第3話 召喚は一方通行でした2
「はい……」
誰だろう。メイドだろうか。不思議なことに、異邦人であるはずの藍華の待遇は悪くはないのだ。どうして客人として扱われているのかといったところまで頭は回らない藍華である。
くるまっていた布からはいずり出て、よたよたと歩き扉を開けた。
「アイカ殿、今日は天気もいい。テラスで一緒に昼食を取らないか?」
「昼食……」
「気分転換にもなると思う」
彼は毎日藍華の様子を窺いにこの部屋を訪れていた。その間自分はずっとうじうじしていただけだった。今だってそう。もう帰れないから、と与えられた客間で一人悲しみに沈んでいた。
目の前の青年はちっとも悪くないというのに、藍華は与えられた環境に甘え、一人悲嘆に暮れるだけだった。いい加減、この事実を受け入れなければならない。それを思うと胸が苦しくなるけれど、昼食と聞いてお腹が空いていると感じるくらいには、藍華はまだ元気なのだ。
「……はい。ご一緒したいです。お気遣いいただきありがとうございます」
「いや。いいんだ」
首肯すると、クレイドが目じりを和らげた。
藍華は彼に導かれるまま階下へ降りた。案内されたのはテラスだった。大理石だろうか、マーブル模様の床はつやつやで散り一つ落ちていない。テーブル席はすっかり準備が整っていた。
二人が着席すると給仕係が昼食を運んできた。銀色のコップを手にとってゆっくりと口元に持っていく。中身はジュースだった。甘酸っぱい味が思いのほか好みに合い、こくこくと飲んでしまう。
「気に入った?」
「……はい」
何やら微笑ましげに見つめられ、藍華は恥ずかしくなって目を伏せた。思えば、男性と二人きりで食事というシチュエーションが初めてだ。二十三歳ではあるが、実は年齢イコール彼氏いない歴更新中だったりする。もちろん大学時代男女のグループで遊びに行くことはあったけれど、その中の誰かと特別に親しくなるということもなかった。
それに、好きなことに熱中する方が楽しくて恋は二の次だった。そんな自分が銀髪碧眼の美形と一緒に食事をすることになっている。
改めて考えるとすごいことなのでは、と思ってしまう。彼は一体どのような人なのか。
「あの、改めて助けていただいた上に、わたしに親切にしてくださってありがとうございます。わたし、ずっと異世界に呼ばれたことを嘆いてばかりで、ヒキニートになりつつあって。皆さんの親切に気付くことができませんでした」
「いや、突然自分の住む世界から切り離されたんだ。落ち込むのも気分が塞ぐのも無理もない。徐々にでいいから、こちらの世界に慣れて欲しい」
藍華を思いやるクレイドの優しさにじんと胸が熱くなった。
彼に「冷めないうちに昼食を召し上がれ」と言われたため、一度話を中断して二人は食事をとることにした。藍華が今いるこの国は地球でいうところの、西洋文化に近しい文明をもっているらしい。屋敷の内装や彼の装束、そして食事も藍華の知る西洋のそれに近い。
鶏肉を香草を一緒に焼いたものとつぶした芋、それからくたくたに煮込まれた野菜のスープで腹を満たした藍華は、自分の境遇に嘆くことを止め、今後について知ろうと気持ちを切り替えた。
「きみは酷な報せがだが、私も王城の書物庫を改めて調べたんだ。……過去に何人か女神の客人が現れているけれど、やはり、全員元の世界に帰ったという記述はなかった」
「……そう……ですか」
二度目だが、その言葉が胸の奥に突き刺さる。本当はちょっぴり期待していた。あのあと調べたら帰る手立てが残されていた。そんな言葉を期待していたのも確かだ。
藍華は無理矢理笑顔を作った。もう、諦めなければならない。そして、これからは現実と向き合って生きていこう。この世界での身の振り方を考えなければならない。
「では、いつまでもクレイドさんのご厚意に甘えているわけにもいかないですね。この世界で生きていくなら、生活する術を見つけないと」
「強がらなくていい。それに、きみはまだこの世界のことを、この国のことを何も知らないだろう。まずは学ぶことから始めよう」
「はい。ではこの国のことから……ってそういえばわたし、クレイドさんたちの言葉をちゃんと理解しているんですよね。クレイドさんもわたしの言葉を理解しているし。今更ですけど、どうして意思疎通できているんですか?」
「それはきみが女神の客人だからだろう。おそらくこの世界に呼ばれた際に女神から祝福を授けられているはずだ」
「なるほど……」
藍華はあくまで日本語を話しているつもりなのだ。そうして話した言葉が彼に通じている。彼の言葉もまた、藍華に耳には日本語して届いているのだ。自動翻訳機が自分の中にダウンロードされているという感覚だろうか。
「それに、女神の客人は特別な力を付与されているとも聞く」
「特別な力、ですか? わたしにはさっぱり自覚がありませんが」
「だがこの世界に呼ばれた時点で魔力は宿しているはずだ」
「魔力? まさか、この世界には魔法があるんですか?」
藍華は目を見開いた。それこそ、漫画か映画の中の、空想の産物である。
「きみの世界に魔法はないのか?」
「え、ええ」
頷くと今度はクレイドが驚く番だった。それほどに、この世界には魔法が一般的だということだ。
「ではアイカ殿はまず魔力量を測って、それを操れるように練習をするところからだな」
「その前に、今までずっとただでご飯を食べさせてもらった挙句にあんなにもいいお部屋に泊めていただいていたので、できれば働きたいのですが」
「働く? きみは女神の客人だ。この国の王の息子として、きみを保護する責任がわたしにはある。だから、アイカ殿は働くだなんて考える必要はないんだ」
「でも、いつまでも客人というわけには……んん? この国の王の息子?」
なにやらとんでもない台詞がさらりと吐き出された気がする。藍華は目を瞬いた。目の前に座る麗しい青年は国王の息子らしい。
事実がゆっくりと藍華の体内を駆け巡っていく。それと同時に、心臓の鼓動が早くなった。
「ええと、クレイドさんは……王子様……デスカ?」
「まあ……そうなるな」
ガタン。次の瞬間藍華は椅子から転がり落ち、地面に突っ伏した。
日本古来ゆかしき土下座をしていたのである。
「知らなかったとはいえ、王子様のお屋敷でヒキニートをしていて申し訳ございませんでしたぁぁぁぁ!」
「うわ。アイカ殿? 突然になんなんだ! というか、起き上がるんだ。その奇怪なポーズを今すぐにやめてくれ」
「すみませんでしたぁぁぁ!」
「一度顔を上げてくれぇぇ!」
二人きりの食事の席に互いの叫び声がこだました。
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