた藍華は助けを求めるようにダレルを横目に見る。


「伯爵――」

「アイカのチョコレートは王宮魔法師団が厳重に管理をしている。彼女の作るチョコレート、いや回復ポーションは貴重なため、手に入れたくば然るべき手続きを踏んでもらいたい」


 ダレルの言葉にかぶせるようにクレイドの冷ややかな声が響き渡った。


 グランヴィル騎士団の制服ではなく、王族として華やかな衣装を身に纏った彼はそこに佇むだけで存在感を主張している。

 王族の登場に、リウハルド伯爵がぐっと言葉を呑み込み、すぐに笑顔をつくった。


「これはこれはクレイド殿下。お久しぶりです。すっかり健康を取り戻したご様子、臣下としてお慶び申し上げます」


 彼は猫なで声を出した。一見すると遜っている声音なのだが、何か含むものがあるのでは、と考えてしまうのは藍華が穿ちすぎているだけだろうか。自分に対する先ほどの不躾な態度を引きずっているのかもしれない。


「リウハルド伯爵にも心配をかけた。体は問題ない」

「おおっ! では今度の武闘大会にも参加を?」

「そのつもりだ」

 クレイドは簡潔に答えると、藍華へと視線を移した。


「アイカ、迎えに来た」

「え、あ、はい」


 突然に話を振られて一瞬挙動不審になる。クレイドが手を差し伸べてきたので、藍華はそれにそっと自分の手のひらを置いた。そういえば、今日は手袋をしていない。


「では、失礼する」


 この場の支配権を完全に掌握したクレイドによって促され、藍華はその場を離れたのだった。

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