第11話 試食会

 それから一週間ほどが経過した。


 リタから、ついにグラインダーが完成したのだと伝えられた。藍華は悦びのあまり飛び上がった。これはもうさっそくチョコレート作りをするしかない。鞄の中に入っていたチョコレートはすでになくなってしまっていたため、本気で禁断症状が出るかと思っていた。


 チョコレート作りはクレイドの屋敷の厨房で行われることとなった。リタと魔法道具設計士も同席する。

 藍華はあらかじめ準備していたカカオニブを取り出した。下準備を済ませておいたのである。


「じゃあグラインダーの取り扱い方からだな」


 と、設計士が藍華に説明をしてくれた。日本で手に入る小型のグラインダーと変わりがないものが出来上がった。丸いドラムの中には二つのローラーが仕込まれている。内側を温められるようになっているため、ローラーを回すついでに温めを開始し、適温になれば中にカカオニブを投入する。

 魔法石のおかげで自動でローラーが回り出す。


「おおお~。これは便利」


 つい感嘆の声が漏れてしまう。グラインダーを一、二時間ほど回し続けるとカカオニブが細かい粒子状になり、とろとろとしたあのチョコレートの姿へ変貌していく。そのあと砂糖をゆっくりと投入していくのだ。先の長い作業ではあるが、すべてはおいしいチョコレートを作るためだ。今日は短い時間で済ませるが、舌触りを追求するなら、何十時間も時間をかけたいところだ。


「すごい。見たことない食べ物だわ」

「ああ。カカオ豆事態、初めて知った材料だったが……。この液体が本当に固まるのか?」


 リタとクレイドは未知なる食べ物をしげしげと眺めている。最初はダレルも同席していたのだが、道のりの長さに飽きてしまい、現在は庭で筋トレをしている。


「あああ~だんだんチョコレートになってきている。夢にまでみたチョコレート。ああもうすぐ食べられる。ああ幸せ」


 藍華のテンションもおかしなことになってきた。

 もうすぐだ。もうすぐこちらの世界産チョコレートが完成する。


「本当はココアバターを入れたほうがチョコレートが滑らかになって作業がしやすくなるんですけど。それはまた追々ということで」

「ココアバター?」


 聞きなれない単語をクレイドが復唱する。


「はい。カカオ豆には油分が結構含まれていまして。このベースと状のものから脂肪分だけを取り出したものがココアバターだったと記憶しています」

 さすがにすべての知識を備えているわけではないため、藍華も首をひねった。


「そのココアバターとやらがあったほうがいいのか?」

「そうですね。ただ、脂肪分をどうやって分離するべきか……。わたしも専門家でも科学者でもないので、詳細までは分からなくって」


「だったら私の方で専門家を当たってみよう」

「いいんですか?」

「もちろん。アイカのためだ」


 クレイドがふわりと微笑んだ。美形の笑顔の破壊力に藍華はうっと言葉を詰まらせてしまう。こういう気障な台詞がするりと出てくるところがさすがは王子様である。


「ありがとうございます。……そろそろ、いい頃合いですね」


 藍華は気を取り直してチョコレート作りに勤しむことにする。グラインダーの中ではカカオニブはすっかり液体状になっていた。これを取り出し、今度は冷やし固める。

 大きな容器にチョコレートを流し入れて、今日のところは作業はいったん終了となった。


「え、もう食べられるんじゃないの?」

「だめです。チョコレートは奥が深いんです。このあとテンパリングも必要ですし」

「テンパ……んん? なにそれ」


 リタは不服そうだが、チョコレートを愛する者としてここは譲れない。やはりおいしい状態で食べてもらいたいではないか。


 そういうわけで冷やし固めたチョコレートを熟成させたのち。


 再びリタを屋敷に招いた。前回同様クレイドとダレルも同席している。そして、お屋敷に勤める料理人やメイドたちも興味津々である。この数週間の藍華の浮かれっぷりを目の当たりにして好奇心に駆られたというわけだ。


 ベレイナに来た当初の藍華の消沈ぶりを知っている彼らは、ここ最近の藍華の元気のよさに心から安堵しており、その理由であるチョコレートなる食べ物とはいったいどのようなものかと、非常に関心を持っているのだ。


 藍華は熟成させたチョコレートの塊を溶かし、テンパリングをした。このあたりのことは手持ちの荷物の中に入っていたサロンドチョコレート公式ムック本の某ショコラティエの作業特集ページに書いてあったので、藍華はこの数日間該当箇所を熟読していた。


 温度管理もしっかりしつつ、テンパリングを施していく。

 そしてようやく型に流し入れ冷やし固めるのだ。


 ちなみにこの世界、冷蔵庫と同じ機能の魔法道具がある。魔法石を用いてシャワーが作れるのなら、生活の必需品としての冷蔵庫もあってしかるべきなのである。とはいえ、やはりお金持ちの家にしかないとリタには言われたけれど。


「ようやく。ようやく完成しました!」


 冷蔵庫からチョコレートを取り出した藍華は歓喜に震えた。

 ようやく、ようやく食べることができるのだ。嬉しさが極まって藍華は隣のリタと手を取り合い、ぴょんぴょん跳ねた。


「やっとなのね! 正直とっても待ちくたびれたわ」

「わたしもです! 何度つまみ食いをしてしまおうかと思ったことか!」


 みんなが見守る中、型からチョコレートを取り、いよいよ試食タイムだ。


(ああああ、ようやくこの瞬間がきたぁぁぁ)


 チョコレートを前にいよいよ藍華のテンションがおかしくなる。無言で悶えるその様子をクレイドが優しい瞳で見守っていることに気付かない。


 みんなで一斉に一口。


「んん、チョコレートだぁ」


 藍華は幸せを噛みしめた。これはまさしくチョコレート。ああおいしい。自分で作ったからだろうか。とってもおいしい。感慨も愛しさもひとしおだ。


「ん、こんなの初めて食べた!」

「うまいな」

「口の中で溶ける。なんだこれ、こんなの初めて食べたぞ」


 リタが口を開けば、クレイドとダレルも続けて感想を言った。


「チョコレートは正義です!」

「その感想はどうなんだ?」

 胸を張ってそう言うと、ダレルから突っ込みが入った。


「いいんです。だって、チョコレートですから。ああもう幸せすぎておかしくなりそう」

「すでにアイカは頭のネジがひとつ落ちたくらいにおかしいぞ」


 ダレルがニカッと笑った。確かにテンションがおかしくなっている自覚ならある。


「これは癖になるわ! それに珍しいもの。絶対に流行るわ! ばかうけするに決まっている! これがあればハンフリー商会はべレイア三大商会の一角をも崩せるわ!」


 突然にリタが吠えた。


「ねえアイカ、チョコレート製造で一発儲けない?」

「へっ?」

「これは売れる。絶対に売れる!」


 リタが前のめりになって藍華に迫る。その迫力たるや、完全に目に円マークが浮かんでいる。勢いに呑まれつつあったが、ふと思った。このチョコレートはいわば試作も試作だ。本来のチョコレートはもっとすごいのだ。


 改良を重ねるにはたくさんの協力者が必要だ。道具や材料など、考え出したらきりがない。それに商売になるというのなら、ショコラティエを育てることも必要になるだろう。


(ということは、この世界にショコラティエが増える? ってことはみんなが切磋琢磨してたくさんのアイディアを出し合って……。ゆくゆくはこの世界でもサロンドチョコレートが開催できる?)


 そうしたらこの世界でも推しショコラティエができるかもしれない。それってとっても素敵なことだと思った。


「はい! 一緒にこの世界でチョコレートの覇権を取りましょう!」

 藍華はがしっとリタの手を握りしめた。


「アイカ~」

「リタ!」


 二人の気持ちが一つになった瞬間であった。

 だから藍華は気が付かなかった。チョコレートを食べたクレイドが自身の手やら体をぺたぺたさわり、何か驚いた表情をしていたことに。

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