第8話 王都散策2

「いらっしゃい」


 売り子は若い娘で、彼女は藍華を見た後、クレイドに視線をやってぽーっと顔を赤くした。そういえば彼の顔はとても整っているのだ。ベレイナで暮らすようになって約ひと月の間、ほぼ毎日彼を眺めているため耐性がつきつつある藍華である。


「あの、この店にチョコレートは置いていますか?」

「チョコレート? 聞いたことのない名前ね。それってお菓子? 外国のものかしら?」


「チョコレートっていうのは、カカオ豆から作られているお菓子で、濃い茶色をしていて、トロッと溶けるのを冷やし固めたお菓子なんですけど」

「カカオ……カカオ…?」


 売り子の娘は首を横にこてんと傾ける。何かを考えるかのように眉根を中央に寄せている。


「うーん、ごめんなさい。うちでは置いていないし、そのようなお菓子、聞いたこともないわ」


 売り子が匙を投げたため、藍華は内心の落胆を隠しつつ、お菓子を選んだ。クッキーや日持ちのするケーキなどをいくつか買って店を出た。


「アイカはチョコレートっていう菓子が食べたかったのか?」


「……はい。わたしの住んでいた国ではとてもポピュラーなもので、わたし、実を言うと周りからチョコレートホリックと言われるほどチョコレートが大好きで。あれがないと生きていけない……それくらい大好きだったんです」


 この世界の食べ物は地球のそれと似ているため、チョコレートもあるのでは、と期待していたのだが。どうやら女神さまはこの世界にチョコレートをもたらさなかったらしい。


「そうか……。だが、中毒になるほど食べるのはいかがなものかと思うが」


「いえ、それは言葉の綾というか……。食べると癒されるので毎日の楽しみ的な感じで食べていたのであって。決して、食べないと禁断症状が出るとか、そういう意味ではないですよ?」


 と説明している間にも何やら目に涙が浮かび上がる。チョコレートがないという事実が胸の中に染みわたり、頭の中が悲しみに包まれてきたためだ。中毒ではないけれど、チョコレートのことは愛していたのだ。それはもうものすごく。


「アイカ、泣くほど好きだったのは分かった。ほら、他の店にも行ってみよう、な?」

「ううう……すみません。まさかこれしきのことで泣けてくるとは」


 藍華はぐずんと、鼻をすすり笑顔を作った。


 ツェーリエで屈指の人気店の売り子が知らないというのだから、おそらくこの街にチョコレートはないのだろう。女性の情報網というのは馬鹿にはできないのである。珍しい菓子ならば噂などで上がっていそうなものだが、そういうこともなさそうだった。


「今日はお菓子もいろいろ買いましたし、他の店も見ましょう」

「……そうだな」


 藍華が気分を変えるようにカラリとした声を出すと、クレイドも横に倣った。

 それから二人は別の広場で売られていた、ソーセージを昼食代わりに食べた。温められたパンにソーセージを挟んだものだが、焼きたてあつあつでとても美味しかった。

 腹を満たした後に向かったのは下町のような雰囲気の場所で、ここには多くの市場が立つのだという。


「今日は薬草などの魔法道具の材料などが多く並んでいる日だ」

「おお~。何やら異世界っぽい」


 屋台の軒先を冷やかしながら歩いていた藍華の返事から好奇心の欠片を感じ取ったクレイドから「言ってみるか?」と問われ、藍華は頷いた。


 市場は基本的には毎日立つが、売られている品物は曜日によって変わるらしい。食品類は毎日並ぶらしい。先ほど、とある店の軒先に皮をはがされた羊がぶら下がっているのを目撃して青い顔になってしまった。


 細長い路地にびっしりと露店が立ち並び、徐々に扱う品物が変わってきた。薬草や鉱物、はたまた書物や魔法陣が描かれた紙の束など。なるほど、確かに魔法関連だと思わしめる品物ばかりだ。


 魔法の知識も少しずつ習得している。自分自身の中にある魔力を糧にして魔法を使う方法と魔法石の力を使い魔法を使う方法と二種類に分かれる。後者は主に、生活をより便利にするために使うものだ。魔法陣が魔法石の力を引き出すスイッチのような役割をするのだと習った。


 この辺りになると客層も変わってきて、旅装束やローブ姿、または帯剣者の割合が多く見受けられる。


 藍華はまだ魔法に関しては初心者のため、店に並んでいる品物がどのような役割を果たすのかさっぱり分からない。それでも眺めているだけでも面白く、顔をきょろきょろ動かしながら、要するにお上りさん丸出しの隙だらけで歩いている。


 無防備な藍華の代わりにクレイドが隙なくあたりを警戒しているのだが、それにも気付かない。

 ある露店の前で藍華は突如足を止めた。


「どうした? 何か欲しいものでもあったか?」


 クレイドの声にも藍華は無反応だった。足を止めた露店は薬草やら何やら、藍華には用途不明のものが山のように積まれていた。

 しかし、その中で輝くばかりに存在を放っているものがあったのだ。


「もしかして……これって……カカオ豆なのでは?」


 藍華は呆然とつぶやいた。

 木箱の上に麻袋が置かれている。上部分が開いていて、茶色いアーモンド形の豆のようなものがぎっしりと詰まっている。これに似たものを藍華は見たことがあった。


 チョコレートが大好きすぎて、最近ではビーントーバーワークショップにも顔を出し、自分でチョコレートを作ったこともある藍華である。毎年行われるチョコレートの祭典では近年カカオを学ぼう的なトークイベントや製造工程を紹介するコーナーがあったりと、近年チョコレート深く学ぶ気運が高まっていたのである。


 その経験が藍華に語りかける。これは、カカオ豆だと。発酵と乾燥が済んだ状態の豆が目の前にある。


「ああこれかい。これはポーションの材料だよ。南からの輸入品だから、少々値が張るがね」


 藍華の凝視する先に何があるのかを認めた店主が話しかけてきた。


「これの……名前って……」

「カカオ豆さ」


 藍華の耳にはちゃんとカカオ豆と聞こえた。ということは、藍華の脳内の認識と合っているということなのか。女神さま特製自動翻訳機能が付いている言語理解能力を信じてみよう。よし、そうしようと藍華は頷いた。


「あの、これが欲しいのですが!」

「まいどあり~」


 こうして藍華はベレイナ王国でカカオ豆を手に入れた。

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