第24話 さよなら、またいつか

 様々な人材を呼び寄せた事により、間借りした服飾室はかなりごった返していた。イツは部屋の中心で椅子に座らされ、ほどいた髪を緊張した顔でカットされている。

「お人好し」

「ん?」

 そんな中、部屋の隅で裾上げをしていたツクロイがぼそりと呟いた。横で手伝っていたヤコは何の事かと聞き返す。視線を手元から外さない親友は、少し怒った声で続けた。

「アンタって昔っからそうよ。優しすぎるんだから」

 かすかに口角を上げたヤコは、服を払ってほつれが無いかを確認する。ナナの見立てはかなりセンスが良さそうだ。ふわりとしたフェミニンなシルエットは女性らしい体型のイツによく合うだろう。そんな柔らかい素材を撫でながら、ヤコはどこか遠い目で微笑んだ。

「色々考えて、これが一番いいって思っただけだよ」

 黙々と作業に没頭するツクロイは何も答えず、しばらくして諦めたような重いため息をついた。


 ***


 別れの日はよく晴れた好天になった。デッキ同士に渡された伸縮性のネットはかなり限界まで引き伸ばされている。このままいくとあと数時間もしない内に切れてしまうだろう。

 随所で名残惜しそうに挨拶が交わされる中、アキトはヤコの正面に立っていた。緊張した面持ちの彼から話を切り出される。

「それで移船の件は考えてくれただろうか。一緒に来てくれたら歓迎するよ」

 最初は舞い上がっていた甘い言葉も、求めているのはヤコではなく能力なのだと気づいてしまった。心の中で一つ頭を振ってから笑顔を浮かべる。

「ありがとうございます。でもごめんなさい、私はやっぱりこの船に残ります」

「……どうしても?」

「はい。拾ってくれた恩返しをしたいんです」

 まっすぐな瞳で言うと、何かを言おうとしていたアキトは口を噤み、そしてふっと笑いを浮かべた。

「そっか、人の心に無理強いはできないね」

 ここでふふ、と笑ったヤコはイタズラっ子のように口の端を吊り上げた。

「ところでアキトさん、もっとふさわしい大事な人を見落としてませんか?」

「え?」

 ヤコが振り向いた先、展望ルームからミミカが出てくる。その後ろに隠れるようにして一人の人物がいた。ふしぎそうに彼女を見ていたアキトの目が大きく見開かれていく。

 不安そうな顔でおずおずと顔を出したイツは眼鏡を外していた。おさげにしていた黒髪も編み込みを入れたポニーテールにまとめている。服装もそれまでの制服から女性らしいスカートに履き替え、ナチュラルメイクで色を乗せた彼女は見違えるほどきれいになっていた。

「ハナちゃん……?」

 ぽかんとその姿を見ていたアキトの口から、信じられないような声が漏れだす。呼びかけが届いたのだろう、ビクッと跳ねたイツは顔を真っ赤にさせパクパクと口ごもる。そして次の瞬間、背中を向けて逃げ出した。

「びゃぁああぁ、やっぱムリぃぃい!」

「あっ!? こらイツ!?」

 怒鳴りつけたミミカの脇を、アキトが神速で駆け抜ける。展望ルームに逃げ込もうとしたイツはあと一歩のところでパシッと捕まえられた。手首に付けていたちゃちなビーズのブレスレットがチャリと音を立てる。

「やっぱりそうだ。ハナちゃん! ハナちゃん! ずっと探してたっ、まさか生きてるなんて!」

「あ、あっくん……」

 振り返れば、アキトはアイドルとは思えないほど崩れた顔で号泣していた。眉をハの字に下げくしゃくしゃな顔で泣いている。

 それを見た瞬間、イツは幼かった日の事を思い出した。いつも後ろから必死な顔をしてついてきた男の子と今の姿が重なる。一日たりとも忘れた事なんてなかった。彼がテレビの中の人になってしまってからも。

「ずっとこの船に居たの? それにイツって……」

「あ、あっくん、今まで隠れててごめん。あたしもガードなの、戦えるよ」

 驚いた顔をするアキトに向けて、イツは勇気を振り絞る。目の端からポロポロと感情をこぼしながら、勇敢だった子供の頃を思い出そうとする。何も怖くはなかった、守るべき大好きな男の子が居たから。

「あ、あたし頑張るから、ヤコちゃんの代わりにはなれないかもしれないけどっ、コアとか見つけるの、得意、だしっ、だから――」

 あなたの力になりたい、と、言いかけた言葉ごと抱きしめられる。誰もが注目する中、アキトは恥も外聞もなくただ愛しい人に想いの丈をぶつけていた。

「そんなのどうだっていい! ハナちゃんが居てくれるなら俺は何体でも敵を切り刻んでやる! いくらでも強くなれるっ」

 ここで顔を少し離れたアキトはイツの顔をまっすぐに見つめる。この荒廃した世界で再会を果たした幼なじみの気持ちは一つだった。

「うちの船に来てくれないか」

 口に手をあてたイツは滂沱する。何度も頷いたあと、彼女は最高の笑顔で微笑んだ。

「はいっ」


 ハッピーエンドで別れを告げた二つの船は別々の道を往く。

 子供たちはいつまでもいつまでも手を振り合っていた。

 ガードが欠けて嬉しくなったのはこれが初めてだとレイがこぼす横で、色恋騒動にピンと来てなさそうなハジメが首をひねる。


 広い砂原に陽は落ちる落ちる。

 いつか必ず、またどこかでと。声はいつまでも響いていた。



 そうして陽も落ちた夜の後、フォーマルハウトの頂きにはヤコの姿があった。

 星空の下、膝を抱えた彼女は、彼方に消えていく星の影を見送り続けていた。笑顔でクレープを差し出してくれたアキトの面影がよみがえり、まなじりから涙がぽろりと一つ零れ落ちる。

(さよなら、私の初恋……)

 黒い外壁に落ちた涙はいつか乾くだろう。自分の心もそうであってほしいと、そう願わずにはいられなかった。

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