赤と緑と地雷と道

烏目浩輔

赤と緑と地雷と道

 時刻は午後七時を少し過ぎている。

 智樹ともきは自室のベッドに寝転んで、地元の友達と電話をしていた。

「わかった。キツネ神社の前に十時な。わかってるって。お前こそ遅れるなよ。じゃあな――」

 明日の朝の話がまとまり、スマホを切った。


 キツネ神社とはこの近くにある稲荷神社いなりじんじゃのことだ。小学生のときからキツネ神社と呼んでいるのだが、それは高校を卒業した今でも変わっていない。そこに地元のやつら数人と初詣にいくのも、小学生のときからの恒例行事だ。明日の元旦も例年どおりに初詣にいくことになった。


 初詣は毎年楽しみにしている。だが、今回はちょっと引っかかるものがあった。

(あいつら、俺のことをどう思ってんのかな……)

 これまで地元のやつらとはだいたい足並みが揃っていた。小学生を卒業したあとはみな普通に中学に進学し、中学卒業後は学校が違っても普通に高校に進学した。ところが今年は智樹だけ足並みを揃えることができなかった。みなちゃんと大学に進学したというのに、智樹だけ大学受験に失敗して、道を進めずに取り残されてしまった。


 たぶん、友人たちはそれをなんとも思っていない。わかってはいるのだが、どうしても考えてしまう。

 俺に同情しているんじゃないだろうか。

 可哀想なやつだと思っているんじゃないだろうか。

「ちっさいな、俺……」

 自虐的にそう呟いたとき、一階で智樹を呼ぶ声がした。

「智樹、もうすぐできるよ」

 姉の声だった。姉は智樹より四つ年上で、医療事務の仕事に就いている。二階にあがってくるのを横着して、階段の下から呼びかけているらしい。


 智樹はベッドの上で身体からだを起こした。なんとなく動く気になれずにぼんやりしていると、再び姉が一階から呼びかけてきた。

「智樹、聞いてる? もうすぐできるよ」

 声に苛立ちが混じっている。そういえば返事をするのを忘れていた。無視されたと思って怒っているのだろう。

「わかった。おりる」

 智樹は姉に応じながら立ちあがった。


 部屋を出ると階段の下にもう姉の姿はなかった。一階におりてリビングに向かう。ドアをあけるとキッチンのところに母がいて、姉は炬燵こたつに入って寒そうに背中を丸めていた。炬燵の上には緑のたぬきと赤いきつねがふたつずつ。蓋が半分開いているということはお湯がすでに入っている。

 我が家の年越し蕎麦はいつもこれだ。智樹と父が緑のたぬき。姉と母が赤いきつね。


 智樹は炬燵にのそのそと足を入れながら姉に尋ねた。

「父さんは仕事?」

「うん。でも、すぐにいくって言ってたから、ちょっとしたらくるんじゃない」

 父は執筆業を生業にしている。暇さえあれば、書斎と名付けた物置部屋にこもってパソコンに向う。きっと文章を書くのが好きなのだろう。執筆業は父の天職だと思う。


「そういや」

 智樹は炬燵の上に目をやって続ける。

「なんでいつも赤いきつねなんだ? 年越し蕎麦なのに」

「別にいいでしょう。うどんのほうが好きなんだから」

 きっぱりと言った姉に、こう言い返してやる。

「年越し蕎麦は縁起もんなんだよ。ちゃんとしておかないと縁起が悪い。不幸になっても知らないぞ」

「あのさあ……」

 姉がじとっと見てくる。

「今の私に不幸とか言うのって、完全に地雷踏んだと思うけど」

 言われて智樹は思う。

(確かに地雷だな……)


 姉は短大を卒業してすぐに結婚したのだが、しばらくして旦那の浮気が発覚したのだ。しかも、その浮気相手が姉の親友という最悪のパターンだった。姉は即刻旦那と離婚してこの家に出戻ってきた。

 つまり、智樹は大学受験に失敗して道を進めなかったのだが、姉は意気揚々と進んでいった道をまた戻ってきた。ほんの一ヶ月ほど前のことだ。


 今の姉に不幸という言葉は地雷でしかない。だから、失言を素直に謝ろうかと思ったのだが、姉に悪態をつかれてその気が失せた。

「だいたいさ、あんたはちゃんと蕎麦を食べてるけど、大学受験に失敗しちゃってるじゃん。縁起いいことしても意味ないし」

 今度は智樹が姉をじとっと見てやった。

「それこそ地雷だろ。受験失敗って言うなよ」

 姉は智樹の視線も言葉も無視すると、声をひそめて「それにさ……」と言った。それから顎をしゃくってキッチンのほうを指し示した。お茶を入れようとしているらしく、母が食器棚からコップを取りだしていた。

「縁起がどうのこうのっていうのは、私よりもお母さんに必要じゃない?」

 智樹は母を見やって呟いた。

「あっちにも地雷ちがいたな……」

「最近はマシになったけど、やっぱりまだまってるし。縁起のいいことをしたら、ちゃんと抜けだせるかな……」

「いや、年越し蕎麦くらいでは抜けだせないだろう」

「そりゃそうか」

「そりゃそうだよ」


 母は五年くらい前から胡乱な宗教に傾倒していた。ここ一年ほどはセミナーに参加する回数が減り、宗教の話をすることも少なくなり、傾倒具合が少しマシになってきてはいる。しかし、かつては数百万円をお布施として宗教団地に寄付したこともあった。友人や知人を節操なく勧誘しまくった結果、母のまわりから人がいなくなってしまってもいた。傾倒具合がマシになった今でもどこか危うい感じがしていて、ちょっとしたきっかけで、またいろいろとやこしくなりそうだった。


 智樹は道を進めず、姉は道を戻ってきた。母の場合はなんと言えばいいのだろうか。道を暴走している。いや、道に迷っているだろうか。


 そんなことを考えていると、父がリビングにやってきた。「寒いな」などと言いながら、どかどかと炬燵に足を突っこむ。

「ちょっと、お父さん、痛いって」

「ああ、すまんすまん」

 どうやら姉の足を父が蹴ったらしい。

「腹が減った。もう食えるのか?」

 父はお湯を入れた時間を訊いているようだ。その問いに姉が答える。

「もう食べられると思うよ」

「そうか」

 父はキッチンのほうに呼びかけた。

「母さん、なにしてる。早くこっちにきて年越し蕎麦を食おう」

 一番最後にリビングにやってきたくせに、腹が減ったとワーワーほざいて、この場をちゃっかり仕切りはじめている。父はこういう無頓着なやつなのだが、憎めないやつでもあるのも確かだ。

 また、無頓着な父は母の宗教傾倒にもあまり関心がなかった。信じるものがあるのはいいんじゃないか? と少し宗教を認めてもいるふしまである。ただ、父がそういうタイプであるおかげで、母の宗教問題がなんとなく緩和されてもいる。実はそこそこ深刻なことにもなっていたはずなのだが、深刻に考えない父を見ていると、なんとかなるんじゃないかと思えてくるから不思議だ。

 そんな父を一言で表現すれば〝我が道をいく〟だろう。


「蕎麦とうどんが熱いから、お茶は冷たいのにしたわよ」

 父に呼ばれてキッチンから出てきた母が、そう言いながらおぼんを炬燵の上に置いた。お盆にはお茶の入ったコップが四つ乗せてあり、姉がそれをひとりひとりに配っていった。

「さあ、食うか」

 父が緑のたぬきの蓋を剥がすと、みなもそれぞれ蓋を剥がした。姉と母は「いただきます」と言って箸をつけ、智樹は無言のまま蕎麦を食べはじめる。


 智樹以外はワイワイと歓談しながら、蕎麦とうどんをずるずるすすっている。智樹は昔から食べるときは無口になるタイプで、今も家族の会話には加わらず緑のたぬきを味わっている。

 出汁だしのきいたつゆ美味うまいい。天ぷらはつゆにしばらく浸して、ふにゃふにゃにして食べるのが好きだ。

 そうやって緑のたぬきを食べながら、智樹はこっそりと家族を見ました。

うちにはいろんなやつがいるよなあ……)

 道を進めなかったやつ。

 進んだ道を戻ってきたやつ。

 道を暴走しているのか迷っているのかのやつ。 

 我が道をいくやつ。

 みなが最高に幸せというわけではないが、こうやって家族団欒の時間がある。毎年同じ炬燵に足を突っ込んで、緑のたぬきと赤いきつねを食べる。我が家はまあまあ幸せなのかもしれない。


 赤いきつねを啜っていた姉が、ふと箸を止めて呟いた。

「除夜の鐘が鳴ってる……」

 家族全員が動きを止めて耳を澄ませた。だが、智樹はすぐにおかしいと気がついた。

「鳴ってるわけないだろ。時間が早すぎるって」

 母が「そうね」と智樹に同意する。

「いつも十一時くらいから鳴りはじめるものね。まだ早いでしょう」

「ほんとう? 鳴ってる気がしたんだけど……」

 首を傾げる姉に智樹は断言した。

「気のせいだよ」

 父はもう除夜の鐘に興味を失ったらしく、緑のたぬきをずるずると食べている。姉はまだ「ほんとう?」と首を傾げている。母は姉に「十一時くらいからよ」と応じている。


 あと四時間ほどで年が変わる。いくら名残惜しんでも今年は終わって、誰のところにも来年が勝手にやってくる。今年はうちの家族にいろいろあったが、きっと他の家族にもあれこれあったはずだ。だから、お世話になった人や友達にこう伝えたい。


 今年、かった人は来年もい年に。

 今年、くなかった人は来年こそい年に。

 皆がまあまあ幸せでありますように。




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